Chibabiz.com
千葉県企業の情報サイト
〈チバビズドットコム〉

HOME ぴかいちば チバビズ探訪 ちばのたね ホームページ道場 バックナンバー
業界探訪 組合・団体活動情報
チバビズ探訪
千葉県内の業界組合、各種団体をご紹介。
異業種交流、団体加盟などに
ご利用ください。

チバビズ探訪 バックナンバー(25~36)
Vol.34
流鉄流山線のある風景
流鉄流山線
百年の間に4度の社名変更をした、わずか6駅の鉄道
 流鉄株式会社の流山線は、沿線の宅地化が進み現在は東京のベットタウンになっている流山市の流山駅から松戸市の馬橋駅までの6駅、5.7kmを結ぶローカル鉄道で、馬橋駅はJR東日本の常磐線馬橋駅とホームを共有している他、幸谷駅は歩いて3分程度で常磐線の新松戸駅に乗り継ぐことができます。
 流山線の名前にもなっている現在の流山市は江戸時代から白味醂の産地として有名で、江戸川を使って味醂を始め様々な物資を舟で運んでいました。現在の野田市、流山市、松戸市は、江戸川へと続く利根運河をはじめ、水路を使って様々な物資が運ばれていました。
 陸路を使った鉄道が建設され始めると、水運にとって代わって陸路を使った物流へと変わっていきました。現在の流鉄株式会社は、そのような時代に誕生した鉄道です。
 流鉄株式会社は創業から百年を超える歴史の中で、その経営母体の変遷とともに社名も変わっていきました。創業時は流山軽便鉄道株式会社、その後1922年(大正11年)には流山鉄道株式会社、1951年(昭和26年)には電化されたことを期に、流山電気鉄道に変更、1967年(昭和42年)には社名を流山電鉄に変更、1971年(昭和46年)には、平和相互銀行の小宮山グループの傘下に入り、総武流山電鉄と改称、2008年(平成20年)に現在の社名に至るまでに実に4度の社名変更を経ています。
流山駅
流山駅→
平和台駅
平和台駅→
鰭ヶ崎(ひれがさき)駅
鰭ヶ崎(ひれがさき)駅→
小金城跡駅
小金城跡駅→

幸谷(こうや)駅
幸谷(こうや)駅→
馬橋駅
馬橋駅→

流鉄と常磐線
馬橋駅の流鉄ホーム(手前)と常磐線のホーム
線路沿いには農地が見受けられ、かつて使われていた
水路がある

市民が設立した鉄道
 1896年(明治29年)に既に開業していた日本鉄道(現JR東日本)の土浦線(現常磐線)が開業し、1898年(明治31年)には馬橋駅が開業しました。馬橋駅が開業すると、流山の人々は鉄道を利用するために徒歩で1時間半かけて馬橋駅まで歩いていました。その後1911年(明治44年)になると北小金駅が開業し徒歩で1時間と30分程度は改善したものの、流山の町民からは「流山にも鉄道を」という声が高まってきました。
 流鉄株式会社の前身、流山軽便鉄道株式会社設立は1913年(大正2年)に流山名産の醤油や味醂の輸送と旅客の輸送を目的とし、当時の流山町有志116人の出資で設立されました。当時の流山町長が取締役に就任していたこともあり、「町民鉄道」と呼ばれていたそうです。1916年(大正5年)には流山駅―馬橋駅間、流山駅、鰭ヶ崎駅、大谷口駅(現在は無い)、馬橋駅の4駅で開業しました。
 1924年(大正13年)には、現在の平和台駅から当時の陸軍の食糧を保管、供給する施設の陸軍糧秣本廠(りくぐんりょうまつほんしょう)流山出張所までの引き込み線が施設され貨物輸送量が飛躍的に増加しました。
 太平洋戦争後の1949年(昭和24年)には、自社で変電所を持たずに国鉄から電力を供給してもらえる事になり、電化することができました。戦後になると貨物の輸送量は増減を繰り返していましたが、1960年代に入ると減少を続け、1976年(昭和51年)に貨物輸送は廃止されました。
 沿線のベッドタウン化が進むと共に、1973年(昭和48年)の国鉄(現JR東日本)の武蔵野線開業をかわきりに、1986年(昭和61年)には新京成電鉄のバス路線の開業、2005年(平成17年)のつくばエクスプレスの開業などで、沿線地域からの旅客が奪われる結果となり、厳しい経営状態が続いています。
万上線跡
かつては舟運で使われていた流山市内を流れる坂川
かつて流山駅から流山キッコーマンの工場まで
引かれていた万上線跡

つくばエクスプレス
武蔵野線南流山駅とつくばエクスプレス南流山駅
つくばエクスプレス流山セントラルパーク駅

市と市民と会社で盛り上げる
 流山市は経済振興部に観光資源の開発、推進、保全、宣伝などを目的に「流山本町・利根運河ツーリズム推進課」を設置し、かつて白味醂地としてにぎわった流山本町を中心に流鉄と流山本町への観光客の誘致に努力を注いでいます。
 市民の足として愛されてきた流鉄は、「都心から一番近いローカル線」のキャッチフレーズのもと、流鉄利用者の市民との交流にも力を入れるようになり、2002年(平成14年)から始まった、年1回秋に開かれる「流鉄鉄道の日」には、2番乗り場に目玉となる編成の車両をつけ、駅前に屋台や物販コーナー等、普段は入れない車両検修庫を開放して、様々なイベントを開催しています。
 また、有志で組織された流鉄沿線活性化実行委員会は、流鉄及び流鉄沿線の活性化のため、ビール列車の運行、や「流鉄鉄道の日」でのジャズ・ミュージシャンによるライブ演奏、コスプレイベントなど、様々なイベントを開催し、流鉄を応援しています。
 一方流山市及び流鉄を応援する活動をしている企業も様々な取り組みを行っています。イベントや事業化など流山を中心に多様性多世代交流を目指す事を目的として設立された株式会社WaCreationは、ボランティアスタッフと共に2018年(平成30年)に流鉄流山駅に隣接した「Machimin」をオープンしました。
 Machiminは観光客と地域の人々との交流を目的に観光案内や流山発祥の白味醂のおみやげなどの販売、周辺散策のガイドツアーの発着場にもなっています。そして流鉄沿線の魅力を更に高める新コンテンツ作りとして、「流鉄壁画プロジェクト」では、英国のプロペインティングアーティストが流鉄倉庫を囲う約100mのさびトタン壁に壁画を描く流鉄とコラボしたプロジェクトを行いました。
 このように流山市と流鉄、そして市民で流鉄を一つの素材として街を盛り上げていこうという活動は、単に市民の足としてだけではなく、観光資源としてのローカル鉄道という観点からも今後が注目されます。
県立君津青葉高校生が利用する久留里駅
流山駅隣にあるmachimin
流鉄倉庫の塀には壁画アートが描かれている

県立君津青葉高校生が利用する久留里駅
流山キッコーマンの工場の壁面には、白味醂にまつわる
ものが掲示され「町中博物館」観光スポットになっている
町中博物館では白味醂の歴史をのぞかせる
観光ポイントを紹介

