地元で食べられてきた房州ひじきを全国区に
伝統的な製法だからこそ孫子の代まで愛される
今でもお客様の顔が見える催事販売を大切にしています。
ひじき一本で食べていく覚悟
斎武商店はもともと新英丸という船を持って漁をしていた網本で、地元のひじきや魚の加工場も持っていました。そんな斎武商店の娘と結婚した私は漁業とは関係のない書店の次男坊で、卓球が得意で大学でも卓球をやっていました。
結婚し妻の実家を手伝うことになったのですが、直ぐに義父が亡くなり、斎武商店を継ぐと共に、斎藤の名前も継ぐことになりました。それが昭和49年のことでした。漁師の経験がなかったため漁をやめ、ひじき一本で生計を立てる覚悟をしました。しかし肝心のひじきの製法に関して知識が無かったため、ひじき屋の仲間たちの指導を受けながら、試行錯誤の日々でやっと今の製法にたどり着きました。
覚悟を決めたとはいえ、ひじき一つで生計を立てなければならない日々は大変でした。地元の人脈をたどり、やっと大手スーパーにも商品を置かせてもらうようにもなりました。一方、北海道から九州までデパートなどで開催される催事に積極的に出店ましたが、ひじきは地味な食材でなかなか売れませんでした。それでも品物には自信があったので、「食べてもらえばわかる」との思いで試食してもらい、「連絡をくれれば送るよ」と名刺を配ったお客様が今の通販のお客様です。
五十集屋(いさばや)であり続けることが斎武商店
五十集屋(いさばや)とは、磯場屋とも書き、漁場、魚市場、魚商人や水産加工業者の事を言います。われわれ斎武商店もひじき専門の五十集屋です。
ひじきの産地として有名な伊勢や長崎は、漁師がひじきを刈っては浜辺などで一旦乾燥させ、それを仕入れたひじき業者が水で戻して釜だき・乾燥して販売します。
一方房州では、2月から4月初旬までの大潮の日の潮が引いている間に漁師が一斉に刈り取る一番取りひじきだけを業者がすぐに釜だきして乾燥させる。つまり、1年分のひじきはこの短い期間だけで、何十トンという量を調達する方法をとっています。
房州のひじきは一番取りを刈ってすぐに釜だきするから、ふっくらとやわらかく、誰でも違いが感じられる程おいしいひじきなのです。刈られたひじきは大型トラックで五十集屋の所に運ばれてきますが、これを放っておく
と腐ってしまうため、届いたものから順にひと釜6時間の釜だき作業を昼夜交代で行います。毎年この時期は、次々とやってくるひじきと格闘して戦争のような騒ぎとなります。従業員たちはこの状態に「もうやめたい」と音を上げる人もいますが、これが房州ひじきならではのおいしさを守る唯一の方法なのです。
この時期、五十集からの釜だきの白い煙が立っているのを見ると、地元では「春が来た」と感じる季節の風物詩ともなっています。