古民家再生で
地域を元気にしたい
建築士を志す
出身は千葉県柏市で生まれ、小学校5年生までは我孫子市に、6年生から八千代市に引っ越し今も住んでいます。
私が建築の道に進んだのは、父の影響だったかもしれません。私自身は小さいとき絵を習っていたこともあり、絵を描くことも好きでした。父はゼネコンで土木設計の仕事をしていて、設計という仕事が身近で、手に職をつけた方がいいとも言われていたので、高校生の時には既に建築の道に進む事を決めていました。
大学を卒業後、東京の設計事務所に就職しました。この会社では一般の住宅の設計管理だけでなく、公団と一緒に街づくりの仕事もしていました。寝る間を惜しんで仕事をし、ほとんど毎日終電で帰っていましたが、好きな事をやっているので自分自身は大変とは思っていませんでした。
その後職場で知り合った主人と結婚し子供が出来ましたが、そのまま設計事務所に勤め続けるのが難しくなり退職しました。半年後、30歳の時に株式会社空間計画提案室を立ち上げました。事業が軌道に乗るまで1年間はひとりでやっていましたが、その後主人も退職して一緒にやり始めました。
株式会社人と古民家の設立
株式会社空間計画提案室を設立し、13~14年間はほとんど建物単体の設計管理をやりながら経営の勉強会にも参加していました。今から4年ほど前に、今まで勉強してきた事をもとに新しいビジネスモデルを造る課題に取り組みました。その時に勧められたテーマが「古民家」でした。
不思議なもので、このテーマを勧められたタイミングに併せたように古民家リノベーションの相談が舞い込んできました。電話の主は以前私が勤務していた建築事務所の街づくりプロジェクトのメンバーだった方でした。築130年になる奥様の実家の古民家をリノベーションして残していきたいという事で、誰に相談したらいいか分からず、設計事務所をやっている私を思い出し連絡してきたそうです。
この相談が来た事で、今までほとんど目は東京に向き、南房総には興味が無かった「千葉都民」的な私と大多喜町との出会いでした。この出会いがきっかけとなり、私が持っている街づくりや都市計画などのスキルを使って、設計事務所として古民家再生のビジネスモデルを実現しようと思い、今までの株式会社空間計画提案室とは別に「株式会社人と古民家」の設立をすることにしました。この古民家リノベーションの相談が無かったら「株式会社人と古民家」が出来なかったかもしれません。