(2020/12/10)
Vol.33
久留里線のある風景
流鉄流山線
JR東日本県内唯一の非電化線
 久留里線は木更津市の木更津駅から君津市の上総亀山駅までを結ぶJR東日本千葉県内の路線では唯一電化されていない総距離32.2kmローカル線です。2012年(平成24年)には開業百周年を迎え、百周年記念のラッピング列車の運行、記念乗車券の発売などが行われました。
 久留里線の生活利用者は木更津駅から久留里駅までが多く、1時間に1本程度で運行されていますが、観光シーズンには久留里駅止まりの定期列車が上総亀山駅まで延長運転が行われるものの、観光のオフシーズンの定期列車は終点の上総亀山まで1日わずか9本しか運行されていません。
 利用者は年々減少傾向にあり廃線の危機を招かぬよう、久留里線が走る木更津市、袖ケ浦市、君津市の各市はホームページで利用促進の呼びかけをしています。
 久留里線沿線には、久留里線の名前にもなっている久留里の街は、千葉県内で2番目に長い小櫃川の中流に位置し、室町時代に上総武田氏によって築かれた山城の久留里城があった城下町で、平成の名水百選に選ばれるなど、名水の町としても知られています。また、終点上総亀山駅周辺には1971年(昭和46年)から10年かけて完成した千葉県最初の亀山ダムがあり、そのダム湖は亀山湖と呼ばれキャンプ場やボート遊び、釣り、秋には紅葉見物などが楽しめる多くの観光客が訪れるレジャースポットになっています。    
木更津駅
木更津駅→
祇園駅
祇園駅→
上総清川駅
上総清川駅→
東清川駅
東清川駅→

横田駅
横田駅→
東横田駅
東横田駅→
馬来田駅
馬来田駅→
下郡駅
下郡駅→

小櫃駅
小櫃駅→
俵田駅
俵田駅→
久留里駅
久留里駅→
平山駅
平山駅→

上総松丘駅
上総松丘駅→
上総亀山駅
上総亀山駅→

久留里水くみ広場と亀山湖
久留里駅前にある自噴井戸の「久留里水くみ広場」
レジャースポット亀山湖

繋がるはずだった上総中野と上総亀山
 元々久留里線は千葉県営の鉄道で、1912年(大正元年)に県内の道路事情の悪さをカバーするため「千葉県営久留里軽便鉄道」という名前で木更津から久留里駅までが建設されました。久留里線が出来た事で、地域の人の移動や物流は便利になった反面、江戸時代から物流を支えてきた小櫃川の川船が姿を消す事になりました。
 その後1923年(大正12年)に国へ無償譲渡され、鉄道省の久留里線となり、木原線(現いすみ鉄道)まで接続するための延伸工事が開始され、1936年(昭和11年)に上総亀山駅まで延長されました。
 久留里線と接続する予定だった木原線(現いすみ鉄道)の名前の由来は、木原の「原」は大原を指し、「木」は木更津を指しています。つまり当初の計画では木更津から大原までを繋ぐ路線として計画されていました。つまり久留里線という名前は残らず、木原線となる予定でしたが、その後木原線まで延長されなかったのは、上総中野と上総亀山の間にあるいくつもの山を抜ける大工事をするのでは採算が取れないという理由だった事が想像されます。
 太平洋戦争中の1944年(昭和19年)に久留里駅から上総亀山駅までが武器生産に必要な金属資源を補うために、当時の政府から不要不急線として線路は撤去され、運航休止になっていましたが、戦後になって地元住民の復帰運動がおこり、1949年(昭和24年)に復活しました。
 戦後物流の主流はトラックによる運送が中心となり、1974年(昭和49年)には久留里駅から上総亀山間、1976年(昭和51年)には木更津駅から久留里駅間で行われていた貨物営業が廃止され、現在の旅客営業のみになりました。
上総中野駅と上総亀山駅
当初の計画では久留里線が接続するはずだった上総中野駅
当初上総中野駅まで延びるはずだった上総亀山駅の終点

学生の力で久留里線を盛り上げる
 2015年(平成27年)に利用者数の低迷が続く久留里線沿線地域を活性化させ、利用者数の増加と経済活性化を目指し、千葉商科大学の学生が千葉県と沿線の自治体、商工会議所、JA、JR東日本など、多くの組織が連携するプロジェクトを発足しました。
 このプロジェクトは、地元の高校生達と共に久留里線沿線に残った自然や久留里の城下町に残る商店街や、この土地ならではのグルメやお土産の情報などを取材し、その記事は同年11月にエリアマガジンの「るるぶ」の特別編集版「るるぶ~千葉商科大学 人間社会学部 Vol.2~」の特集ページに収録されました。
 他にも千葉県報道広報課の事業として、沿線地域の高校生による「フォトコンテスト」や、小学生による「絵画コンテスト」を実施し、優秀作品を列車内に掲示。他にも高校生に久留里線活性化についてのアイデアを提案する夢づくりコンテストも実施しました。
 また、県立君津青葉高校の生徒も通学の足になっている久留里線のために、生徒会で「久留里線委員会」を作り、「AOBふるさと活性化大作戦」という名称で、駅舎やその周辺の清掃活動を行うほか、沿線にある高校の敷地内に彼岸花の球根を植え、景観の美化を測るという取り組みを行っています。
 JR東日本千葉支社も久留里線活性化のために「菜久留トレイン」という名称で「B.B.BASE」(サイクリスト向けの自転車と一緒に乗車できる特別列車)の運転を計画し活性化を図っています。
 観光シーズンには終点の上総亀山駅は賑わいを見せる久留里線ですが、久留里線を維持していくためには日々の利用者を増やしていく必要があります。このような学生たちの活動がきっかけとなり、市民グループをはじめ、自治体や企業などの利用者増のための活動が更に増えていく事が期待されます。
県立君津青葉高校生が利用する久留里駅
県立君津青葉高校生が利用する久留里駅
小櫃駅はボランティアグループが花壇の手入れをしている

(2020/11/10)
Vol.32
小湊鉄道のある風景
小湊鉄道
市原市を走るローカル線
 小湊鉄道は千葉県市原市の五井駅から大多喜町の上総中野駅までの31kmを走るローカル鉄道です。設立当初は日蓮上人誕生の地である、小湊(現在の天津小湊)の誕生寺への参拝客を輸送する事を目的として、1913年(大正2年)に五井から現在の鴨川市の小湊間の鉄道施設免許の認可を受け、1924年(大正13年)に建設工事が起工されました。そのような経緯で社名の「小湊」も当初計画していた小湊までという意味でつけられたようです。
 五井駅から上総中野駅までの全18駅のうち、上総中野駅を除く17駅が市原市を縦断するように走る市原市と密接に関わっている小湊鉄道は、2017年(平成29年)に駅をはじめ、22の関連施設が国の登録有形文化財として登録されました。
 千葉の地名には難読の地名がいくつもありますが、小湊鉄道の駅にも難読の駅名が2駅ほどあります。それは、五井駅を出発し二つ目の駅、海士有木(あまありき)です。「海士」は男性の海女を指し、昔この駅の周辺に漁夫の集落があり、付近には戦国時代に有木城があったことから海士有木の地名になり、駅名もそのままつけられたようです。
 二つ目は飯給駅(いたぶえき)です。この名前は、壬申の乱に敗れてこの地に落ち伸びた弘文天皇(大友皇子)へこの地に住んでいた人々が食事を捧げた事から、「飯給」という名前が与えられた事が発祥という説や、「稲が良く実る土地」だからという説などがあるそうです。
五井駅
五井駅→
上総村上駅
上総村上駅→
海士有木駅
海士有木駅→
上総三又駅
上総三又駅→

