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ちばのたね
ちばのたね
千葉の人でも意外と知らなかった特徴と魅力。
チバビズの視点を通して、
街の新しいビジネスの種を見つけてください。

ちばのたね バックナンバー(13~24)
南房総市(みなみぼうそうし)
地図
太平洋と東京湾の両方に面した市
 南房総市は房総半島の南部、千葉県最南端にあり太平洋と東京湾の両方に面しています。海岸部は南房総国定公園に認定され、房総丘陵の内陸部は豊かな自然を活かした観光・町おこしや、地域住人の健康増進に役立つ交流と活性の場所として、林野庁の森林セラピー基地に認定されています。
 農業は温暖な気候を生かしたアイリスやキンセンカなどの花卉(かき)栽培が盛んで、日本一の生産量のびわの産地としても知られています。
 酪農も盛んで、市内に複数の牧場があります。元々、南房総市には江戸幕府直轄の峯岡牧(馬の牧場)があり、幕府が改良のために馬を輸入していました。その際、一緒に輸入したインド産の白牛(セブー種)から絞った牛乳を、強壮剤や解熱用の「白牛酪」という薬として将軍家に献上していました。後に「白牛酪」の生産量が増えたため一般にも販売されるようになりました。このことから当時の峯岡牧が「日本の酪農の発祥の地」であるとして、今では「千葉県酪農のさと」という資料館が建てられ、多くの観光客が訪れています。
 海に面している事から漁業も盛んで、有名な白浜町の海女の素潜りではアワビやテングサなどの海藻が獲れる他、黒潮に乗って集まってきた魚が水揚げされています。また、国内にある4ヶ所の捕鯨地区のうち関東では唯一の鯨が水揚げされる和田漁港があるため、水揚げされた鯨の加工品は特産品になっています。
 JR東日本の内房線の市内にある駅は、内房側に岩井駅、富浦駅の2駅、外房側に千倉駅、千歳駅、南三原駅、和田浦駅の4駅がありますが、内陸部にはありません。
 高速道路は市内の内房側を走る館山道の終点冨浦インターチェンジがあり、国道は東京湾に沿って127号線が通り、南端の旧白浜地区から外房側を410号線が、外房側を通って市の北部の和田町を館山に向かって128号線が通っています。
和田漁港
和田漁港
酪農の里
酪農の里

料理の神様と花の街
 南房総市がある地域は718年(養老2年)に上総国から分離し、明治時代になるまで安房国と呼ばれていました。安房国の国府は市内の三芳地区(旧三芳村)にあって、多くの荘園がありました。戦国時代になって里見氏が安房国の統一をしましたが、江戸時代初期に改易されてからは旗本領や天領などで分割・統治されていました。明治時代になり郡制となって1897年(明治30年)に安房郡が作られ、その後2006年(平成18年)に安房郡の富浦町、富山町、三芳村、白浜町、千倉町、丸山町、和田町が合併して南房総市が誕生しました。
 海の幸が豊富な南房総市には日本で唯一料理の神様を祀った神社があります。それは旧千倉町にある「高家(たかべ)神社」で、江戸時代の初めの1620年(元和6年)にできた料理の神「磐鹿六雁命(いわむつかりのみこと)」を祀った神社です。この高家神社は、料理関係者や醤油醸造業者などから崇敬され、5月、10月、11月の年3回、平安時代から伝わる食材に直接手を触れず庖丁とまな箸だけで鯉や真鯛、真魚鰹(まながつお)などを切り分ける「庖丁式」が行われます。
 今では南房総は花の産地として有名ですが、そのきっかけは現在の南房総市和田町の間宮七郎平が花作りで成功したことでした。周囲からは嘲笑されても花の栽培を続けていた間宮七郎平が、1919年(大正8年)に館山まで鉄道が開通したのを機に東京で販売することに成功し、次第に盛んになっていきました。
 間宮七郎平はその後、生花組合の創設、新品種の導入、栽培委地域の拡大、日本初のストックの温室栽培成功、新会社設立、地方市場の開拓、後継者の支援など、多くの偉業を成し遂げ花の産地としての地位を築きました。
高家神社
高家神社
庖丁塚
料理の神様らしく庖丁塚がある

庖丁式 
庖丁式が行われる場所
花摘み
毎年12月から3月まで「花摘み」が行われている

道の駅で町おこし
 2006年(平成18年)の町村合併で南房総市が誕生する13年前の1993年(平成5年)、富浦町に千葉県初の道の駅「道の駅とみうら枇杷倶楽部」が開業しました。当時、富浦町はびわの生産日本一であったことからこのように命名されたそうです。施設には休憩施設の他物販施設も併設し、2000年(平成12年)に全国道の駅グランプリで最優秀賞を受賞しました。特産物のびわを使った様々な商品開発などの取り組みも積極的に行い、この活動が地域活性化にも大きく貢献していました。
 全国でも有名になった「道の駅とみうら枇杷倶楽部」を擁して合併になった南房総市は、合併前に唯一道の駅が開設されていなかった和田町の「和田浦WA・O!」も開設し、合併前の全ての町村に道の駅がある千葉県唯一の市になりました。
 道の駅では、各地域で多く栽培されている特産物を中心に産直販売を行うとともに、地域の交流の場としての機能を果たしています。このように道の駅を核に町おこしを進めつつ、空き公共施設の活用でも成果を挙げる事例が誕生しています。閉校された旧長尾幼稚園・小学校をオフィス、レストラン、宿泊施設としてリノベーションした「シラハマ校舎」は、単なるスペース利用ではなく、二地域居住者・移住者の地域住民とのネットワークの構築や交流の拠点づくり、地域産業と都市部の資本とのマッチング、研究機関の地域交流を支援していることが評価され、2017年(平成29年)にグッドデザイン賞を受賞しました。
 南房総市は、移住者を迎え入れる取り組み、更にこれから始まるであろう観光地など、自宅以外の休暇先で、リモートワークをするワーケーションに最適な場所としても大いに期待ができるでしょう。
とみうら枇杷倶楽部
道の駅 とみうら枇杷倶楽部
鄙の里
道の駅 三芳村 鄙の里

ローズマリー公園
道の駅 ローズマリー公園
ちくら潮風王国
道の駅 ちくら潮風王国

富楽里とみやま
道の駅 富楽里とみやま
花倶楽部
道の駅 おおつの里 花倶楽部

白浜野島崎
道の駅 白浜野島崎
和田浦WA・O!
道の駅 和田浦WA・O!

