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ちばのたね
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ちばのたね バックナンバー(61~72)
大多喜町 大多喜城
地図
大多喜町の中心「大多喜城」
 房総半島の南部の房総丘陵に位置し森林が70%を占める大多喜町は、北部に千葉県最大の流域面積を持つ蛇行する「夷隅川」が、西部には観光地で人気の養老渓谷の名所「粟又の滝」がある「養老川」が流れています。
 また南関東一帯に広がる水溶性の日本最大の天然ガス田「南関東ガス田」は、1891年(明治24年)に大多喜町の山崎屋太田卯八郎によって発見され、大多喜町が天然ガス発祥の地とされています。
 町の中心にある大多喜城は1871年(明治4年)に取り壊されましたが、1835年(天保6年)に作成された図面を元に1975年(昭和50年)に鉄筋コンクリートの三層4階建て天守の再建築が行われました。再構築された大多喜城は2017年(平成29年)に財団法人日本城郭協会が認定する「続日本の100名城」に選定されました。また大多喜城の中には「千葉県立中央博物館大多喜城分館」が設置されました。大多喜城に隣接している「千葉県立大多喜高校」は城跡に建設されたため、敷地内に「二の丸御殿薬医門(にのまるごてんやくいもん)」や「大井戸」などが残されています。
 1609年(慶長14年)にスペインの貴族でフィリピンの臨時総督「ドン・ロドリゴ」が次期総督と交替するためフィリピンのマニラからアカプルコに向けての航海中に台風に遭遇し、乗船していた「サン・フランシスコ号」が難破してしまいました。漂着した彼らを大多喜藩領の岩和田村(現在の御宿町)の人々が救助し、当時の藩主で「本田忠勝」の次男「忠朝」もロドリゴのもとを訪れ、幕府に報告すると共に彼らに温情のある措置をとりました。
 救助されたロドリゴ達は、大多喜城で忠朝の歓待を受けた後、江戸城に立ち寄り、その後駿府城で家康と会見をするなどして無事にアカプルコに戻ることができたという逸話が残っています。
粟又の滝
多くの観光客が訪れる養老渓谷の粟又の滝
上陸地
現御宿町にあるドン・ロドリゴの上陸地

薬医門
同じく大多喜高校内に残っている「薬医門」
大井戸
千葉県立大多喜高校敷地内にある大井戸

本田忠勝・忠朝が大多喜町の礎となる
 千葉で勢力を持っていた「真里谷氏」は、「武田信玄」を生み出した甲斐国(現在の山梨県)の武田氏が始まりで、十代目の「武田信満」の次男「武田信長」が1456年(康生2年)に下総国古河(現在の茨城県)を本拠としていた足利成氏の命を受け上総国に侵入したのが千葉の武田氏の始まりでした。孫の「信興(のぶおき)」は「真里谷」と改称して真里谷氏の祖となりました。
 大多喜城は、「真里谷信興」の孫の「信清」が1521年(大永元年)に「小田喜城」として築いたのが始まりだとされています。その後1544年(天文13年)に里見氏の武将「正木時茂」によって城を奪われました。正木氏はその後三代に渡って支配していましたが、1581年(天正9年)に館山城主の「里見美頼」との内紛で当時の城主「憲時」が殺害され、正木氏に代わって里見氏の代官が城主になりました。
 里見氏は1590年(天正18年)に豊臣秀吉が大名間の「私闘」を禁じた「惣無事令(そうぶじれい)」に違反したことを理由に上総国を没収され、1590年(天正18年)に上総国は徳川家康に与えられました。そこで家康は配下の「徳川四天王」のひとり「本田忠勝」を送り、大多喜藩10万石が成立しました。忠勝は里見氏の北上を防止するため大改築を行った城が現在の大多喜城の姿です。完成した大多喜城は、本丸・二ノ丸・三ノ丸を配し、南は夷隅川(いすみがわ)が流れる崖地、西は空堀、東と北には水堀に囲まれ、外敵からの攻撃を強固に防ぐ近世の城郭でした。
 1601年(慶長6年)には「本田忠勝」は伊勢国桑名に移され、大多喜藩は次男の「忠朝」に5万石として与えられました。「忠朝」は領内の検地を行うなど藩政の固めに専念しましたが、「大坂夏の陣」で戦死してしまい、嫡男の「政朝」が家督を継いだものの、1617年(元和3年)に「播磨国龍野藩」に移され、「武蔵国鳩ケ谷藩」の「阿部正次」が3万石で入りました。その後1619年(元和5年)に「小田原藩」に移され、一時的に廃藩になってしまいました。
 1671年(寛文11年)にようやく「阿部正春」が1万6千石で入城し、大多喜藩が復活しましたが、1842年(天保13年)に天守が消失しまし、財政難に苦しんでいたため天守の代わりに2層の「神殿」が1844年(天保15年)に建築されたとされています。
 1975年(昭和50年)に鉄筋コンクリートで再建された現在の大多喜城は、2017年(平成29年)に財団法人日本城郭協会が認定する「続日本の100名城」に選定されました。
「大多喜城
大多喜城
本田忠勝
本田忠勝