上総山田駅
上総山田駅→
光風台駅
光風台駅→
馬立駅
馬立駅→
上総牛久駅
上総牛久駅→

上総川間駅
上総川間駅→
上総鶴舞駅
上総鶴舞駅→
上総久保駅
上総久保駅→
高滝駅
高滝駅→

里見駅
里見駅→
飯給駅
飯給駅→
月崎駅
月崎駅→
上総大久保駅
上総大久保駅→

養老渓谷駅
養老渓谷駅→
上総中野駅
上総中野駅

住民の悲願だった小湊鉄道のはじまり
 小湊鉄道は元々養老川流域の地主や裕福な農家が中心となって、房総半島内陸部の振興を図るために計画された鉄道で、会社設立にあたって、第一次世界大戦の影響で資金調達が思うように進まず、当時の安田財閥二代目の安田善次郎からの出資を受け、ようやく会社設立にこぎつけました。更に起工の4か月前には関東大震災が起こるなど、次々と困難が訪れましたが、自家用車が無い建設当時の沿線の住人にとって鉄道建設は悲願でした。
 1925年(大正14年)には五井~里見間が開業、翌年里見~月崎間が、翌々年に月崎~上総中野間が開業し、現在の路線が完成しました。しかし、当初計画されていた小湊までの路線まで到達しなかった理由は、当時不況などで資金不足であった事、清澄山系の岩盤が硬く、トンネル工事が当時の鉄道技術では限界だった事、更に国鉄木原線(現いすみ鉄道)が上総中野に接続した事などからだといわれています。
 元々旅客を目的として出来た鉄道でしたが、里見駅の周辺の山地には大量の山砂利が埋蔵しており、小湊鉄道はその採掘権を得て鉄道が開通してじきに砂利の搬出事業も始めました。現在の里見駅から砂利山まで1.2kmほどの貨物専用の線路を引き運搬しており、その線は「砂利山線」と呼ばれていました。
 時代を追うごとに輸送手段はトラックにとって代わり、1963年(昭和38年)に砂利山線は廃線になり、今はわずかにその痕跡が残っているだけのようです。
 1956年(昭和31年)には創業以来走り続けてきた蒸気機関車は廃止になり、ディーゼル車両に置き換わりました。今でも当時使われていた蒸気機関車は小湊鉄道本社に保管されています。
蒸気機関車と里見駅
小湊鉄道本社脇には今でも蒸気機関車が残されている
かつては砂利山線が通っていた里見駅

小湊鉄道効果で地域を元気に
 元々地域住民の悲願で出来た小湊鉄道ですが、1990年代からは乗客が急減し、駅の無人化などの合理化策でその経営を維持しているのが現状です。
 しかし、地域インフラの小湊鉄道に恩返しとばかりに、各駅で地域のボランティアたちが自主的に月崎付近の小湊鉄道の社員とボランティアが協力して草刈りやごみ拾いなどの美化作業をはじめ地域活性化に取り組んでいます。
 市原市が中心となって展開した「花プロジェクト」では小湊鉄道沿線12ヶ所に渡って菜の花の種をまき、咲かせることで、市の観光スポットを創出する取り組みが行われました。また、市の「まち・ひと・しごと創生総合戦略」のリーディングプロジェクトとして行われている「いちはらアート×ミックス」では、月崎駅に設置されたアート作品「森ラジオステーション」や飯給駅の「世界一大きなトイレ」は、イベント終了後も壊されることなく住民たちの声と地域ボランティアの力で維持され、現在もそのアート作品を見ることができます。
 このように小湊鉄道の社員、市の職員、地域ボランティアが協働で行った沿線の里山整備活動、沿線の里山環境との融和を図った駅と鉄道そのもののあり方など、小湊鉄道がそこに暮らす多く人との協働で行った「逆開発・里おこし活動」が評価され、2017年(平成29年)にグッドデザイン賞を受賞しました。
 更に2018年(平成30年)には「小湊鉄道とその沿線の景観」がちば文化遺産の一つ(広域)として千葉県から認定されました。
 今でも沿線住民の足として、観光客を楽しませるローカル線として、小湊鉄道はレストラン列車や歌声列車、サイクルトレインなど観光客を集客するイベント列車を走らせています。中でも2015年(平成27年)に始まった「房総里山トロッコ」は、観光客には大人気で、五井駅から上総中野駅まで運行しています。
 この様に小湊鉄道は、住民や観光客の足としてだけでなく、自治体、地域住民がひとつになって取り組む地域活性化の「小湊鉄道効果」でこれからも沿線の地域を盛り上げてていくでしょう。
チバニアン
花プロジェクトによって咲いた菜の花
チバニアンの最寄りの駅月崎駅の駅舎にはこんな掲示が

房総里山トロッコと世界一大きなトイレ
房総里山トロッコ
世界一大きなトイレ

(2020/10/10)
Vol.31
銚子電鉄のある風景
銚子電鉄
皆の支えで走り続ける銚子電鉄
 銚子電気鉄道株式会社(通称:銚子電鉄、銚電)は、JR東日本の総武本線・成田線の銚子駅で連結し、千葉県銚子市の銚子駅から外川駅まで10駅、6.4kmを走る鉄道です。銚子駅から銚子初の漁港の外川まで、JRではカバーされていない銚子の東端をカバーし、沿線住人の毎日の足、そして観光客の足として鉄道が引かれ107年間、銚子電気鉄道株式会社になってからでも72年間という長い間銚子のインフラとして営業を続けています。
 銚子電気鉄道は千葉県内のローカル鉄道のJR久留里線や小湊鉄道、いすみ鉄道など電化されていない路線があるにもかかわらず、1925年(大正14年)に電化(電車化)されました。総武線のお茶の水駅―千葉駅間の電化が1935年(昭和10年)だったことを考えると当時としては最先端の鉄道だったでしょう。
 最先端の鉄道だった時に使用している車両は今では中古の中古という年代物の車両ばかりで、逆に希少価値のある車両が現役で使われている事から、全国の鉄道ファンが銚子を訪れています。
 2006年(平成18年)の国土交通省の保安監査の結果、路線設備での不具合の改善命令が出されたのがきっかけで、翌2007年(平成19年)には「銚子電鉄サポーターズ」が設置され、設備の改善に限定したサポート基金の募集でこの難局を乗り越えました。2011年(平成23年)の東日本大震災と福島第一原子力発電所事故などの風評被害など経営が行き詰まり、2013年(平成25年)に当面10年間の車両・設備更新費用のうち国が1/3・千葉県と銚子市がそれぞれ1/6負担するということで経営危機を免れるなど、県と銚子市と市民、そして銚子電気鉄道のファンの支えで運行しています。
ヤマサ醤油と電気機関車
ヤマサ醤油の工場に隣接した本拠地の仲ノ町駅
入場料を払えば日本最古の電気機関車を見学できる

