古き良き畳を
新しいものとして現代に伝える
畳とリフォームと畳卸の会社
株式会社備後屋は1973年(昭和48年)に私の父古志安彦が畳店として創業した会社です。昔は畳替えの仕事はお客様の家におじゃまして作業するため、襖や壁紙が痛んでいるとかという困りごとを伺い、知り合いの経師屋さんと一緒に仕事をし始めたのがきっかけで、リフォーム事業を始めました。
もうひとつの事業は東日本エリア(名古屋から手前)の畳店に畳表(たたみおもて)の卸売業です。我が社の畳表は、中国四川省で日本人農家の指導の下栽培しているイグサで織り上げた上質の畳表です。
私が家業を継いだのは、2010年でした。小学校の卒業文集で将来の夢は「家業を継ぐこと」と書いていました。でも、子供の頃の記憶では、同級生のお父さんはサラリーマンが多く、自分は職人さん達が仕事をしている作業場を通って通学することが「はずかしい」と思っていた事を覚えています。
大学を卒業する時に家業を継ぐことは考えていましたが、父親には無い自分の強みを作りたいと思いました。直感的な父親とは違うスキルは、「物事を論理的に考える思考力」だと考え、就職先を探しているなかで、システムエンジニアの仕事がまさしくそんな仕事だという話を聞いて就職を決めました。5年間という期限付きで採用していただき、約束通り5年後に退社して備後屋に入社しました。
お客様の信頼に応える職人がいる会社
今から35年位前にリフォーム事業を始めました。畳屋でスタートし、職人が社員として入ってきて拡がってきました。その結果、社員の半分は職人です。畳の職人をはじめ、襖や障子の職人、設備の職人など一通りの職人が社員としていて社内でできるようになっています。更に社員だけでは様々なご依頼に応える職人の数が足りなくなるので、備後屋同志会という40社あまりの協力会を組織して対応をしています。
リフォームのお客様は、会社の近所の個人のお客様が大半を占めているので、畳替えでおじゃました際に、その後フローリングがやりたいとか様々なオーダーが入ってきます。最近では庭や外壁など外回りのオーダーも入ってきています。
リフォームの仕事は千差万別で、目に見えるところだけでは済まない場合もあります。近頃は単純に見積金額だけで比較されるようなお客様も増えていますが、ご紹介など、できるだけ信頼関係が結べるお客様のお仕事をさせて頂くようにしています。