一手間を惜しまず出汁文化を支える。
鴨川で創業100年
有限会社永井商店は2020年5月で創業100年を迎えました。鰹節や鯖節を削って、出汁用の削り節をはじめ、用途に合わせた商品を製造しています。販売先は学校給食や蕎麦屋さん、和食のお店、ラーメン屋さんなどの業務用ですが、10年ほど前から一般消費者向けに小売り用の小さなパッケージの物なども用意し、また「鰹つゆ」や、鰹節を粉末にした「かつお粉」などの商品開発も行い販売しています。
鰹節には鰹を捌いて煮て焙乾した「荒節(あらぶし)」のほか、焙乾した荒節にカビ付をして熟成させた「本枯節(ほんかれぶし)」があり、わが社ではどちらの加工もしています。
製品のなかで特筆すべきものは、鰹節を製造する2社と作った「房州産鰹節鯖節・削り節生産会」で「千葉ブランド水産物」に認定された「房州産鰹節・花かつお/房州産鯖節・鯖花削り」です。
この「房州産鰹節・花かつお/房州産鯖節・鯖花削り」は、令和元年11月12日の天皇陛下のご即位の際に行われる大嘗祭(だいじょうさい)の庭積机代物(にわづみのつくえしろもの)に千葉県から供納された農水産物5品目のひとつに選んでいただきました。
本社工場
工場内部も衛生的に保たれている
江戸時代からの鰹節づくり
1758年(宝暦8年)に紀州日高郡印南村(いなみむら)で生まれたかつお節職人の印南與一(いなみよいち、別名:土佐の与一)が門外不出の鰹節の製造方法を房州千倉南朝夷(みなみあさい)の網元だった渡辺久右衛門に伝授したのが始まりといわれています。
当時江戸の市場を独占していた紀州の「熊野節」に対し、与一の製法で作られた房州の鰹節は「房熊節」と呼ばれ江戸でも評判になりました。
永井商店は鴨川の太海で祖父が1920年(大正9年)に夫婦で創業し、作った鰹節を削り節に加工して蕎麦屋さんなどに卸すようになりました。
当時鴨川の他の地区で作られた鰹節は、問屋さんへ販売していましたが、太海地区に5件ほどあった鰹節屋は、自分たちで直接蕎麦屋さんなどに販売していたため、鰹節づくりだけでなく削り節まで加工をして販売していました。
元々私は自衛隊に入隊し転職後、建築関係の仕事をしていましたが、29歳の時に結婚したのを機に妻の実家の永井商店の3代目として跡を継ぐことになりました。当時は、得意先は蕎麦屋さんがほとんどで、東京を始め全国の蕎麦屋さんに販売していました。
私が跡を継いでからも創業の地である太海地区で加工をしていましたが、建物が老朽化したため、今から14年ほど前に現在の場所に新しい工場を建築し移転しました。
エアーシャワーも設置して食の安全にも配慮している
学校給食にも無添加の花かつおが採用されている