銚子駅
銚子駅→
仲ノ町駅
仲ノ町駅→
観音駅
観音駅→
本銚子駅
本銚子駅→

笠上黒生駅
笠上黒生駅→
西海鹿島駅
西海鹿島駅→
海鹿島駅
海鹿島駅→
君ヶ浜駅
君ヶ浜駅→

犬吠駅
犬吠駅→
外川駅
外川駅

ぬれ煎餅で危機脱出
 そもそも銚子の街を走るこの鉄道は、開業当初からその経営は常に困難を極めていました。1913年(大正2年)に現在の銚子駅から犬吠駅間を銚子遊覧鉄道として開業しましたが、利用不振で開業からわずか4年という短さで1917年(大正6年)に廃止となってしまいました。この路線を生かそうという動きから1922年(大正11年)に銚子鉄道が設立され、翌年に銚子駅から外川間で開業しました。
 太平洋戦争で戦災を受け、仮営業を継続していたものの1948年(昭和23年)に企業再建整備法により銚子鉄道は解散し、新たに銚子電気鉄道が設立されました。
 1960年(昭和35年)には千葉交通の傘下となり京成グループへ加入しましたが、昭和30 年代に年間250 万人以上いた乗客が、平成になると銚子への観光客も減少したこともあり、利用客が100万人を切るまでに減少してしまいました。
 1990年(平成2年)には千葉交通から東金市の総合建設会社の傘下になりましたが、親会社が破産し社長が横領をしていたことが発覚するという事態に陥りました。
 この事件により会社の運転資金が不足し、車両の法定検査を行えないという事態にまで陥りました。
 法廷検査が行えないと鉄道事業を続けることができないため、社員たちは少しでも資金を稼ごうと副業としてぬれ煎餅を始め好評だったので売り歩きました。しかし、思うように売りあがらず、神頼みのような気持ちで自社のホームページに「電車運行維持のために、ぬれ煎餅を買ってください!!」「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです」と書き込んだことで、1週間に15,000件もの注文を獲得することに成功し、最大の危機を乗り越えたという逸話が残っています。
ぬれ煎餅
今や銚子電鉄の名物となったぬれ煎餅のパッケージの中には銚子電鉄からのメッセージが入っている

本社と販売店
テレビなどでも紹介される銚子電気鉄道本社
ぬれ煎餅駅という名称の銚子電鉄のお土産販売店

「あきらめない鉄道」と「あきらめない銚子」
 銚子港は2019年(令和元年)の水揚げ高は9年連続で日本一続けていますが、銚子市の人口は2020年(令和2年)8月1日現在59,566人と、1975年(昭和50年)の90,374人をピークに比べると約66%減少し、観光客数も減少し、街の中心街はシャッターが閉まった店舗も多く目につくようになっています。
 銚子電気鉄道は経営再建、資金確保のため、たい焼きブームに乗じてたい焼きの販売から始まり、ぬれ煎餅・まずい棒の販売など、どちらが本業かと思うような食品販売に加え、走る電車「お化け屋敷」や「電車を止めるな」という聞いた事のあるような映画製作、「破産寸前」とタイトルの付いたYouTubeの動画配信など奇想天外なアイデアを繰り出し注目を集めています。自虐ネタを「自ギャグ」と称しふざけているようですが、その実「何とか鉄道を残していきたい」という想いは、地元はもちろんの事、鉄道ファンを越え全国に響いているのではないでしょうか。この行動は地元の方にひんしゅくを買うどころか、「銚子の名前が出るだけで良い」ともいわれ、銚子に注目してもらえる原動力として捉えている方も多いようです。
 銚子電気鉄道では「今、地域が衰退すれば鉄道も無くなってしまう。地域と鉄道は表裏一体の関係。だから地域鉄道は地域と共に存続する。」という考えのもと、地ビールや名産のキャベツを広めようと活動している農家など、銚子の街に芽生えている新しい力、「あきらめない銚子」の流れと共に、必ずや新しい銚子の街を作ってくれるでしょう。
市役所と観音駅
銚子電鉄に料金の1%が寄付できる銚子電力の本社に
なっている銚子市役所
観音駅ではボランティアが駅の整備を行っている

市役所と観音駅
1950年(昭和25年)に製造され銚子商業の生徒と千葉
市内の企業で復元、外川駅展示されているデハ801号
犬吠駅にはキャンピングカーを宿泊施設にするMobiHOを
展示するなど企業とのコラボも積極的に行っている

(2020/9/10)
Vol.30
いすみ鉄道のある風景
いすみ鉄道
第三セクターのローカル鉄道
 いすみ鉄道は、大多喜町の上総中野駅からいすみ市の大原駅まで14駅を繋ぐ第三セクターで運営されているローカル鉄道で、上総中野駅では小湊鉄道と、大原駅ではJR東日本外房線に繋がり、小湊鉄道と併せ房総半島を横断する鉄道です。
 現在の路線はもともと旧国鉄(現JR東日本)の特定地方交通線の木原線でしたが、1988年(昭和63年)にいすみ鉄道が引き継ぎました。
 路線地域の過疎化などもあり利用者が少なく慢性的赤字路線になってしまいましたが、駅の命名権(ネーミングライツ)や支店長制度、ムーミン列車(現在は終了)、グルメ列車などの観光列車や鉄道グッズやおみやげの販売など、様々な企画で経営の改善が進み全国的にも有名になりました。
 菜の花や桜、田園風景をはじめ四季折々の風景が楽しめ、手作りのイベント企画と共に観光客や鉄道写真マニア(撮り鉄)などがやって来る鉄道です。
 
【いすみ鉄道の路線】
上総中野駅
上総中野駅→
「西畑駅
西畑駅(momo)→
総元駅
総元駅(GSK)→
久我原駅
久我原駅(三育学院大学)→

東総元駅
東総元駅→
小谷松駅
小谷松駅→
大多喜駅(デンタルサポート)
大多喜駅
(デンタルサポート)→
城見ヶ丘駅(大多喜ハーブガーデン)
城見ヶ丘駅
(大多喜ハーブガーデン)→