大多喜城と「本田忠勝」「忠朝」で観光客を誘致
 2024年(令和6年)4月現在、大多喜城は大規模改修中で終了後は大多喜町に移譲することになっており、「千葉県立中央博物館大多喜城分館」は大多喜町の町営博物館として運営される予定となっています。
 真里谷氏が興した「小田喜城」はその後「大多喜城」となり「本田忠勝」が城主となったこと、そして里見氏を牽制した難攻不落な城と今でも名残がある城下町を作ったことは町民の誇りになっているのでしょう。
 1975年(昭和50年)には大多喜城が建設されたことを記念して「大多喜お城まつり」が開催され、その後毎年10月に開催されるようになりました。「お城まつり」は回を重ねるごとに規模が拡大し、人気の武者行列に俳優など著名人が「忠勝」に扮するなど毎年多くの観光客を集めるまでになりました。2018年(平成30年)に開催された「第44回大多喜城お城まつり」以後コロナ禍で中止となっていた「お城まつり」は、2023年(令和5年)にようやく再開されました。「大多喜城まつり」で多くの観光客を集めることができたことで、人気武将「本田忠勝」「忠朝」親子にクローズアップした新たな取り組みも始まりました。
 2009年(平成21年)に大多喜町内の各種団体の代表者や有識者をメンバーとしてNHK大河ドラマ「本多忠勝・忠朝誘致実行委員会」が組織され、本田忠勝と忠朝の話をNHKの大河ドラマで採用してもらう活動が始まりました。町内の至る所にのぼり旗を掲げ、町を訪れる観光客にもアピールすると共に、署名活動、更にホームページから署名できる「インターネット署名」を設けるなどの活動を続けています。大河ドラマで採用されるのは難しいかもしれませんが、これからも大多喜町は「町のプライド」大多喜城と大多喜町の基礎を作った「本田忠勝・忠朝」を掲げ、多くの観光客を集めるための努力をしていくでしょう。
本田忠勝の銅像
橋の欄干の本田忠勝の銅像
本田忠勝・忠朝墓所
本田忠勝・忠朝墓所

(2024/7/10)
笠森観音と長福寿寺
地図
スピリチュアルな古刹と現代的な古刹
 茂原市に隣接した長南町には2013年(平成25年)に供用が開始された「首都圏中央連絡自動車道」の「茂原長南インターチェンジ」があり、自然が豊かでアクセスの良い街ではあるものの、主な観光施設といえば町内に6つあるゴルフ場で、残念ながらそれ以外にはこれといった観光施設はありません。
 でも町の北西部にはパワースポットを求め、多くの人々が訪れる歴史ある二つの寺院があります。そのひとつは森に囲まれ「笠森観音」の名で知られている「笠森寺」、もうひとつは本堂の前に異二頭の象の石像が並ぶ異彩を放った寺院「長福寿寺」です。
 「笠森観音」の名前で知られている「大悲山楠光院笠森寺」は、平安時代初期の784年(延歴3年)に「最澄(伝教大師)」が楠の霊木で彫った十一面観音菩薩を安置し創建されたという天台宗の古刹で、森に囲まれスピリチュアルな雰囲気を漂わせています。
 一方「金運が授かる」と評判で、本堂の前に異質とも思える二頭の像が並ぶ「長福寿寺」は、見た目とは異り、平安時代初期の798年(延暦17年)に桓武天皇の勅願で「最澄」によって創建されたとされる天台宗の古刹です。
 この二つの寺院は全国的にも知られ、多くの参拝客を集めており、ゴルフ以外に長南町に多くの人を呼び寄せるスポットだと言えます。
笠森寺(笠森観音)
笠森寺(笠森観音)
長福寿寺
長福寿寺

