地元に愛される
企業になるための「覚悟」
地域のための
車と不動産の企業
株式会社サンアイクは、2001年(平成13年)に創業した軽未使用車専門店、プリウス専門店、車検の速太郎茂原店を運営している、今年でちょうど20期目になる会社です。
サンアイクという社名は、「サン」は太陽の「サン」を表し「アイク」は私の名前、愛敬薫を短くしたもので、「太陽」は毎日世の中に光やエネルギーを無限に与えてくれるので、私の中では「与える」という意味を持っています。だから社名は「太陽の様に与え続けられるような会社になりたい」という想いを込めています。
軽未使用車専門店と車検の速太郎茂原店は、以前はそれぞれ別の場所にありましたが、お客様の利便性と経営効率を考え、店舗を統合して2020年5月にオープンしました。
当社は車検屋ではなく車屋なので生涯取引が不可欠で、買っていただいた車が止まったりぶつかったりして、お客様から「助けて」とご連絡があると、販売した責任があるのですぐに飛んでいきます。更にオイル交換も点検も無料にし、いつでもお客様が気軽に来ていただける、そうやってお客様と常にかかわっていたいと考えています。
車検の速太郎に加盟したのも普通ディーラーなどでは2日かかる車検が1時間で終わり、内容も決して負けていないからです。それを実現するにはスピードが必要で、そのためにもこの店舗を作りました。速太郎の加盟店の中でも最速の月間500台の車検台数を目標に掲げ努力しています。
また、今年で4期目になる関連会社の株式会社サンアイク不動産も始め、更にサンアイクリフォーム事業部を立ち上げ、車と不動産で地域のお客様に役立てるよう努力を続けています。
サンアイク軽未使用車専門店
1時間で車検ができる車検の速太郎茂原店
「覚悟」を決めて
トップセールスマンを目指す
私が子供の頃は、人と群れるのが面倒くさかったので、一匹狼というか人と群れない番長のような子供でした。野球が大好きで、小学校まではプロ野球選手になりたいと思っていました。
中学校に上がる時、母親から「勉強か野球のどちらかを一生懸命やりなさい」といわれたので、迷わず「野球をやる」と答え野球ばかりやっていて、高校へも野球推薦で進学しました。
当時の高校3年生は7月まで夏の大会の予選をやって、試合に負けた瞬間に「就職を決めなさい」と突然言われるような状況でした。私は当時流行っていたトラック野郎になりたくて、先生に話したら「お前は車が好きならトヨタへ行け」といわれました。
先生に言われた通りトヨタのディーラーに営業として入社しましたが、車が好きなわけではありませんでした。当時ディーラーの営業は厳しい世界で、同期は1、2年で7割近くが辞めるといった状況でした。同期がどんどん辞めていく中、自分も辞めようかとも思いましたが、野球部時代に教わった「「逃げちゃいけない」という言葉を思い出し、嫌で辞めたら逃げる事になるので、「トップを取ったら卒業だ」と自分で決め、トップを目指して頑張る事にしました。
トップセールスマンになるには年間100台売ればなることができます。当時のディーラーには、営業が400~500人はいたでしょうか、皆狙っている1番を取るのは簡単ではありませんでした。「人がやらない仕事を人よりもたくさん」、そして「人よりも濃く」やるようにしました。一度トップを取っても皆すぐに落ちてしまうといわれていたので、特殊な能力も何もない私は、たくさんのお客様を作ろうとしました。当時は10年に1回車を買い替えるような時代だったので、1,000人のお客様がいればずっとトップでいられるという計算を立て、1,000人のお客さんを作ろうと考えました。
そのためには車の販売以外でも、「困ったことがあったら全部私に言ってください」365日24時間、「何かあったら私の携帯を鳴らしてください」「夜は寝起きが悪いので3回位は電話してください。絶対に逃げませんから。」と「覚悟」を持って臨みました。そんな私の姿勢を見て、お客さんも応援してくれるようになりました。
24歳位から成果が出てトップセールスマンになり、トップを29歳まで続けました。
旗艦店となっている店舗
オープンしたてのきれいな店舗内