上総中川駅(NIGO)
上総中川駅(NIGO)→
国吉駅
国吉駅→
新田野駅(サンテック)
新田野駅(サンテック)→
上総東駅
上総東駅→

西大原駅
西大原駅→
大原駅
大原駅

鉄道収入から副収入拡大へ
 2010年(平成22年)の国勢調査では、いすみ鉄道の主たる沿線の大多喜町の人口は、1985年(昭和60年)と比べて約20%も減少していました。人口の減少の影響を受け、いすみ鉄道の利用者も年々減少しており、2006年度(平成18年度)には1億2,700万円の赤字を出してしましました。
 千葉県をはじめとする自治体で構成された「いすみ鉄道再生会議」が出した結論は、2009年度(平成21年度)の決算でも収支改善が見込めない場合、鉄道の廃止も検討するという結論を出しました。
 2009年(平成21年)に社長公募で就任した鳥塚社長は、「い鐵揚げ」という煎餅の販売に始まり、「房総のけむり饅頭」の発売など鉄道事業以外の商品の販売を始め、鉄道名および駅名の命名権(=ネーミングライツ)の募集、ムーミン列車、レストラン列車「レストラン・キハ」など観光客を呼ぶ様々な企画を投入し、観光客の誘致に成功しました。
 また、2010年(平成22年)には、訓練費700万円を自己負担する条件で連写運転免許を取得できる運転士採用プランを発表し、「運転士になりたい」という夢を持っていた中年男性の採用にもつながりました。
 このようなかつて無い取り組みの結果、マスコミの取材なども手伝って観光客が訪れるようになり、いすみ鉄道の存続が決定しました。
「いすみ鉄道」グッズ
観光協会でも販売されている「いすみ鉄道」グッズ
国吉駅で降りる観光客

地域ボランティアといすみ鉄道
 いすみ鉄道の改革の成功には、自社の努力だけでなく沿線のボランティア活動も一役買っています。
 なかでも、いすみ鉄道といすみ鉄道周辺に来る観光客に対応する事を目的に2009年(平成21年)に「いすみ鉄道応援団」が設立されました。
 いすみ鉄道応援団は駅の整備やホーム脇の休耕田を活用した広場作りを行うほか、ポップコーン、たこ飯弁当、里山弁当など国吉駅オリジナルの駅弁や地元土産品の販売などで活動資金を捻出し、沿線に菜の花やひまわり、コスモスなど季節ごとに草花を植え、いすみ鉄道の景観づくりに貢献しています。
 この活動のおかげで「菜の花といすみ鉄道」「桜といすみ鉄道」など、皆さんも見たことがある写真や映像が知られるようになりました。
 2018年(平成31年)に鳥塚社長が任期満了で退任し、香川県の日新タクシーの会長の古川氏が就任し、「いすみ鉄道を活性化させたい」という想いを持った人を募集し、新たな商品やサービス、情報を社会に配信してくれる「全国いすみ鉄道支店長」を募集するなど新たな取り組みがスタートしました。
 これからもいすみ鉄道は、単に地域のインフラとしてではなく、全国にあるローカル鉄道のモデルケースとして地域住民から全国にいる協力者と力を合わせ、千葉の観光客集客にも貢献していくでしょう。
国吉駅名物たこ飯弁当
国吉駅では被り物で名物たこ飯弁当を販売して盛り上げる
ボランティアたちが景観づくりをしている国吉駅

(2020/8/7)
Vol.29
植木
植木生産日本一
日本一の植木生産県
 千葉県は植木の産地で、その出荷額は日本一を誇っています。上総地域では農家が久留里藩邸内の庭木の手入れをしていたことが元でキャラボクの造形樹の産地として全国に有名ですが、なかでも匝瑳市、東金市は中小企業庁の「ふるさと名物応援宣言」で植木を地域資源に位置づけ、地域ブランドとして発信しています。
 このように千葉県内でも多くの植木の生産地は九十九里平野沿いに広がっており、水田地帯に盛り土をした「島畑(しまばた)」という畑で主にマキ類、キャラボク、松類などが生産されています。
 千葉県は、このように植木産地として発展してきた植木の技術の保存、継承に注目し、「千葉県植木伝統樹芸士の資格認定や県内に植栽されている植木で、県内の伝統技術で造形されている一定の基準を満たした植木を「千葉県植木銘木100選」に認定する「千葉の植木伝統技術継承事業」を実施し、その技術が消える事が無いよう取り組んでいます。
 「千葉県植木伝統樹芸士」は2020年(令和2年)3月末現在で62人が、「植木銘木」は98の植木が認定されています。
島畑と八日市場植木組合には販売される植木
水田地帯の所々に見かけることができる植木の畑
八日市場植木組合には販売される植木が並んでいる

ふるさと名物応援宣言の匝瑳市と東金市
 匝瑳市の植木生産は明治時代に始まり、大正時代になって本格化しました。当初は限られた富裕層を対象に販売していましたが、関西方面にイヌマキが出荷されたことがきっかけで次第に生産量が拡大されました。
 毎年5月の連休には匝瑳市植木組合主催で、匝瑳市植木まつりが開催され、祭りでは植木職人自慢の逸品や彩り鮮やかな植木や花々の展示即売会、植木の出来栄えを競う共進会などが行われています。
 一方東金市は、江戸時代に徳川家康の鷹狩のために作られたという「御成街道」が出来たことにより、宿場町と問屋街が作られ、九十九里地域の中核都市になりました。東金市も匝瑳市と同様に植木の栽培が盛んに行われ、1970年(昭和45年)には市の木として「ラカンマキ」が指定されるなど、「植木のまち」として知られています。
 東金市の造形技術には、大正時代に東金で発祥したとされている「割り(くじき)」と呼ばれる技術(ノミを入れることで江田の形を整える技法)があり、現在も先輩から後輩へと受け継がれている伝統の技があります。
 市内の有志達は植木の造形技術取得に取り組み、今ではこの技術は東金をイメージさせる伝統文化となっています。東金市植木組合では、造形木を東金の文化として広く世界に伝えようと海外輸出の取り組みも行われ、東金の植木はEUや中国に向けた輸出が行われています。
ミニ庭園日本園とラカンマキ
植木の町匝瑳市役所交差点にはミニ庭園見本園がある
東金市役所にある市の木「ラカンマキ」

国内外とも植木の産地として知られる千葉県
 千葉県の植木生産は後継者不足により次世代継承が円滑に進んでいないため、栽培面積は減少傾向にあります。また、1994年(平成6年)から中国を中心に東南アジアやEUへの輸出が開始され、輸出の拡大と安定をはかるため、輸出相手国の検疫体制に対応した技術の確立、生産体制の整備が必要となっています。千葉県は生産者とハウスメーカーや造園業者などと連携した消費拡大策を支援するなどの方針を打ち出しています。
 匝瑳市は、観光資源として市内の植木銘木に認定された植木を回るツアーなどを企画するほか、「都市と農村の交流」を目的に作られた「ふれあいパーク八日市場」には植木の見本園を作り植木の販売を行っています。また、市役所に隣接した八日市場植木組合でも直売所を設け、一般客への販売も行っています。
 東金市は、2014年(平成26年)にオープンした「道の駅みのりの郷東金」に県下最大級の植木売り場を作り、季節ごとに販売イベントや「東金の植木」の情報発信など生産者と消費者の交流の場を設けるなどの取り組みをしています。
 千葉県は古くは鋸南町の水仙が江戸で評判を呼び、今では季節には花摘み、更に一年を通して様々な花が咲く南房総と、九十九里では人の目を休ませる緑の植木と「花木」の有数の産地としてこれからも繁栄していってほしいものです。
匝瑳市の槇塀と松山神社の大杉
最大で7mもある槇(マキ)塀(匝瑳市)
県の植木銘木百選に選ばれた松山神社の大杉(匝瑳市)