ひとつの町に平安時代に創建された寺院がふたつ
 「笠森寺」の観音堂は、見た目は京都の清水寺の「清水の舞台」に似ていますが、清水寺は本堂前半分が139本の柱で支えられていますが「笠森寺」の観音堂は61本の柱だけで大岩の上に支えている「四方懸造(しほうかけづくり)」という日本で唯一の特異な建築様式で、国の重要文化財に指定されています。
 この観音堂は平安時代後期の1028年(長元元年)に後一条天皇の勅願で建立されたとされ、その後一度消失したとされています。現在残っているのは安土桃山時代の1579年(天正7年)から1597年(慶長2年)の間に再建されたものとされています。
 更に笠森観音周辺の森林は、創建当時から伐採を禁じられ保護されてきた森林で、「笠森寺自然林」として国の天然記念物に指定されています。森にはニホンイタチ・ニホンアナグマ・ニホンリスをはじめ、フクロウ・コノハズク・アカゲラ・ハイタカなどの鳥類やヒメハルゼミなどの昆虫も生息し、関東地方の中では特徴的な生態系が存在しています。
 一方「長福寿寺」は、中世には天台宗の僧侶の大学である「談義所(=檀林)」として寺院の子弟の教育が行われ「西に比叡山、東に長福寿寺」といわれ、「日本三大談義所」で、関東の天台宗の要として機能していました。また、上総、下総、安房地域の「大本山」として配下に末寺を308の寺も有していました。
 また、京都の大原三千院、毘沙門堂門下の僧侶が住職になった縁で朝廷から与えられた「勅号(寺院の名前)」は「三途河頭極楽東門蓮華台上阿弥陀坊大平埜山本実成院長福寿寺」と日本一長いものになっています。
 1571年(元亀2年)に起こった織田信長の「比叡山焼き討ち」で焼失した比叡山の根本中堂を再建するため、長福寿寺は木材を寄進しました。また、その再建の際に解体した木材を頂き、長福寿寺の本堂が建てられました。更に江戸時代には将軍より50国が寄進され、更に10万石の格式が与えられていたとされています。
「四方懸造」という技術で岩の上に建てられている観音堂笠
「四方懸造」という技術で岩の上に建てられている観音堂
笠森寺の観音堂の上から見た笠森寺自然林
笠森寺の観音堂の上から見た笠森寺自然林

派手に見える長福寿寺も本堂には歴史の跡を見る事が出来る
派手に見える長福寿寺も本堂には歴史の跡を見る事が出来る
かつて房総の特産品だったベニ花祭りが開かれる
かつて房総の特産品だったベニ花祭りが開かれる

運気上昇を求めて長南町を訪れる
 春分の日と秋分の日に太陽が通る道、北緯35度23分(別名レイライン)には有名な聖地やパワースポットが存在しているといわれています。最東端はいすみ市の「玉崎神社」最西端は島根県の「出雲大社」で、東と西の間には神奈川県の「寒川神社」「富士山」、山梨県の「見延山」、京都の「元伊勢」、鳥取県の「大山」などが一列に並んでおり、「笠森寺」もこのレイライン上に存在しているパワースポットとして知られています。
 また、境内にある土産物店「縁起屋古壺(えんぎやここ)」で販売されている「黒招き猫」は、宝くじの当選や子宝、志望校合格、恋愛成就などのご利益が強力だと評判で、口コミでその人気が広がったようです。
 「笠森寺」に様々なご利益が期待されている一方、「長福寿寺」のご利益も多くの評判が広がっています。まず目につく二頭の象の石像は、古来より「仏さまのお使いの象は願い事を叶えてくれる」とされていた事からきており、「談義所」があった当時の長福寿寺を統括する17代の「学頭」だった「豪仙」が、護摩修業中に炎の中に一頭の象が舞い降りて、「私は人々を幸せにするためにやってきた。私の足をさすれば必ず幸せになれる。そのことを多くの人々に伝えよ。また、そなた自身にも絶大なる力を授けよう。」と話したとされています。「豪仙」は人々にこの願いを叶える象を知らしめ、多くの人々を幸せに導いたと伝わっていたそうです。この事はしばらく忘れ去られていましたが、現在の住職が2011年(平成23年)「吉ゾウくん」と名付け、本堂の前に象の石像を据えてこの話を再び知らしめるよう活動を始めました。
 2015年(平成27年)に第56世の住職に就任された現在の住職は異彩な経歴を持っている方で、大正大学仏教学研究科修士・博士課程で学ばれ、卒業後は経営コンサルティング会社に勤務した経験をお持ちで、本の執筆もされています。この住職のアイデアで2011年(平成23年)に象の石像を設置し「吉ゾウくん」と名付けた事で以前の約60倍、年間20万人が訪れるまでになりました。
 境内にはポップスやジャズが流れ、寺のシンボル「吉ゾウくん」とその妻「結愛ちゃん」の石像、更に小さな子供が遊べるような遊具も用意され、金運アップのためのグッズ販売など、さながらテーマパークの様相を呈しています。
 参拝者からは宝くじの高額当選や年収倍増などの声が続出した事で、テレビや雑誌など多くのメディアでも紹介されるなど、異彩な風景だけでなく、ご利益でも話題になっています。
 このように「笠森寺」は「黒招き猫」と「レイライン」などスピリチュアルイメージで、長福寿寺は仏教と現代的な経営手法で、それぞれが長南町に人を集め、これからも人々に幸せを届ける存在として貢献していくでしょう。
笠森寺の境内にはみやげ物屋が並んでいる
笠森寺の境内にはみやげ物屋が並んでいる
笠森寺の黒招き猫
笠森寺の黒招き猫

長福寿寺の本堂の脇には開運グッズ販売の店がある
長福寿寺の本堂の脇には開運グッズ販売の店がある
長福寿寺の「吉ゾウくん」と「結愛ちゃん」
長福寿寺の「吉ゾウくん」と「結愛ちゃん」

(2024/6/10)
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