シラハマ校舎
グッドデザイン賞を受賞したシラハマ校舎
バルデルマル
シラハマ校舎にあるレストラン「バルデルマル」

(2021/3/10)
いすみ市(いすみし)
地図
機械根で豊富な水揚げを誇る
 いすみ市は、東は房総半島の太平洋側に面し、海側から内陸向かって丘陵が広がる里海、里山に囲まれ、災害も少なく、太平洋を流れる黒潮の影響で年中温暖な気候の街です。
 沿岸部は九十九里浜の南端の太東岬から続く丘陵地で、磯浜が続く海岸線は南房総国定公園に指定されています。内陸部には水田が広がり、溜池や堰(せき:河川を横断して貯水をするもの)が点在し、北部には千葉県最大の流域面積を持つ夷隅川が横断しています。
 産業は農業が盛んで、夷隅川流域の粘土質の地質を活かした水田で稲作が盛んに行われており、生産された米は皇室献上米にもなりました。南部の里山が多い地域では梨をはじめ果実の栽培が行われています。
 漁業は、岩船漁港、太東漁港、イセエビやタコの最大級の水揚げで有名な大原漁港があります。大原漁港の沖合には、機械根(きかいね)と呼ばれる深さ20m前後の砂場と岩場が入り組んでいる岩礁地帯があり、その広さはいすみ市の面積に及ぶほどで、世界でも有数の漁場といわれています。
 1885年(明治18年)、市内の酒蔵「木戸泉(きどいずみ)」の三代目社長がイギリスから潜水機を輸入して潜ってみたところ、海底に2~3キロはありそうなアワビが沢山いたことが広まり、全国から潜水機でアワビを取りに来たそうです。「根」とは漁師言葉で岩礁のことで、「機械で潜ってアワビを取る岩礁」という意味で「機械根」(器械根)と呼ばれるようになりました。
 いすみ市への交通アクセスは、鉄道が沿岸部を南北にJR東日本の外房線が通り、太東駅、長者町駅、三門駅、大原駅、浪花駅の5駅があります。また、いすみ鉄道が横断し、市内には大原駅、上総東駅、国吉駅、上総中川駅の3つの駅があります。
 国道は外房線に沿ったように沿岸部を128号線が市内を縦断し、465号線がいすみ鉄道に沿って市内を横断していますが、高速道路は通っていません。
いすみ市沿岸部
いすみ市沿岸部を望む 正面に見えるのは河口干潟と夷隅川
市内陸部の里山の景色
いすみ市内陸部の里山の景色

大原漁港
大原漁港
大原駅
JR東日本の大原駅といすみ鉄道大原駅

かつて避暑地として栄えた街
 鎌倉時代の末から室町時代初期にかけて、枯山水の庭園を作る作庭家であり漢詩人、歌人としても活躍した臨済宗の僧、夢窓疎石が現在のいすみ市能実に移り住み、1325年(正中2年)に後醍醐天皇に請われて京都の南禅寺の住持となるまでの2年間を過ごしました。現在も市内の太高寺の裏には、疎石が修行のために籠ったとされる坐禅屈(金毛窟)が残っています。
 戦国時代に入ると、ほぼ現在のいすみ市と同じ領域を上総土岐氏が支配し、万木城(まんぎじょう)を築きました。土岐氏は最終的に豊臣秀吉の小田原征伐の際に北条氏側に属したため、この万木城は本多忠勝が入城しましたが、その後、大多喜城に移ったため廃城となりました。現在、この万木城は万木城公園になっています。
 江戸時代中期には、地引網漁がさかんに行われ、沿岸部は賑わうようになりました。五穀豊穣や大漁を願う「大原はだか祭り」などの祭礼がこの頃から始まり、江戸時代後期には、浮世絵で有名な葛飾北斎に影響を与えたといわれている武志伊八郎信由(たけしいはちろうよしのぶ)(別名:波の伊八)が市内の行元寺、飯縄寺などに作品を残しています。
 1899年(明治32年)には房総鉄道(現在の外房線)の一宮駅―大原駅間が開業となり、東京方面から多くの人々が訪れる避暑地として別荘が建てられるようになりました。明治の文豪、森鴎外も別荘を建てた一人で、他にも作家の山本有三はこの周辺を舞台にした作品「真実一路」を執筆しました。
 昭和初期に、いすみ市国吉で生産された米は「国吉米」として東京方面で高値で取引されるようになり、現在でも「いすみ米」と名を変え、そのブランドを引き継いでいます。
 このような歴史のあるこの地域は、2005年(平成17年)の平成の大合併で夷隅町、大原町、岬町が合併し、現在のいすみ市が誕生しました。
万木城公園
天守閣を模した展望台がある万木城公園
波の伊八の作品 
飯縄寺の波の伊八の作品

地域情報の発信と移住支援で住みたい田舎で4年連続1位を獲得
 日本の酪農発祥の地でもある千葉県には、酪農県らしく12軒のチーズ工房があり、どの工房も本格的なチーズ作りを行っています。12軒あるうちの半分の6軒がいすみ市にあるため、NPO法人ライフスタイル研究所は、市内のチーズ工房を紹介するため、「チーズ工房MAP」を作成し観光客に配布するなどの活動を行っています。また、このチーズはいすみ市のふるさと返礼品にも採用されるなど、地域を上げていすみ市のチーズを盛り上げていこうとしています。
 いすみ市を知ってもらうために、いすみ市役所の観光課に「いすみ外房フィルムコミッション(ISFC)」の事務局を置き、映画、ドラマ、CMを始めとしたロケーションサービスを提供しています。その活動のおかげで、さまざまな映画、ドラマ、CMなどに採用され、2018年(平成30年)5月に開催されたカンヌ映画祭の最高賞、「パルム・ドール」を獲得した「万引き家族」でもいすみ市がロケ地に採用されています。このようないすみ市の周知活動も、いすみ市への移住者増加に貢献しています。
 自然が豊富で農業も漁業も盛んで食に関しても豊かな土地のいすみ市は、ここ数年学校給食への取り組みも新たな市の魅力として知られるようになりました。それは有機米生産と学校給食への100%導入の取り組みです。また、子育て支援や移住者のための空き家バンク、移住体験プログラム、創業支援など、移住者のための取り組みが盛んに行われています。更に、この取り組みは行政に留まらず、NPOなど市民団体も力を入れています。
 移住体験の受託をはじめ、移住者と地元民とを結びつけるイベントや移住を検討している人たちに情報提供をするなど、積極的な活動の結果、いすみ市は宝島社発行の「田舎暮らしの本」2020年2月号に掲載された「住みたい田舎ベストランキング」では、4年連続で首都圏エリアの総合1位を獲得しました。
 過疎化が進む中、周知活動と移住者への取り組みで、いすみ市は千葉県内でも大注目の場所です。他の地域でも移住者増加対策の参考になるのではないでしょうか。
いすみ市役所
いすみ市役所
チーズ工房
高秀牧場のチーズ工房

いすみ医療センター
いすみ医療センター
ハウススタジオ
ハウススタジオ

(2021/1/12)
匝瑳市(そうさし)
地図
米どころ、そして植木のまち
 匝瑳市は千葉県の北東部にあり、海洋性気候で年間平均は15度、夏は涼しく冬でもほとんど降雪がみられない温暖な地域です。かつては毎月8日に市が開かれ、市場町として発展した元八日市場市を中心に、2006年(平成18年)に隣接する匝瑳郡野栄町と合併して匝瑳市が誕生しました。
 市の北部は谷津田が入り組んだ複雑な台地になっている一方、南部は市街地を過ぎると九十九里平野の平坦な土地になっています。
 第一次産業が盛んで至る所に田園風景が広がり、米どころであることが伺われますが、長ネギや赤ピーマンの生産も行われています。珍しいのは市の天然記念物になっている大浦ごぼうは、直径30cmあまり、長さは1mにもなる巨大なごぼうで、毎年成田山新勝寺だけに奉納され、参詣に訪れる信徒に出す精進料理の縁起物として使われています。
 多くの農産物がある匝瑳市ですが、大正時代に病害虫や寒さに強いイヌマキを関西方面に出荷したことがきっかけで、全国でもトップクラスの植木の産地になり、市の南部の九十九里平野地区を中心に国内最大の栽培面積を誇るようになりました。イヌマキは主に農家の垣根として使われ、中には7mを越える巨大な槇塀もあり、観光スポットして取り上げられています。
 鉄道は総武本線が横断し、市内には八日市場駅、飯倉駅があります。総武本線にほぼ並行して国道126号が、北西部の一部に296号が通っていますが、高速道路などは通っていません。
出荷を待つ植木
出荷を待つ植木
巨大な槇塀
観光客も訪れる高さ7mにもなる巨大な槇塀