(2020/7/10)
Vol.28
人工海浜
日本一の人工海浜
日本一の人工海浜
 かつては現在の習志野市津田沼から千葉港のあたりまでは、白砂青松(はくしゃせいしょう)といわれる白い砂に青々とした松が生い茂る海岸で、1888年(明治21年)頃には稲毛海岸は千葉県初の海水浴場として海水浴客を集めていました。
太平洋戦争後の昭和20年代後半になると、千葉県は県民所得の向上や雇用機会の増大等を図るため、浦安市から富津岬にまで続いていた干潟(遠浅の海岸)を半世紀にわたって埋立て、住宅都市と工業地帯を作りました。
 この埋め立てで、海水浴や潮干狩りでにぎわっていた稲毛海岸は住宅都市として生まれ変わりましたが、1969年(昭和44年)に埋立地の先端に稲毛海浜公園を作る構想が浮上し、1975年(昭和50年)に埋立地の沖合3kmの沖合から砂を運び、全長1,200mの人工海浜「いなげの浜」が出来上がりました。
 それに続いて埋め立てられたのが長さ1,300mにおよぶ「検見川の浜」で、稲毛海浜公園の一角として整備されました。
 更に1981年(昭和56年)に都市計画が決定され、千葉県企業庁が「幕張海浜公園」整備の一環として進めていた幕張の人工海浜「幕張の浜」が誕生しました。幕張の浜は全長1,820mで、稲毛の浜と検見川の浜の三つの人工海浜を合わせると4,320mにのぼり、モナコ公国のモンテカルロ・ラルポット海岸に次いで世界で2番目、日本一の国内初の人工海浜が出来上がりました。
幕張の浜
潮干狩りでにぎわう幕張海岸(昭和40年代)
現在の幕張の浜を望む

稲毛の浜
稲毛の浜の先に広がる京浜工業地帯
令和元年に養浜工事が行われ白い砂になった稲毛の浜

市民の憩いの場・イベント会場として発展
 稲毛海浜公園には、広場を伴った公園施設の他、プール、球技場、野外音楽堂、バーベキュー場などの他、花の博物館、茶室なども作られ、市民に愛される施設になっています。
 また、同公園内の検見川の浜地区にはヨットハーバーが作られた他、海水浴、ボードセーリング、ウインドサーフィン、カイトボーディングなどのマリンスポーツを楽しめるような施設が整いました。
 一方、千葉県企業庁が未来型国際都市として整備が進められてきた幕張新都心には、都心に多くの緑を取り込み国際交流の場となる事を目指して作られたのが、幕張海浜公園です。
 幕張海浜公園は、AからGまでのブロックに分けられ、AとBブロックは都心の癒しとなるような公園、Cブロックは国際交流の場という事から日本庭園が、海岸線に沿って作られたDからGブロックには海岸に沿ったマリンスタジアムを中心としたブロックです。スタジアムには1991年(平成3年)には千葉市で念願だったプロ野球チームを誘致し「千葉ロッテマリーンズ」が誕生しました。
 2012年(平成24年)からは33年間千葉ポートパークで行われていた「千葉市民花火大会」が幕張海浜公園の人工海岸へ移動し、「幕張ビーチ花火フェスタ」として夏の夜空を飾っています。
 他にも幕張海浜公園のDからGブロックのマリンスタジアムや公園内、人工海岸ではロックコンサートやイベントなどが行われ、幕張メッセと共にイベント会場としても活用されています。
花の美術館と稲毛海浜公園プール
花の美術館
稲毛海浜公園プール

いなげ海浜公園とマリンスタジアム
いなげ海浜公園(検見川の浜)内のヨットハーバー
zozoマリンスタジアム

日本サッカーの聖地になるか?JFA夢フィールド
 三つの浜を持つ日本一の人工海浜が完成して30年、当初設けられた施設も徐々に変化しています。
 稲毛海浜公園の検見川の浜には、2016年(平成28年)に官民連携の複合施設として結婚式場併設のカフェ&レストラン「ザ・サーフオーシャンテラス」がオープン。2017年(平成29年)からは園内の検見川地区、ヨットハーバー、スポーツ施設を除く区域の施設をリニューアル整備し「INAGE SUNSET BEACH PARK」(仮称)として整備を進めています。
 2019年(令和元年)には、「いなげの浜」に白い砂による養浜工事が完了し、旧稲毛海岸の白砂青松を復活させました。
 一方幕張海浜公園には、日本サッカー協会(JFA)の「高円宮記念JFA夢フィールド」と温浴施設が建設されています。
 JFA夢フィールドは、「選手育成・代表強化・指導者養成の三位一体+普及」の核となる拠点で、男女の日本代表、指導者や審判員、メディカル、フィジカル、テクニカルの専門スタッフと共に活動を共にし、課題を共有・解決していくトレーニングの場となることを目的として作られました。
 また、JFA夢フィールドの敷地内に温浴施設「幕張温泉 湯楽の里」が2020年(令和2年)夏オープンに向け、建設が進んでいます。
 日本一の長さを誇る千葉の人工海浜は、その時々の時代の変化に合わせて形を変え、益々進化していくでしょう。
 ※JFA夢フィールドは今年2020年(令和二年)春のオープン予定でしたが、新型コロナウイルス感染症の影響でオープンが延期されています。
サンセットビーチ
サンセットビーチにできたTHE SURF OCEAN TERRACE
温泉施設 幕張温泉 湯楽の里

映画ドラマロケ地の大原
高円宮記念JFA夢フィールド 
施設内にフットサルアリーナの他コートが4面置かれている

(2020/6/10)
Vol.27
チーズ工房
チーズ工房
徳川幕府の牧(まき)が日本のチーズ工房のルーツ
 戦国時代に現在の南房総、当時の安房地域を支配していた里見氏が軍馬育成のために作ったのが「嶺岡牧」です。その後徳川幕府は1614年(慶長19年)にこの嶺岡牧を幕府直轄の牧とし、馬を育成していました。
 八代将軍吉宗は馬の改良に力を入れ、海外から馬を輸入した際に一緒に3頭入ってきたのがインド産白牛(ゼブー種)でした。これがきっかけで、1793年(寛政5年)には牛乳と砂糖で作られた乳製品、「白牛酪」が作られるようになりました。白牛酪は滋養強壮のほか若返りに効果がある薬として珍重され、その生産量が増大するに伴って庶民にも販売されるようになり、これが日本の酪農の始まりとなりました。現在は「千葉酪農のさと」として千葉県南部、安房地区の酪農の資料などの展示がされている施設になっています。
 現在は北海道が圧倒的に牧場数も多く、乳製品の出荷高も圧倒的に多いですが、酪農の発祥の県、千葉も2019年(令和元年)の統計でも牧場数は全国第4位、2018年(平成30年)の生乳(せいにゅう~搾りたての牛の乳)の生産高は全国第6位にランクされています。
 2006年の調査ではこの生乳を使ったチーズ作りをする大手乳牛業者を除いた「チーズ工房」の数は全国で106か所でしたが、2018年には319ヶ所に増えています。
千葉酪農のさと
千葉酪農のさと
インド産白牛(ゼブー種)

