●Vol.79 【ちばのへり】九十九里浜Ⅱ
九十九里浜Ⅱ
海水浴が「売り」になった千葉の海
九十九里浜の最北端にあたる旭市飯岡町は、「天保水滸伝」の主役のひとり「飯岡助五郎」が活躍した地であり、小説、更に映画にもなった「座頭市」のモデルとなった人物がいた場所でもあります。他にも全国を測量して初の日本地図を完成させた「伊能忠敬」や歌人・小説家の「伊藤左千夫」の誕生した地など、多くの偉人を輩出した場所でもあります。
明治時代に日本に招かれたドイツ人医師「エルウィン・フォン・ベルツ」が「療養」という考え方のもと「西洋風の海水浴の場所」として鎌倉の「七里ヶ浜」を紹介した事がきっかけで、その波が「海あり県」千葉にも広がっていきました。
千葉県初の海水浴場が千葉市の稲毛海岸に作られた事で、徐々に太平洋を望む「日本最大級の砂浜」九十九里浜にも広がっていきました。また九十九里浜の一帯は、芥川龍之介、高村光太郎をはじめ多くの文人・文化人などに療養地・保養地としても愛され、各地に石碑が残されています。
「海水浴」は「療養」からレジャーとして徐々に庶民にも広がり、海水浴に最適な「日本最大級の砂浜」を持つ「九十九里浜」には多くの「海水浴場」が誕生し、周辺には旅館や民宿などが徐々に増えると共に「海の家」も出店され、「海水浴客」でにぎわう千葉県の観光の目玉のひとつにまで成長しました。
また、太平洋を望む「九十九里浜」は、あちこちで「釣り師」を見かける事が出来る「釣りスポット」しても人気です。特に太東港や片貝漁港、栗山川河口などは初心者にもお勧めの釣りスポットになっています。更に九十九里町には誰でも気軽に海釣り体験ができる施設まで出来ています。
飯岡町の「座頭市」物語発祥の地記念碑
九十九里町にある伊能忠敬生誕の地に作られた銅像
気軽に海釣りが体験できる釣り堀
白子町中里海水浴場
外房はサーフィンのメッカ
太平洋を望む「九十九里浜」は、1965年(昭和40年)頃から普及し始めた「サーフィン」にとって格好な波が押し寄せる場所だという事が浸透し始め、多くのサーファーが訪れるようになりました。中でも九十九里浜の南端にあたる一宮町の「釣ヶ崎海岸」は年間を通して良質な波が押し寄せる場所として知られ、九十九里浜の中でも最適なスポットとして多くのサーファーが集まるようになりました。
九十九里町の「片貝海水浴場入り口」から一宮町まで海岸線を通る全長17.2kmの有料道路「九十九里有料道路」は、1972年(昭和47年)に開通しました。観光客誘致と地域開発を目的に作られた道路で、「サーフィンの聖地」として知られている事から別名「波乗り道路」とも呼ばれています。
多くのサーファーが訪れるこの地域の全長66kmに渡る九十九里浜に沿った県道30号及び国道128号沿いは、サーファーを意識した飲食店やサーフショップなど数多く見かける事が出来ます。特に「一宮町」はサーファーをターゲットとした店舗が軒並み並んでおり、一目でサーフィンの町である事が分かるほどです。
2021年(令和3年)にコロナ禍の中で開催された「東京オリンピック」では、既に国際大会も開かれていた一宮町の「釣ヶ崎海岸」がサーフィン競技会場に選ばれ、全世界に知られるようになりました。現在「釣ヶ崎海岸」にはオリンピック会場であった記念のモニュメントが置かれています。
サーファーが集まる一宮町の釣ヶ崎海岸
釣ヶ崎海岸に作られたオリンピック記念モニュメント
新たな観光資源開発に期待
千葉県は国の「レクリエーション都市構想」に基づき、既に海水浴場が定着していた九十九里浜北部の山武市1975年(昭和50年)に大都市圏等から生じるレクリエーション需要を充足するため、山武市蓮沼におよそ4kmにわたるエリアを整備して「蓮沼海浜公園」を作りました。蓮沼海浜公園は公園施設のほか、東京ドームの1.5倍位の面積を持つ千葉県最大級のプール「蓮沼ウォーターガーデン」があります。また、「こどものひろば」には展望塔を備えた遊園地、更に宿泊施設「蓮沼ガーデンハウス マリーノ」、他にもテニスコート、野球場、サッカー場、パークゴルフ場、グランドゴルフ場、体育館などのスポーツ施設を持ち、地元はもとより、観光近郊からのレジャー客を集めていました。そして、開業以来人気を博した「蓮沼海浜公園」は2021年(令和3年)には施設の老朽化や観光やレジャーの多様化に対応するため、大幅なリニューアルが計画され、現在のニーズに合った施設として生まれ変わり、家族連れをはじめ多くの観光客が訪れています。
一方遅れて海水浴場をオープンさせた白子町の宿泊施設は、後発であるゆえ苦戦を強いられ、軽井沢にならってテニスに注目し大きく舵を切って差別化を図り成功を納めました。更にテニスブームが落ち着いて来ると、グランドゴルフやゲートボール、サッカー場など新たなスポーツにも取り組み、九十九里浜のほかの地域との差別化に成功しています。
2011年(平成23年)に発生した東日本大震災後の夏は「飯岡海水浴場」と「矢指ヶ浦海水浴場」の2箇所は津波被害で開場する事が出来ず、2020年(令和2年)から始まった「コロナ禍」では全ての海水浴場が閉鎖になるなど、パンデミックや災害が原因で観光資源となっている海水浴場が閉鎖され大きな打撃を受けてきました。
夏のレジャーの代表として広く浸透し、若者達はこぞって肌を黒く焼いていましたが、世の中の流れが「美白」に向き、更に地球温暖化やエルニーニョ現象の影響で100年前の夏と比べてより気温が高くなっており、皮膚への影響も大きくなった事で「海水浴離れ」も進み「海水浴場」はかつての賑わいを見せる事がなくなってしましました。白子町の事例の様に、「海あり県千葉」の新たな観光資源を開発していく事に期待したいと思います。
様々なレジャー施設が揃った蓮沼海浜公園
テニスの合宿や大会が行われる白子町のテニスコート
遊泳禁止になった飯岡海水浴場
遊泳禁止になった矢指ヶ浦海水浴場
(2024/10/10)