八日市場駅
八日市場駅
国道126号
国道126号

仏教とキリスト教の歴史があるまち
 匝瑳という地名は、平安時代前期に書かれた「続日本後紀(ぞくにほんこうき)」によると、現在の近畿地方にいた豪族の物部小事(もののべのしょうじ)が現在の関東地方を征した功績で朝廷から下総国の一部を与えられ、匝瑳郡(そうさごおり)という名前にし、その後、子孫が物部匝瑳氏(もののべのそうさうじ)を名乗っていたことに由来するとされています。
 市内には映画やドラマの撮影場所として、またコンサート会場などのイベントスペースとしても活用されている歴史的な場所、飯高檀林(いいたかだんりん)があります。
 1573年(天正元年)に要行院日統(ようぎょういんにっとう)が匝瑳市飯塚の光福寺に僧侶の勉強の場、日蓮宗の学室を開いたのが前身で、その後1579年(天正7年)に京都から教蔵院日生(きょうぞういんにっしょう)を招き妙福寺に移され、翌年に現在の場所に移りました。この飯高檀林は1872年(明治5年)の学制発布で廃止されましたが、その名跡を継いだのが立正大学で、境内に「立正大学発祥之地」の碑が建てられています。
 匝瑳市はキリスト教にも縁があり、日本初のイコン画家の山下りんが描いたものが田園風景の中にポツンとある教会に残されています。イコン画とは、イエス・キリスト、聖人、天使、聖書における重要出来事、たとえ話、教会史上の出来事などを描いたもので、山下りんのイコン画が1891年(明治24年)に開かれたロシア正教のハリストス須賀正教会に残っています。この教会にある10面のイコン画は千葉県の指定文化財になっています。
 鉄道の駅が総武本線の2駅のみと少ない匝瑳市ですが、かつてはもう一本の路線が市内を走っていました。1911年(明治44年)に成田―三里塚間で開業した成田鉄道(現千葉交通)の多古線は、1926年(大正15年)に八日市場駅まで延長され営業を続けていましたが、太平洋戦争後の1946年(昭和21年)に廃止されてしまいました。その痕跡は市内には残っていませんが成田市内に一部その跡が残っています。
飯高寺
飯高寺
発祥の地の碑
境内にある立正大学発祥の地の碑

須賀ハリストス教会
須賀ハリストス教会
多古線の跡
成田市にある成田鉄道(現千葉交通)の多古線の跡

自然エネルギーと農業を共存させるメガソーラー
 匝瑳市は、第二次匝瑳市「まち・ひと・しごと創生総合戦略」において2015年(平成27年)には37,261人いた人口が2020年(令和2年)には35,674人と5年間で約1,600人の人口減少が発生していますが、出生率の向上や転出超過の緩和措置を実現する事で2060年(令和42年)においても22,000人以上の人口を保つことを目標としています。
 匝瑳市の植木が基幹産業であることから人々が集まり、楽しみ、そして活躍する場所を創出する事を目指し、「ガーデンコミュニティ戦略~そうさ!!匝瑳市で活躍しよう~」というキャッチフレーズを掲げ、改革を進めています。更に匝瑳市植木組合は、全国トップクラスの植木の産地が日本一になるためのブランド強化として、世界に向けたロゴマークとキャッチコピーをデザインするプロジェクトに取り組み、海外への発信を推進しています。
 農業が盛んな匝瑳市も耕作放棄地が目立つようになり、その対策に新たな取り組みが誕生しました。2017年(平成29年)に市内の約32000㎡の耕作放棄地に、日本初の1MW級の大規模太陽光発電所「匝瑳市メガソーラー発電所」を作り、太陽光パネルの下で農業を行う農地として再生させた日本随一の事例として注目を集めました。農作業は地元の農業生産法人委託料を払って請け負ってもらい、ソーラー発電で得た売電収益の一部は耕作委託料に、残りは地域の協議会に環境保全基金として年間200万円拠出されるというものです。
 ソーラーパネルの下には、有機大豆、有機麦をはじめとした作物が作られ、市民出資のパネルオーナー制度を導入して、土地を持たない人でもソーラーシェアリングに参加できるようにしました。農業と自然エネルギーの未来が見える新たな取り組みは、今後の成果に大いに期待できるのではないでしょうか。
イヌマキの木
植木のまち匝瑳市役所前にもイヌマキの木が植えられている
ソーラーパネル発電所
あたりには複数のソーラーパネルの発電所が出来ている

ソーラーパネルの下
ソーラーパネルの下に様々な作物が作られている
売電収入
売電収入は村づくり基金にもなっている

(2020/12/10)
鴨川市(かもがわし)
地図
豊富な海産物とブランド米の産地「鴨川」
 千葉県の南東部、太平洋に面した温暖な気候の鴨川市は、南房総国定公園に指定された海岸部と房総丘陵が広がる内陸部があります。
 市内の長狭(ながさ)地区は清澄山系、南に嶺岡山系を望む細長い平野で、ミネラルをたっぷり含んだ重粘土質の土壌と湧水で、良質な米を収穫することができます。獲れた米は「長狭米」として明治天皇即位の大嘗祭に献上され、千葉県内では多古米と並ぶブランド米です。日本の棚田百選にも選ばれた大山千枚田には、上皇陛下と上皇后陛下が訪問されたこともあり、千枚田を見下ろす丘には上皇陛下が詠まれた歌が刻まれた歌碑が建っています。
 漁業も盛んで、日本海溝の南端に位置し親潮と黒潮が合流するため魚種が豊富で、漁港には沖合で獲れたたくさんの魚が水揚げされています。沿岸部の岩礁にはイセエビやサザエなどの他、千葉ブランド水産物に認定されている「ひじき」をはじめさまざまな海藻類も豊富に獲れています。
 国道128号線が沿岸部を走り、昨年までは有料道路だった君津市から続く房総スカイライン(県道24号線)と鴨川有料道路がありますが、他に国道や高速道路はありません。
 鉄道路線は海岸線に沿って安房鴨川駅を起点として、JR東日本の内房線が館山を経由し内房方面へ、外房線が勝浦を経由し蘇我駅まで伸びています。市内には外房線の安房小湊駅、安房天津駅、安房鴨川駅を挟み内房線の太海駅、江見駅があります。
歌碑 
上皇陛下が詠まれた歌が刻まれた歌碑 
横渚海岸とホテル群
東条海岸より前原・横渚海岸とホテル群

