先人の技術にIoTを取り入れ、
安心・安全な苺づくりに取り組む。
創業40年のいちご園
梶いちご園(旧小手苺園)は苺づくりを始めて40年になる成東の国道126号線(通称ストロベリーロード)にある山武市の苺園です。
苺の直売といちご狩り、手作りのいちごジャムの製造販売をしており、栽培している品種は14種類ほどで、直売が中心で7割、いちご狩りが3割の割合で営業しています。
いちご園の直売所で買ってくださるお客様は常連の方が多く、開園当初からきていただけるお客様がお孫さんを連れて見えるなど、三世代に渡ってご愛顧いただいています。
苺は病気が多いといわれていて、病気が発生するとビニールハウスの中が全滅するほどのダメージが出てしまいます。殺菌剤などの農薬は予防接種のように使う事が多く、その結果農薬を多く使う事になりかねません。
いちごの販売は12月から翌年5月の連休位までなので、人から「苺屋さんは半年仕事して半年遊んでいていいね」といわれる事がありますが、梶いちご園では病原菌が増えないように土を休ませ、次のシーズンのための土のメンテナンスや育苗などの準備にあてているので、実際に休む暇はありません。
次のシーズンに向けた土のメンテナンスは、「米ぬか」と「もみ殻」で作った自家製の堆肥を土に混ぜ、真夏の暑い時にビニールをかけて発酵させながら太陽熱で殺菌をする「太陽熱消毒」を行っています。手間はかかりますが、そうすることで病原菌がいない土が出来上がり、農薬を使わなくて済む、安心・安全な美味しい苺ができる環境ができあがります。
大工から苺農家へ転身
私は元々白子町の生まれで、父が大工をしていました。父の跡を継ぐため、高校を卒業して直ぐは一緒に働かず、仕事を覚えるために別の親方の所で修業をする事になりました。
お世話になった親方は、「材料を無駄にしても、間違えてもいいからやってみろ」という指導をしてくださる方で、自分もそれに応えて修行をさせていただきました。
修行を終え父と大工の仕事をしていましたが、建築業界の仕事がだんだん少なくなり、先々の事で思い悩んでいました。
一方妻の実家は苺園をやっていましたが、結婚した頃には義父が病気で働けない状況で、後継ぎもいないという状況でした。思い悩んだ結果、「人生二度目の修業をすればいい」と考え、今の自宅を建てたのを最後に、大工をやめ苺園を継ぐ事にしました。
苺の栽培は、病気の義父から指導を受けることができない状態でしたが、義父から苺の栽培を教わったという方に教えてもらうことができました。今振り返ってみると、大工の修業も苺栽培の修業もいい師匠に恵まれていたのだと思います。
大工をやっていた時もどうしたらお客様の使い勝手が良くなるか、どうしたら喜んでもらえるかを考えていました。苺園に転身してからも、お客様に喜んで笑顔で帰ってもらうにはどうしたら良いかを考え、工夫するように心がけています。今になって思うと、大工の仕事をしていた時と変わっていないようにも思えます。