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【ちばのへり】
 海と川に囲まれた千葉県の「へり」には何があるのか。ビジネスの種が見つかるかもしれません。そんなビジネスの種を見つけるため、「ちばのへり」コーナーではそんな「種」を探してご紹介します。
Vol.84 【ちばのへり】県境
県境
千葉県は島なのか
 千葉県は「本州と陸続きではない」「島である」という説が、ネット上で拡散して話題になったことがあった様です。確かに千葉県は海と利根川、江戸川が県境になっていて、本州から離れているように見える事は確かです。学術的定義で「島」は「自然の海や川、湖で囲まれている場所」とされています。しかし、現在の利根川や江戸川は、江戸時代に行われた「利根川東遷」をはじめ「人工的に作られた水路」が県境になっているため、学術的には「島」ではないという事になります。
 実際には「県境」の全てが利根川で区切られているわけではなく、一部対岸の茨城県に食い込んでいる所や、逆に千葉県側の一部が茨城県に食い込んでいる地域が存在しています。
 具体的には、野田市北端の関宿城(千葉県立関宿城博物館)の北側で、利根川から江戸川が分岐している場所は、千葉県と地続きになっているものの茨城県猿島郡五霞町になっています。また、我孫子市の「利根川」と「古利根沼」に挟まれた地域も茨城県の取手市になっています。
 一方、「利根川」を挟んだ茨城県側にも千葉県が存在します。野田市の木野崎は一部対岸の茨城県内に存在します。更に香取市付近でも「利根川」対岸や、「利根川」と「横利根川」、「常陸利根川」に挟まれた「中洲」の様になっている田園地帯も千葉県になっています。
 「千葉県は島である」という説も一見そのように見えるだけで、「人工的に作られた河川」という理由を除いても島ではないという事です。
県境の江戸川と利根川
東京都との県境 江戸川
国道468号(県央道)が横断する利根川の対岸は茨城県

廃藩置県によって出来た県境
 千葉県の県境が出来たのは明治時代に入ってからで、江戸時代の房総半島は幕府直轄地・藩領・旗本領が複雑に配置されており、幕末には「下総国(しもうさのくに)」は9つの藩が、「上総国(かずさのくに)」は13の藩が、更に「安房国(あわのくに)」には4つの藩と合計で26の藩がありました。
 1871年(明治4年)に行われた「廃藩置県」では日本の県を「3府302県」にする案が作成され、江戸時代に一定の規模を持っていた藩はほぼそのまま継承され、中小の藩が吸収される形で「府県」が作られました。
 千葉県には「下総国」に10の県、「上総国」に12の県、そして「安房国」には4つの県ができ、合計で26の県と、藩の時代と変わらない県が出来上ました。更に11月にはフランスの地方制度を参考にして、再び「廃藩置県」が実施され、30~40万石の旧石高を目安に、古代の「律令制度」で作られた一国一県の行政区分にならって3府73県の区画に変更される事になりました。千葉県は、「上総・安房」の地域が「木更津県」に、「下総地域」は「印旛県」に、現在の茨城県南部と銚子などを含む千葉県東部にあたる場所は「新治県(にいはりけん)」に統合されました。この時点では千葉県の県境は利根川を境にしたものではなく、現在と比べ茨城県や埼玉県にはみ出した形になっていました。
 1873年(明治6年)6月15日に木更津・印旛の両県をひとつにして千葉県が誕生し、1984年(昭和59年)にこの日を記念して、「県民の日」になりました。
矢切の渡しと香取神宮
矢切の渡しの対岸は東京都
香取神宮一の鳥居から見える利根川の対岸も香取市

千葉県県境
 
 

利根川の改修で飛地が生まれる
 現在の茨城県の南西部を除いた「旧常陸国」だった地域はで、茨城県を拡大させるために1875年(明治8年)に利根川を境界に常陸、下総、上総、安房の四つの国で千葉県と茨城県の組み換えが行われました。利根川から南の香取郡、海上郡、匝瑳郡の三郡は、「旧常陸国」から切り離されて千葉県に編入されました。更に利根川と常陸利根川に挟まれた「十六島新田」と呼ばれていた扇島地区は、香取市地区との密接な関係を考慮し千葉県に編入され、それまで「新治県」となっていた地域が解体され、「新治県」の北部地域が茨城県に編入され、「旧常陸」は一国にまとまりました。
 また、「旧下総国」は「印旛県」の利根川北岸が茨城県に編入され、南岸側は従来通り千葉県に留まりました。これによって「下総国」の九郡が二分され、葛飾・相馬の二郡が利根川によって千葉と茨城に分割される事になりました。
 このように利根川で県境が作られたものの、江戸幕府が「利根川東遷」で整備された利根川が大きく湾曲している現在の我孫子市の青山地区から小堀地区にかけての地域では、堤防が決壊して水害が発生する事が多々ありました。そこで1911年(明治44年)から1920年(大正9年)にかけて利根川の改修工事が行われ、湾曲していた利根川が現在の様に北側に移動し、湾曲していた部分は「古利根沼」になりました。しかし県境はそのままだったため、「古利根沼」の場所が県境となり、一部が利根川を越えて茨城県の「飛地」になりました。他にも香取市野間谷原地区、野田市木野崎地区も同様に改修が行われたため利根川を越え、茨城県側の飛地生まれました。
 一方、江戸川と利根川が交差する野田市先端にも陸続きであるにも関わらず茨城県になっています。ここは利根川と江戸川が分岐する地点で、川が運んだ土砂が堆積し当初の県境を越えて出来た陸地のため不自然な県境が出来たのだと考えられます。
 このように明治時代に利根川や江戸川で県境が出来たものの、「暴れ川利根川」の水害対策によって生まれた飛地が存在している事からも「千葉県は島ではない」といえるでしょう。
古利根沼
利根川の改修によって沼になった「古利根沼」
関宿城の右側が県境土砂の堆積で出来た茨城県

(2025/3/10)
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