日蓮上人とサーフィン
 鴨川市を含む房総半島南部は、718年(養老2年)に半島中部の上総国から分割され安房国になりました。戦国時代に里見氏が台頭し安房統一を果たし、その勢力は一時、下総国までに及びました。豊臣秀吉の小田原城攻めに参陣しましたが、大名間の私闘を禁止した惣無事令(そうぶじれい)違反を犯したため秀吉の怒りを買い、下総、上総を没収され、安房一国のみとなり、1614年(慶長19年)には徳川幕府により失脚、安房も幕府に没収されてしまいました。その後、東条藩となった後に廃藩になり、幕府領や旗本領となりました。
 明治時代に入り、鴨川地区は花房藩となり1871年(明治4年)の廃藩置県によって木更津県に編入された後、1874年(明治6年)には木更津県と印旛県の合併で千葉県に編入され、1897年(明治30年)に安房4郡が統合、千葉県安房郡に再編されました。1971年(昭和46年)に安房郡鴨川町、江見町、長狭町が合併し現在の鴨川市ができました。
 観光地として発展した鴨川市は、旅館やホテルを含めた観光サービス業の就業人口が多く、古くは日蓮聖人誕生の地の小湊の誕生寺や立教開宗した清澄寺などが多くの参拝客を集めていました。また、日蓮聖人誕生の地である小湊の内浦湾の沿岸部には、聖人が誕生した際には鯛が飛び跳ね、ハスの花が咲き乱れたという伝説から名付けられた「鯛の浦」があり、現在でも禁漁区とされ「鯛の浦タイ生息地」という名称で国の天然記念物に指定されています。鯛の浦では天然の鯛の姿を遊覧船で見ることができます。
 日本の渚百選に選ばれた前原・横渚海岸はホテルが立ち並び、多くの観光客が訪れ、1966年(昭和41年)に鴨川の海岸で「第1回全日本サーフィン大会」も開催されました。湘南と共に日本のサーフィンの発祥の地ともいわれ、今でも東条海岸には多くのサーファーたちがサーフィンを楽しんでいます。
 全国でも有名な「鴨川シーワールド」を始め、様々な観光施設が揃っていますが、唯一欠けていた温泉も2003年(平成15年)には温泉組合が共同で掘削し、海と温泉を楽しむ観光客を集めています。
鴨川シーワールド
大人気の観光スポット鴨川シーワールド
大本山誕生寺
日蓮上人誕生の地 大本山誕生寺

日蓮聖人御幼像
誕生寺境内の日蓮聖人御幼像
遊覧船の入口
鯛の浦遊覧船の入口

官と民で改革を進める
 鴨川はかつて日蓮聖人誕生の地として参拝客や豊富な魚介を目当てにした多くの観光客を集めてきましたが、近年は観光客の減少が続き、鴨川市は観光振興基本計画の策定、新たな施策を始めました。
 旅館や遊興施設などの既存の観光施設以外にも、NPO法人大山千枚田保存会による大山千枚田の「棚田オーナー」制度や道の駅「みんなみの里」など農業者が展開しているグリーンツーリズム、市内に住んでいる芸術家による陶芸の体験ツーリズムなどさまざまなものが揃っています。そこで鴨川市は市民参加型で多様化したツーリズムから新たな基本計画を策定しました。
 本来の観光や物見遊山の価値を再認識し、自然・文化財・景観を破壊することなく観光地本来の姿を求めていく考えと、新たな観光の要素を盛り込んだツーリズムを造語で「ホリスティックツーリズム」(ホリスティック=全体)と名付け、新たな観光施策をとっていくことになりました。
 鴨川ホリスティックツーリズムは、①観るツーリズム、②カルチュラルツーリズム、③カントリーツーリズム、④エコツーリズムの四つの分野から展開され、観光業者だけでなく、農業、漁業、工芸家、市民など多様な担い手で運営され、鴨川で見たこと、体験したことを出発点に、豊かな暮らしを創造するツーリズムを目指して活動しています。
 このホリスティックツーリズムの担い手となるガイド(鴨川ホリスティックツーリズム認定ガイド)を育成するなど、新たな観光の街として成長していけるよう改革しています。
 また、鴨川市を盛り上げようとする活動は民主体でも行われています。「医療法人鉄蕉会亀田メディカルセンター」のスポーツ医学科に所属する大内医師が、地域にスポーツチームがないことを問題視し、鴨川市サッカー協会と鴨川市、亀田メディカルセンターへ働きかけ、2014年(平成26年)には「医療法人鉄蕉会亀田メディカルセンター」が設立母体となり日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)に所属するサッカーチーム「オルカ鴨川」を設立し、チームは現在2部リーグで活躍しています。
 官と民が積極的に活動し進化しようとする鴨川市、これからの地方都市に不可欠なものではないでしょうか。これからの鴨川市に注目していきたいと思います。
みんなみの里
良品計画が運営する道の駅「みんなみの里」
鴨川市サッカー場
オルカ鴨川のホームグラウンド「鴨川市サッカー場」

(2020/11/10)
勝浦市(かつうらし)
地図
全国有数の勝浦漁港
 勝浦市は千葉県南東部にあり、海岸部は南房総国定公園に指定されています。人口は16,993人(2020年9月現在)と県内では一番人口の少ない市で、2014年(平成26年)には総務省から過疎地域に指定されています。
 太平洋に面した勝浦市は海岸線のほとんどがリアス式海岸で、市の中心地は勝浦湾沿いにあり、北西部は海抜150~250mの房総丘陵です。
 気候は黒潮の影響を受け、冬は暖かく夏は涼しい海洋性気候で、ヒートアイランドの影響も少ないため古くから避暑地としても知られていました。
 主な産業は漁業で古くから漁師町として栄えていました。リアス式海岸の岩場は多くの魚種が獲れ、市の中心にある勝浦漁港の鰹の水揚げは全国有数で、県内第2位の漁獲量を誇っています。農業は房総丘陵地域で行われており、米作のほか、ブルーベリー、キウイフルーツ、シイタケなどが栽培されています。
 JR東日本の外房線が通っており、勝浦駅、鵜原駅、上総興津駅、行川アイランド駅の4つの駅があります。
 市内の海岸部を抜ける国道128号線と市原市から南下しながら房総半島を縦断する国道297号線が通っていますが、高速道路は通っていないため幹線道路はこの2つの国道しかありません。
外房線
外房線
勝浦駅
勝浦駅

鵜原駅
鵜原駅
上総興津駅
上総興津駅

行川アイランド駅
行川アイランド駅
勝浦のリアス式海岸
勝浦のリアス式海岸

水戸黄門の祖母が生まれた町
 勝浦の地名は、日本神話に登場する天富命(あめとみのみこと)と共に四国の阿波の国(現在の徳島県北部)から移住した古代朝廷の祭祀を担った忌部氏(いんべうじ)が、故郷の阿波の国の「勝浦」の名前を付けたことが由来となったといわれています。
 戦国時代に安房国里見氏の武将の正木時忠が1541年(天文10年)に入城したのが始まりで、その後、二代時通(ときみち)、三代頼忠の居城となりましたが、1590年(天正18年)に豊臣秀吉により安房里見氏が領地の一部を没収されると、里見氏と親交のあった正木頼忠も城を明け渡すことになりました。
 この頼忠の娘が後に徳川家康の側室のお万の方(於萬の方)で、紀州の徳川頼宣(よりのぶ)や水戸の徳川頼房の母となりました。水戸黄門で有名な光圀はお万の方の孫にあたります。
 1590年(天正18年)には正木氏に代わって徳川家康の幕臣の植村泰忠が入城し、現在の市街地の基礎を作りました。佐賀県の呼び込朝市、石川県の輪島朝市と並び日本三大朝市のひとつといわれ、多くの観光客を集めている勝浦の朝市は、1591年(天正19年)にこの植村泰忠が農産物交換の場として開設したのが始まりといわれています。
 その後江戸初期までは寒村でしたが、地域経済の拠点として、遠隔地との交易の中継地として、発展していきました。
 1889年(明治22年)の町村制施行により、勝浦村ほか4つの村が誕生し、翌1890年(明治23年)には勝浦村が勝浦町になり、1955年(昭和30年)に勝浦町と他の村が合併して勝浦町に、そして1958年(昭和33年)に千葉県内の18番目の市として勝浦市が誕生しました。
養珠院於萬の方の像 
養珠院於萬の方(ようじゅいんおまんのかた)の像 
勝浦城址
本勝浦城址