チーズ工房の里はいすみ市に
 2019年10月時点で野田市、大多喜町、睦沢町、南房総市、木更津市など千葉県内には12軒のチーズ工房があり、そのうち6軒がいすみ市に集中しています。
 いすみ市は酪農の発祥の地、嶺岡にも近く数件の牧場があり、更に昔からチーズ工房をしている方が酪農家向けにチーズのセミナーを開くなどの活動もされていた事が、チーズ工房が集中した理由ともいわれています。更に地元の酪農家だけでなく、いすみ市の環境を好んで移住してチーズ作りを始めた方もいらっしゃいます。
 また、いすみ市は宝島社発行『田舎暮らしの本』の「住みたい田舎ベストランキング」首都圏エリアで4年連続総合1位を獲得するなど県外からの移住者が多い事も、チーズ工房が増える要素としてあったのかもしれません。
 いすみ市のチーズ工房で作られたチーズは、工房での販売の他、一部の工房ではインターネットでの販売も行っており、更に市内の農産物直売所などでも販売され、観光客にも人気になっています。
 チーズ工房の多いいすみ市は、観光客向けに市内の5つのチーズ工房を紹介する「いすみチーズマップ」というパンフレットを作成した他、NPO法人いすみライフスタイル研究所も手書きのイラストマップを作成し、いすみ市のチーズ工房に訪問してもらう努力をしています。
パンフレットとイラストマップ
いすみ市が作成した市内の
チーズ工房のパンフレット
NPO法人いすみライフスタイル研究所が作った
イラストマップ

北海道に負けないチーズで酪農振興を推進
 ナチュラルチーズの需要は年々増えており、自家製のチーズを作るレストランなども登場するなどチーズ工房の数も増えていますが、数だけでなくチーズのクオリティーもどんどん高くなっています。
 千葉県のチーズ工房も同様で、いすみ市にある高秀牧場のブルーチーズはフランスのチーズ国際コンクール「モンディアル・デュ・フロマージュ」で2015年にスーパーゴールドを受賞、また「まきばの太陽」というチーズは2014年「ジャパンチーズアワード」で金賞、2016年にも金賞と外国人審査員賞を受賞しています。
 また、築120年の古民家を修繕し開いた工房で、女性一人でチーズ作りをし、月に一度だけ販売している大多喜町のチーズ工房「【千】(せん)」は、Japan Cheese Award 2016で銀賞と銅賞、第11回ALL JAPANナチュラルチーズコンテスト2017 農林水産大臣賞など数々の賞を受賞し、2019年(令和元年)8月にはテレビ番組「情熱大陸」でも取り上げられました。
 千葉県は2020年(令和元年)3月に「ちばのチーズ」というパンフレットでいすみ市のチーズ工房6軒と大多喜町の1件の計7軒を紹介し、同210月には県のホームページでも「千葉県夷隅地域におけるチーズ工房の紹介」として工房を紹介するなど、酪農発祥の地千葉県のチーズを知って貰える、あと押しをしています。
 千葉の優れたチーズをもっと知って貰う事で、県内の酪農振興に貢献できるのではないでしょうか。
映画ドラマロケ地の大原
千葉県が作成した「千葉のチーズ」パンフレット。
県内の主なチーズ工房が紹介されている。

(2020/5/8)
Vol.26
ロケツーリズム
ロケツーリズム
ロケ地としてよく使われる小湊鉄道「飯給(いたぶ)駅」

フィルムコミッションでロケツーリズムを獲得する
 ロケツーリズムとは、映画・ドラマなど作品のロケ地を観光資源として活用し、観光客にその地域のファンになってもらう旅行スタイルの事をいいます。
 ロケツーリズムをけん引するには、映画、テレビドラマ、CMなどのあらゆるジャンルのロケーション撮影を誘致し、実際のロケをスムーズに進めるための非営利公的機関の「フィルムコミッション」が欠かせません。一般的にフィルムコミッションは、主に市町村が事務局を担当することが多く、その要件として①非営利公的機関である事②撮影支援の相談に対してワンストップのサービスを行っている事③作品の内容を選ばない事が挙げられています。
 フィルムコミッションは、1969年(昭和44年)にアメリカのコロラド州政府が「コロラド・フィルムコミッション」を設立したのが始まりで、日本では2009年(平成21年)に「全国フィルム・コミッション連絡協議会」が発足し、各地のフィルムコミッションが加盟しています。
 各市町村はロケ地として活用されることで、滞在費用や機器のレンタル、食事・ケータリングなどの直接的経済効果の他、マスメディア等への露出機会の増加によって、ロケツーリズムの推進や、一般観光客の増加などが期待できます。
 千葉県内でもこのロケツーリズムのおかげで観光客の増加などの恩恵を受けた事例がいくつもあります。
映画ロケ地
映画「きらきら眼鏡」のロケ地になった
鵜原理想郷の幸せの鐘
映画「最高の人生の見つけ方」で使われた
「いすみ医療センター」

ロケ地をまわる聖地巡礼
 千葉県には、県が作った「千葉県フィルムコミッション」の他、千葉市、流山市、銚子市、成田市、富里市、佐倉市、白井市、柏市、船橋市、鎌ヶ谷市、茂原市、いすみ市、一宮町、勝浦市など多くの市町村がフィルムコミッションを作っているほか、役所の観光課などの担当部署が千葉県フィルムコミッションや民間のロケーションサービス会社などと連携して活動を行っているところもあります。
 千葉県でのロケツーリズムは、1985年(昭和60年)4月から10月まで放送された、銚子の醤油醸造家を舞台にしたNHKの朝のテレビ小説「澪つくし」が観光客の誘致に一役買いました。また、木更津を舞台にしたTBS系のテレビドラマ「木更津キャッツアイ」は、2002年(平成14年)1月から3月まで放送され、その後映画化もされ、多くの若者たちが木更津を訪れました。
 最近では映画、テレビドラマなど実写のものだけでなく、アニメーションの世界でも、実際の地域が舞台やゆかりの場所となった作品が多く、舞台となった場所に出向く「聖地巡礼」という言葉も流行し、実際に作品の中に出て来る店舗や食べ物を味わうなど経済効果にも大きく影響しています。
 1993年(平成5年)にテレビドラマで放送され、1995年(平成7年)には映画化された「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は旭市がロケ地に選ばれ、2017年にはアニメ映画として再度公開されたことで、若者たちがロケ地となった旭市などを訪れました。
アニメ映画ロケ地
「打ち上げ花火~」でロケ地となった
犬吠埼灯台
映画の中にはたくさん建てられている
風車の映像も