マグロ
漁港に水揚げされたマグロ
勝浦の朝市
現在でも開かれている勝浦の朝市

レジャー、イベント、グルメそして大学の町勝浦
 透明な水質で知られる守谷海水浴場は、1996年(平成8年)に大日本水産会などで作る選定委員会が制定した日本の渚百選、2001年(平成13年)に環境省の選んだ日本の海水浴場88選、2006年(平成18年)に環境省が選定した全国各地の100か所の海水浴場のひとつ「快水浴場百選」に選ばれています。
 「勝浦」という同じ地名という縁から、徳島県勝浦町・和歌山県那智勝浦町・千葉県勝浦市で「全国勝浦ネットワーク」を作り交流をしています。そのネットワークのひとつ、和歌山県の那智勝浦町で1989年(平成元年)から始まった「ビッグひな祭り」を勝浦市でも開催することになり、2001年(平成13年)に「かつうらビッグひな祭り」が始まりました。会期中は来場者が10万人を超え、勝浦市にとって大きなイベントになっています。
 2015年(平成27年)に「第10回大会B-1グランプリin十和田」でゴールドグランプリを受賞し、全国に名前が広まった「勝浦タンタンメン」は、コラボ商品も登場するなどご当地グルメとしての地位を築いています。
 一方、勝浦市の過疎化問題は進んでいますが、人口統計では勝浦市の20歳前後の人口が突出しています。1984年(昭和59年)に開学した国際武道大学の学生が市内に住んでいるためで、その人口は全体の約1割ともいわれ、人口統計に貢献しています。
 温暖な気候、有数の漁港、イベント、朝市、ご当地グルメ、海外からも留学生を集める大学と、多くの期待要素を持った勝浦市は、遊びに行く場所だけではなく住む場所としてアフターコロナの社会で本領を発揮しほしいものです。
国際武道大学
国際武道大学
守谷海水浴場
守谷海水浴場

ビッグひな祭り
ビッグひな祭り
住宅
リゾート感満載な住宅

勝浦市役所
勝浦市役所
海の博物館
海の博物館

(2020/10/10)
大多喜町(おおたきまち)
地図
養老渓谷と城の町
 大多喜町は千葉県の南部、房総丘陵に位置し、1954年(昭和29年)に旧大多喜町、総元村、西畑村、上瀑村(かみたきむら)、老川村が合併し、東西に約12km、南北に約19kmと、千葉県内の町村では最も大きな面積を占めるようになった町です。
 内陸部に位置するために年間平均気温は15℃前後で、冬には最低気温が氷点下に達することもあり、内房・外房が雨天でも大多喜町には雪が降ることが多く、千葉県内では比較的寒い気候の地域です。
 千葉県最大の流域面積を持つ夷隅川が流れ豊富な水資源を持つことから農業が主な産業になっています。米作が最も多く、次いで畜産業、野菜と続きます。また、江戸時代初期に孟宗竹が初めて植えられ孟宗竹の栽培が始まった発信地として知られており、農作物の中で重要な位置を占めています。
 観光業も町内の就業人口の1/4を占める産業で、養老渓谷の自然豊かな土地と城下町の風情を残す街並を生かした景観は多くの観光客を集めています。春には名産の竹の子狩りなども行われ、地元で獲れた野菜などを販売している道の駅「たけゆらの里おおたき」や民間の観光施設「大多喜ハーブガーデン」も人気です。
 南関東ガス田に位置する大多喜町は、1891年(明治24年)には日本初のガス井戸が掘削され、古くから天然ガスの開発が行われ、町内には関東天然瓦斯開発、大多喜ガスなどがあります。いすみ鉄道の大多喜駅前には天然ガス記念館が作られ、天然ガスについての展示をしています。
 鉄道は、町内の北部を横断するローカル線のいすみ鉄道の上総中野駅、久我原駅、東総元駅、大多喜駅、城見ヶ丘駅の5駅があり、国道は465号線が同じく北部を横断、市原市から館山市に至る297号線(通称大多喜街道)が北東部を縦断していますが、高速道路は通っていません。
天然ガス井戸発祥の地碑
天然ガス井戸発祥の地碑
いすみ鉄道大多喜駅
いすみ鉄道大多喜駅

大多喜ハーブガーデン
人気の観光施設 大多喜ハーブガーデン
たけゆらの里おおたき
道の駅 たけゆらの里おおたき

本多忠勝、忠朝の町
 大多喜町の地域は戦国時代から城下町として繁栄してきました。応仁の乱以降は、長南の武田氏、万木の土岐氏、小浜の槍田氏、安房の里見氏が争い、最終的には里見氏が支配していました。
 1590年(天正18年)徳川家康の四天王と呼ばれた重臣の一人、本多忠勝が10万石を与えられ大多喜城を築き、11年の間領地にしていました。忠勝は安房の里見氏に備えて城と城下町を整え、その後次男の忠朝(ただとも)が引き継ぎました。
 1609年(慶長14年)スペイン船サン・フランシスコ号が航海中に難破し50人余りが溺死、300人余りが現御宿町に上陸した際に、忠朝は温情ある措置をとったことでも知られています。
 1614年(慶長19年)の大坂冬の陣で、忠朝は酒を飲んでいたために不覚をとり、敵の猛攻に遭って敗退してしまいました。翌1615(慶長20年)の大坂夏の陣で汚名返上をしようとしましたが戦死。家督は甥の政朝が継ぎましたが、1617年(元和3年)に播磨龍野藩5万石に移封されてしまいました。その後、大多喜町の地域はたびたび城主が替わり、1703年(元禄16年)からは松平氏の領地が9代続きました。
 1871年(明治4年)の廃藩置県で大多喜県になった後、木更津県を経て千葉県に編入され、1954年(昭和29年)に現在の大多喜町が誕生しました。
大多喜城
大多喜城
墓碑
本多忠勝・忠朝・政朝の墓碑

本多忠勝像
町の中心街の行徳橋にある本多忠勝像
観光協会の建物
大多喜駅前の観光協会の建物も江戸の趣

城下町大多喜は建築の町の一面も
 大多喜城をシンボルにした大多喜町の中心街には、国指定重要文化財の渡辺家住宅、登録有形文化財の伊勢幸や豊乃鶴酒造、大屋旅館などが点在し、町の中心となっている城下町通りは小江戸の雰囲気を残す観光地になっています。
 2009年(平成21年)にはNHK大河ドラマ「本多忠勝」誘致実行委員会(現NHK大河ドラマ「本多忠勝・忠朝」誘致実行委員会)が組織され、小江戸の趣を残した大多喜町に町を挙げて誘致することによって観光の活性化に取り組んでいます。また、2017年(平成29年)に千葉県の建築文化賞を受賞した古民家を再生し、一棟貸の宿泊施設にした「まるがやつ」がオープンし、里山暮らしの体験を伝える活動をするなど古民家再生への取り組みも始まっています。
 一方、江戸の建物だけでなく、現代建築に興味のある方にも見逃せないスポットだということはあまり知られていません。大多喜町役場の中庁舎(旧本庁舎)は、1954年(昭和29年)に早稲田大学建築学科で教鞭をとっていた今井兼次氏(1895年~1987年)設計のもので、日本建築学会作品賞を受賞、2013年(平成25年)にはユネスコ文化遺産保全のためのアジア太平洋遺産賞を受賞しました。他にも大多喜町立大多喜小学校や、現在は廃校となってワーキングスペースとして活用されている旧老川小学校など、建築賞を受賞した建物もあり、小江戸とは違った現代建築を見る事ができます。
 大多喜町では町の活性化と観光客の更なる誘致を進めるため、さまざまな取り組みも始まっています。大多喜町商工会は、ふるさと産品を「大多喜じのもん推奨品」と名付け、地元の商品の支援活動を行っているほか、2018年(平成30年)より「シティセールス」および「シティプロモーション」の「大多喜町ブランディングプロジェクト」を推進し、「城下町」大多喜町のブランド価値を上げる取り組みが始まっています。
 これからの「城下町大多喜」の知名度向上が楽しみです。
伊勢幸
伊勢幸(酒屋)
渡辺家住宅
渡辺家住宅

大多喜町役場
大多喜町役場
大多喜小学校
後ろに大多喜城が見えるモダンな大多喜小学校

(2020/9/10)
酒々井町(しすいまち)
地図
「酒が湧き出る井戸」のある町
 酒々井町は千葉県北部の印旛郡にあり、1889年(明治22年)明治憲法下の地方制度が施行されて以来、合併が行われていない数少ない自治体のひとつです。江戸時代には、成田山新勝寺や芝山不動尊参詣の宿場町の酒々井宿として栄えていました。
 「酒々井」という名前の由来は、ある村に「酒が湧き出る井戸」があったため、という伝説が残っており、この町名からもわかるように古くから醸造業が盛んでしたが、現在残っているのは株式会社飯沼本家の一社だけになっています。
 主な産業は農業で、米作・落花生・ハーブなどですが、自然薯栽培も行われています。自然薯は本来自生しているものですが、研究を重ね栽培に成功し、町の特産品になりました。
 古くは成田道、芝山道、佐倉道、東金道、多古道/銚子道と多くの街道が通っていた酒々井町は、現在では国道51号が街の北部を縦断し、それにクロスして国道296号が横断しています。また、町の南部を縦断する東関東自動車道が1978年(昭和53年)に開通し、2013年(平成25年)には酒々井インターチェンジができ、町へのアクセスを更に向上させました。
 鉄道はJR成田線の酒々井駅、総武本線の南酒々井駅、京成電鉄の酒々井駅と宗吾参道駅の四つの駅があり、宿場町として栄えただけあって比較的鉄道アクセスの良い町です。
伝説の井戸と酒の井の碑
円福院の境内に作られた伝説の井戸と酒の井の碑
南酒々井駅
JR総武本線 南酒々井駅

京成宗吾参道駅
京成宗吾参道駅
広大な田園風景
広大な田園風景

戦国時代には城下町、江戸時代には宿場町
 現在の酒々井町と佐倉市にまたがる地域には、戦国時代に築城された本佐倉城(もとさくらじょう)がありました。千葉氏宗家の本拠地として北総地域の中心地的存在で、印旛沼の水運を利用した水上交通管制の要衝でした。その後、豊臣政権の小田原征伐によって北条氏側についた千葉氏は本佐倉城を改易され、1610年(慶長15年)に築城された佐倉城に佐倉藩の藩庁が移転となったため、1615年(元和元年)に本佐倉城は廃城となりました。本佐倉城跡は国の史跡に指定され、2017年(平成29年)に財団法人日本城郭協会の「続日本の100名城」に名前を連ねるようになりました。
 政治的中心地からは外れましたが、江戸時代には宿場町として栄え、馬を扱う幕府直轄の野馬会所(馬市場)が作られ、農業や酒造業が盛んに行われていました。
 酒々井町登録有形文化財莇吉五郎(あざみきちごろう)家は、江戸時代の後期に油販売で成功し、明治初期の吉五郎の代には醤油醸造業を営んでいました。また、呉服屋島田長右衛門家は、江戸時代に幕府野馬御用を勤めていた家で広い敷地を有し、かつては宅地裏に野馬会所と野馬払い場が続いていました。隣接する灯油製造島田政五郎家島田長右衛門家はその分家です。
 1897年(明治30年)には酒々井駅、1914年(大正3年)には南酒々井駅、1926年(大正15年)に京成酒々井駅、1928年(昭和3年)には宗吾駅(現宗吾参道駅)と相次いで鉄道が開通し駅が設置されました。
 酒々井町は東京の都心から40~50km圏内で、成田や佐倉などにも近いことから、昭和の中期にはベッドタウンとして開発が進み、1960年代にはJR酒々井駅近くに酒々井町中央団地などの団地が作られました。
本佐倉城跡
国の史跡となった本佐倉城跡
千葉氏の定紋「月星」
城跡に建てられている千葉氏の定紋「月星」

莇吉五郎家
醤油醸造の莇吉五郎(あざみきちごろう)家
呉服屋と灯油製造の家
呉服屋島田長右衛門家と灯油製造島田政五郎家

酒々井駅
JR成田線 酒々井駅
酒々井町中央団地
酒々井町中央団地

空に続く宿場町
 町の南部を縦断する東関東自動車道は成田空港へアクセスする幹線道路で、酒々井町が空港から車で約10分の場所だったことから、2013年(平成25年)に酒々井インターチェンジが追加されました。そこから約1キロメートルの場所にインバウンドをターゲットにした「酒々井プレミアム・アウトレット」が開業し、多くの訪日観光客が訪れています。このアウトレットができたことで「酒々井」という名前は、国内はもとより海外へも伝わるチャンスになりました。
 そこで酒々井町は、酒々井の歴史や自然を生かして交流支援の拠点づくりを進めるとともに、インバウンドをターゲットとしたプロモーションを行うなど観光振興施策をとっています。
 2019年(令和元年)には「酒々井プレミアム・アウトレット」の隣接地に「まるごとしすい」がオープンし、酒々井町の特産品開発の推進や観光案内などを行うとともに、レンタサイクルの貸し出しや土日祝日には「楽市」を開催して、町の特産品や地元野菜などの販売を行っています。
 都心からのアクセスも良く、城下町から宿場町へと歴史を作ってきた酒々井町は現在も交通の要衝に位置し、空に続く宿場町として発展していくことが期待されます。
酒々井インターチェンジ
東関東自動車道酒々井インターチェンジ付近
酒々井プレミアム・アウトレット
酒々井プレミアム・アウトレット

まるごとしすい
まるごとしすい
飯沼本家とまがり家
飯沼本家(正面)とまがり家(左側)

酒々井町役場
酒々井町役場
京成酒々井駅
京成酒々井駅

(2020/8/7)
長南町(ちょうなんまち)
地図
自然豊かな町
 長南町は、千葉県南東部の房総丘陵に位置しているため平地が少ない山がちな地形で、茂原市に隣接しています。房総半島の中部に位置し、内房や外房の沿岸部が雨でも、長南町は内陸部のためか冬には雪になることが多いようです。蛍を見ることができる自然豊かな地域で、町内には1985年(昭和60年)に環境省が選定した名水百選に選ばれた熊野の清水(ゆやのしみず)があります。
 至る所に田園風景が広がっていることからもわかるように、産業は農業が中心で、米作のほか原木シイタケやレンコン、自然薯なども栽培されています。特筆すべき資源は天然ガスです。長南町は千葉県を中心に拡がっている「南関東ガス田」に該当することから、水溶性の天然ガスに恵まれており、産出した天然ガスは町内に供給されています。
 長南町内には鉄道が通っていないので、鉄道を利用する際は市原市にある小湊鉄道の上総牛久駅か茂原市の茂原駅を利用することになります。
 道路は町の北部を国道409号線が横断しているほか、町の中央部を首都圏中央連絡自動車道(圏央道)が横断しており、2013年(平成25年)4月から茂原市との境界に「茂原長南インターチェンジ」ができたことにより、長南町へのアクセスが向上しました。
小湊鉄道上総牛久駅
最寄りの駅のひとつ小湊鉄道上総牛久駅
JR外房線茂原駅
JR外房線茂原駅(東口)