ロケツーリズムは移住者も生む
 話題になった作品などは、地域を舞台に作られた作品だけではなく、物語の中に出て来る1シーンで使われたロケ地も対象になり、ロケツーリズムを生んでいます。
 2018年(平成30年)に公開され同5月に開催された第71回カンヌ国際映画祭の最高賞、パルム・ドールを獲得し話題になった「万引き家族」は、いすみ鉄道や大原海水浴場がロケ地として使われ、観光客がSNSなどで発信し話題になりました。
 また、当初から街おこしをテーマに作られた作品も数多くあります。以前にもチバビズドットコムで取り上げた「きらきら眼鏡」もそのひとつです。
 原作者の作家森沢明夫氏は船橋在住で、「きらきら眼鏡」も船橋を舞台にしていることから、NPO法人船橋宿場町再生協議会がロケツーリズムを目的として映画化に取り組み、2018年(平成30年)9月に公開されました。映画の公開当初には、映画にちなんで飲食店が考えた「きらきらメニュー」を紹介したパンフレットを配布するなど映画の公開に並行して推進活動も行われていました。
 ロケ地情報「ロケーションジャパン」では、「支持率」「ロケの支援度」「行楽度」「地域の変化」の4つの指標をもとに、各界の著名人と一般読者へのアンケートの結果で「ロケ地」と「作品」を表彰する2019年(平成31年)「第9回 ロケーションジャパン大賞」が行われ、「きらきら眼鏡」は審査員特別賞を、「万引き家族」は準グランプリを受賞しました。「万引き家族」は、いすみ市で海水浴をするワンシーンのみしか使われていなかったにもかかわらず、観光客は前年の約1.5倍、官民一体となった撮影サポートとロケ地巡礼者に手厚い対応をするなどで受賞になったそうです。
 東京から近く、幕張新都心など都会のイメージや、海のある景色、里山のある田舎の景色、などロケーションにはもってこいの千葉。もっとロケーションで活用してもらうことで、ロケツーリズムを増やしてしていけるようになりたいものです。
映画ドラマロケ地の大原
映画「万引き家族」の海水浴シーンに登場した
大原海水浴場
映画「AI崩壊」に出てきた大原漁港、
ドラマ「知らなくていいコト」でも使われた

映画ドラマロケ地の大原
公開当初には船橋のガイドマップが配布された
映画にちなんだ「きらきら」メニューも掲載

(2020/4/10)
Vol.25
いちご狩り
いちご狩り
観光イチゴ園で「体験」観光を提供
 農林水産省の「平成28年度6次産業化総合調査報告」では、千葉県の観光農園は、山梨県、長野県、北海道に次いで全国第4位の売上額になっています。上位3県に比べ、千葉は温暖な気候に恵まれ、四季を通じてさまざまな作物が収穫できることが強みとなり、その結果が出たのだと思われます。
 千葉県内の観光農園の中でも特筆して多いのは、観光イチゴ園です。従来通りのトマトやキュウリなど野菜の栽培は、たくさんの量を作らなくては採算が合いません。観光農園化はこれを解消するための一つの手段として、観光にしやすいのがイチゴで、千葉県だけではなく全国的にも増えています。
 千葉県の観光いちご園の数はおよそ100件以上にものぼり、県内54市町村の半分近く、22の市町村にあります。また、観光イチゴ園や直売所を持つ農家が所属する29の団体で組織された千葉県いちご組合連合会も組織されています。
 山武市の国道126号線沿線付近には、およそ20件も集中しているため、別名「ストロベリーロード」と呼ばれています。ここのように観光イチゴ園が大規模に集中している場所は全国的にも珍しく、関東でも屈指のいちご狩りエリアになっています。
ストロベリーロードといちご園
山武市の国道126号線別名ストロベリーロード
観光いちご園

独自の品種で差別化
 2017年(平成29年)の千葉県の農業産出額は4,700億円で全国第4位、イチゴの出荷額は全国第9位にランクしています。一般的な市場への流通ルートより、観光イチゴ園や農家が自ら直売する直売所などの販売が多いのが特徴で、農業の六次産業化(生産から販売まで農家が手掛ける)されたものとして既に定着し、全国でもトップレベルを誇っています。千葉県の観光イチゴ園の人気のひとつは、観光客に多くの品種の食べ比べができるように5品種から多い所では20品種近くのいちごを栽培していることです。
 2001年(平成13年)に「ふさの香」、2017年(平成29年)には「千葉S4号」のいずれも千葉県農林総合研究センターが開発・品種登録された品種で、他にも2015年(平成27年)に大網白里市の育苗家の成川昇氏が開発し品種登録された「真紅の美鈴」など、全国にはまだ広まっていない希少品種も千葉の観光イチゴ園で味わうことができます。
 なかでも、千葉県は「千葉S4号」を広めようと2015年(平成27年)11月28日から12月23日にかけて県民にインターネットとハガキで愛称の募集を行い、「チーバベリー」という名前で知名度向上を図っています。
観光いちご園
イチゴで観光客を誘致
 千葉県は2017年(平成29年)に千葉県産のイチゴ情報を発信する特設サイト「Strawberry Fields ちば」を開設すると共に、「ちばイチゴフェア」などのイベントも開催し、その普及に努めています。
 また、県内の洋菓子店、和菓子店でも千葉県産のイチゴを使った様々なスイーツを提案、ホテルなどではイチゴフェアを開催し、千葉のイチゴを多くの人に知ってもらい、味わってもらう取り組みも進んでいます。
 千葉県のイチゴ推進の他に追い風になっているのは、圏央道・東京外環道開通、富津館山道の4車線化の着工など千葉へのアクセスが向上し、それに伴って北関東や中部・関西からの観光客も増加しているようで、平成30年度の千葉県へ訪れた観光客数は187万000人ともいわれ、前年比4.2%で増えています。
 本年2020年(令和2年)は千葉市と一宮町では東京オリンピック・パラリンピックの一部競技が行われ、海外からの観光客も期待できる年です。LCC(格安航空会社)路線の拡大で、成田空港を利用する外国人観光客も増えている事から、千葉市は観光プロモーション動画を制作し、観光イチゴご園を含む観光スポットの紹介にも力を入れています。
 「観る」「食べる」を目的とした観光から、「触れてみる」「やってみる」体験型観光の人気はさらに上がっており、大人から子供まで体験できる観光農園はこれからももっと増えていくでしょう。
いちごスイーツと外国人観光客
イチゴを使ったスイーツ
外国人観光客

(2020/3/10)
お問い合わせはこちら
チバビズドットコム制作委員会
株式会社 翠松堂BTL
© 2017 chibabiz.com Production Committee
トップへ戻る