国道409号線
国道409号線
茂原長南インターチェンジ
首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の
茂原長南インターチェンジ

古刹の町
 町内には古刹が多く、なかでも知られているのは784年(延暦3年)に最澄(さいちょう)が開基したと伝えられる大悲山楠光院 笠森寺(通称「笠森観音」)です。笠森観音は、神奈川県・埼玉県・東京都・群馬県・栃木県・茨城県・千葉県にある坂東三十三箇所の観音霊場の31番目の札所で、本尊の十一面観音を納めている観音堂は61本の柱で支えられた四方懸造(しほうかけづくり)という構造で、日本で唯一の建築様式のため国の重要文化財になっています。周辺の森は開基当時から禁伐林として保護され、現在でも「笠森寺自然林」として国の天然記念物に指定されています。
 国道409号線を笠森観音から3km ほど東に移動すると、三途河頭 極楽東門 蓮華台上 阿弥陀坊 太平埜山 本実成院 長副寿寺(さんずがとう・ごくらくとうもん・れんげだいじょう・あみだぼう・たいへいやさん・ほんじつじょういん・ちょうふくじゅじ)(通称長副寿寺)があります。こちらも798年(延暦17年)に最澄が開基したと伝えられています。中世には天台宗の檀林(仏教の学問所)となり、安房、上総、下総の房総三国の308の末寺を抱えた「西に比叡山、東に長福寿寺」といわれほどの天台宗の大本山でした。現在は「金運増大」の千葉県最大の開運パワースポットとして有名になり「日本一宝くじが当たる寺」として定評があります。
 長福寿寺の敷地内には7万共10万ともいわれる関東随一の紅花畑があり、「紅花の寺」としても有名です。合成可能な染料が普及したため、現在、紅花はこの畑だけになってしまいましたが、長南町の紅花栽培の歴史は古く、934年(承平4年)に菅原道真の子の滋殖(しげいく)が移り住んだ際に持ち込んだのが始まりといわれ、平安時代の長南町は紅花で栄えていたようです。1984年(昭和59年)から毎年6月中旬には紅花フェスティバルが行われています。
笠森寺の観音堂
四方懸造の笠森寺の観音堂
笠森寺自然林
笠森寺へと向かう参道がある笠森寺自然林

長福寿寺
お寺には珍しい「象」が迎える長福寿寺
紅花
長福寿寺脇にある6月後半に開花する紅花

観光とオーガニック農法施設に期待
 町のホームページでも紹介ページがあるほどの8箇所のゴルフ場を抱えている長南町は、ゴルフだけでなく観光地としての側面も持っています。古刹の笠森寺や長福寿寺をはじめ、春は野見金公園(のみがねこうえん)の河津桜、6月は長福寿寺の紅花、野見金公園のあじさい、白井田園の花菖蒲など、「ぐるっと長南花めぐり」と巡回バスで巡るイベントなども催され、多くの観光客が訪れています。
 長南町出身の偉人として知られている渡邉辰五郎は、日本の女子職業学校の先駆者で、1884年(明治17年)に私塾として「和洋裁縫伝習所」(現・東京家政大学)を創設、更に共立女子職業学校(現・共立女子大学)創設にも関与しました。長南町は、この偉人が創設した東京家政大学との協働事業として「(仮称)渡邉辰五郎記念館基本構想」を計画しているほか、産学連携のコラボとして長南町の特産品を使った「特産品の丼メニューコンテスト」も開催しました。
 また、圏央道からのアクセスの良さをアピールし企業誘致を推進するほか、空き公共施設の活用などを推し進め、民間事業者が学校の跡地をドローンスクールと映画やドラマ撮影のスクールスタジオとして利用する取り組みが始まっています。
 一方、千葉県から譲渡された長南西部工業団地跡地活用では、「オーガニック農法による循環型農業」を展開する計画が進められています。この施設はオーガニック農業のほか、国内外や学校等の見学者の受け入れ、レストランやマラソン大会やロードバイク大会が行える施設も予定されています。
 アクセス向上と観光で人の流れが増え、町の繁栄を目指すこれからの長南町は注目です。
見晴らしテラス
周りが一望できる野見金公園の展望台「見晴らしテラス」
野見金公園
あじさいの名所野見金公園

長南町役場
長南町役場
東小学校跡
ドローンスクールとスクールスタジオになる東小学校跡

(2020/7/10)
九十九里町(くじゅうくりまち)
地図
イワシの町九十九里町
 九十九里町は千葉県東部の太平洋側、刑部岬から太東岬まで続く九十九里浜の中ほどにある人口約15,000人(2020年3月現在)の町で、夏は涼しく冬は暖かい気候のため、以前は避暑地や寒さを避ける避寒地として観光客が訪れていました。海岸に面しているところから漁業中心の町のように思えますが、実際の産業の中心は農業で野菜類と花きの出荷額が多く、メロンやトマトなどが盛んに栽培されています。
 漁業は、イワシやハマグリ、サザエなどが特産品で、水産加工品として主にイワシの加工食品などが製造されています。
 1926年(大正15年)から1961年(昭和36年)までは現在の東金駅から九十九里町の片貝(上総片貝駅)まで九十九里鉄道が走っていましたが、1961年(昭和36年)に廃止され、路線バスに替わってしまったため、現在町内には鉄道はありません。鉄道を利用する際の最寄り駅は、JR東金線の東金駅または求名(ぐみょう)駅になります。
 また、町内に国道は通っていませんが、海岸線を千葉県道路公社が管理する「九十九里有料道路」(別名波乗り道路)が通っており、町内の片貝インターチェンジから一宮町を結んでいます。
片貝駅
現在はバスの車庫になっている旧九十九里鉄道の片貝駅
片貝入口
九十九里有料道路の始まりとなる片貝入口

ビーチタワー
九十九里町の豊海海岸に建っているビーチタワー
九十九里海岸
九十九里海岸

偉人ゆかりの町
 江戸時代初めには、当時肥料として盛んに使われるようになったイワシを乾燥させた干鰯(ほしか)や煮て魚油を絞った残りの〆粕(しめかす)が大量に使用されるようになり、イワシ漁の先進的な漁法と加工法を持った紀州(現在の和歌山県)などの漁民が九十九里にやって来るようになりました。肥料の大漁消費地となった江戸に供給するための地曳網の漁場として、また干鰯の加工場として、九十九里が最適な場所だったからです。しかし、イワシの不漁などの影響もあり、今では観光用の地引網しか行っていません。なお、九十九里町の中心部片貝(旧片貝町)の名前は、前述の紀州から渡ってきた漁民にちなんだ名前といわれています。
 九十九里町は歴史上の偉人との関係も少なくありません。江戸時代1732年(享保17年)発生した「享保の大飢饉」の対策として八代将軍の徳川吉宗の命を受けた青木昆陽が、甘藷(サツマイモ)を試作する地として選んだ3か所のひとつが九十九里町でした。日本全国を測量して「大日本沿海輿地全図」を作成した伊能忠敬も、上総国山辺郡小関村(現千葉県山武郡九十九里町小関)の生まれでした。
 更に、明治・大正時代に活躍した文豪の徳富蘆花は、健康を損ね1ヶ月の療養生活を九十九里で過ごしました。他にも、竹久夢二、「智恵子抄」で知られている高村光太郎などがこの九十九里町で過ごし、石碑などが置かれています。
国民宿舎サンライズ九十九里
国民宿舎サンライズ九十九里
智恵子抄詩碑
サンライズ九十九里裏手にある高村光太郎の智恵子抄詩碑

石碑
甘藷の試作地に建てられた石碑
伊能忠敬の銅像
公園となっている生誕の地に建てられた伊能忠敬の銅像

天然の資源と観光振興ビジョンでビジネスを元気に
 九十九里町の資源は温暖な気候、そして南関東一帯に広がる日本最大の水溶性天然ガス田から供給される天然ガス、九十九里浜の海、イワシ、ハマグリなどの海産物、肥沃な土地で採れる農作物と環境に恵まれた土地です。
 かつてはイワシの産地で避暑地だった九十九里町は、海水浴やサーフィン、海釣りなど海のレジャーの地としても多くの観光客を呼んでいました。しかし昨今では海水浴離れ、温暖化などの地球環境の変化によるイワシの不漁など、大きく環境が変わってしまいました。
 そこで九十九里町では2017年(平成29年)には「九十九里町観光振興ビジョン」を策定し「海」「食」「町にゆかりの偉人」などを切り口に、町内を自由にめぐることができるように「レンタサイクルの整備」、フィルムコミッションの活動による「ロケツーリズムの推進」、フェイスブックやインスタグラムなど「SNSを活用した情報発信」などの振興策を掲げ、取り組んでいます。
 更に、2011年(平成23年)から2020年(令和2年)までの第4次九十九里総合計画を決定し「少子高齢化と人口減少対策」「雇用を生み出すまちづくり」「海を楽しむことのできる環境を重視したまちづくり」「安全・安心のまちづくり」と4つのテーマをあげ、町の改革に尽力しています。
 東京から車で1時間半の距離で手に入る、レジャーにもってこいの自然と海、海産物と農産物が豊富な「食」、過ごしやすい温暖な気候。環境に恵まれている九十九里町は、「近くにあるリゾート地」として期待大といえるでしょう。
九十九里町役場
九十九里町役場
九十九里町ガス課
町営の天然ガスを扱う九十九里町ガス課

多数の飲食店
九十九里町名産の焼き蛤などを食べさせる多数の飲食店
片貝海岸
サーフィンスポットの片貝海岸

(2020/6/10)
睦沢町(むつざわまち)
地図
鉄道・国道はないが天然ガス資源豊富な町
 比較的温暖な気候の睦沢町は、房総半島南部の房総丘陵にある人口約7,000人(2020年4月調べ)の県内で3番目に人口が少ない町です。
 町の中心には埴生川・瑞沢川・長楽寺川の3本の川が流れているため、町内には肥沃な農地が広がっており、上総地域屈指の穀倉地帯になっています。睦沢町の米「むつざわ米」を使って商品化した「里山レシピ・ビーンリゾット」や、睦沢産の酒米で作った日本酒「睦水(ぼくすい)」などが町の特産品になっています。
 特筆すべきは、睦沢町は日本最大の水溶性天然ガス田「南関東ガス田」の中に位置しているため、町内を流れる埴生川・瑞沢川流域で天然ガスが湧き出しているのを見ることができることです。産出した天然ガスは、隣接する長南町のガス事業者によって睦沢町に供給されています。
 町内には鉄道は通っておらず、鉄道を利用する際は隣接する一宮町の「上総一ノ宮駅」、いすみ市の「城見ヶ丘駅」、茂原市の「茂原駅」などの駅を利用することになります。国道も通っていないため、主要道路は県道になります。
田園風景
町の繁華街のすぐ裏に広がる田園風景
上総一ノ宮駅
最寄りのJR外房線「上総一ノ宮駅」

瑞沢川
町内を流れる瑞沢川
湧き出る天然ガス
瑞沢川の川面に湧き出ている天然ガス

その名のとおり人々が「集う」「道の駅むつざわ つどいの郷」
 街のほぼ中心に2019年に移転してリニューアルされた「道の駅むつざわ つどいの郷」があります。この道の駅は名実ともに睦沢町発信の拠点となっており、施設内の「つどいの市場」には地元で採れた米や農産物、加工品などが販売されています。
 睦沢町で湧き出ている天然ガスは、塩化ナトリウムとヨウ素を含んだ「かん水」という地下水に含まれており、この「かん水」が温泉としても利用されることから、天然ガスで温めた「むつざわ温泉 つどいの湯」という温泉施設が「道の駅むつざわ つどいの郷」に併設されています。
 また「道の駅むつざわ つどいの郷」には、地元食材を生かした「Trattoria Due(トラットリア・ドゥーエ)」というイタリアンレストランや、「つどいのハコ」という有料で利用できるレンタルルームも併設されています。
 隣接地には、睦沢町を拠点に耕作放棄地を使って国産オリーブの生産にチャレンジしている「株式会社房総オリーヴ」が「オリーブの森」という施設をオープンしました。ドッグランやサイクルステーション(レンタサイクル)、バーベキュー施設などの他、オリーブの樹が植わる小山や芝生の広場、オリーブオイルをしぼる加工施設などが揃っています。
むつざわ つどいの郷
「つどいの湯」も併設した道の駅「むつざわ つどいの郷」
つどいの湯の暖簾
奥に見えるのは「つどいの湯」の暖簾

オリーブの森
道の駅に隣接している「オリーブの森」 
ドッグラン
「オリーブの森」に併設されたドッグラン

新しい町と町民の取り組みに注目
 人口減少が続く睦沢町では、「持続可能なまちづくり」を実現するため「道の駅むつざわ つどいの郷」に隣接して33棟の町営賃貸住宅「むつざわスマートウェルネスタウン」を建設しました。
 この住宅には地元の天然ガスで発電するシステムを取り入れ、住宅や隣接する道の駅の電気、温泉の熱源にも利用、更に災害時に備えて道の駅に防災備蓄倉庫や防災広場を設置、「無電柱化」することで災害時の安全を確保し、景観の美しさも保てるようになっています。
 2019年台風15号で千葉県の広域で起きた大規模停電時でも、一時的に停電はしたものの、ガスエンジン発電機を稼働させて送電し、発電機の排熱で水道水を加熱して周辺住民へ温水シャワーの提供が行われました。この「むつざわスマートウェルネスタウン」は、地域の資源を地域で消費する新しい試みとして全国から注目されています。
 また、睦沢町生まれで一度は町外に出て生活していたUターン組が集まって「魅力発信★むつざわ未来ラボ」が結成され、「むつざわに来てね」というWebサイトで睦沢町の魅力の発信や、地域資源の有効活用、移住定住促進の推進、地域活動のサポートなどの活動を行っています。
 「小さい町」睦沢町は、自然エネルギーとUターン組の活発な活動を通して、新しい町づくりが進んでいるのを目の当たりにすることができます。睦沢町は千葉県をより活性化する「新しい取り組み」のモデルケースになっていくのではないでしょうか。
スマートウェルネスタウン
災害時でも電気を復旧させたスマートウェルネスタウン
ガスタンク
町内の天然ガスをためるガスタンク

睦沢町役場
睦沢町役場
睦沢運動公園
体育館やグランドがある睦沢運動公園

(2020/5/8)
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