伝統を守りつつ
進化する酒造り
創業1866年の造り酒屋
株式会社宮崎酒造店は創業1866年(慶応2年)の造り酒屋で、私で6代目になります。会社は清澄山系から木更津市までを流れる小櫃川(おびつがわ)沿い、君津市の北、木更津市に隣接した場所にあります。敷地内には当社の歴史を象徴するように君津市の保存樹木になっている樹齢7〜800年ともいわれるスダジイがあります。
江戸の昔から良い水が手に入る久留里にはかつて多くの酒蔵があり、小櫃川を下って木更津まで運び、木更津からは東京湾を通って江戸へと酒が運ばれていたそうです。
かつて当社も久留里にあったようで、その頃の資料は残っていませんが、もらい火で焼けてしまったため、現在の地に移って再び酒造りを始めたのが1866年(慶応2年)だったようです。現在も久留里には数件の造り酒屋がありますが、そのような理由で当社だけが久留里から離れた場所にあります。
代表的な酒は「峯の精」で、一部は道の駅でも販売していますが、当社の敷地内に店舗があるので気軽に立ち寄って購入していただけます。
小高い丘になっている入り口には大吟醸峯の精の看板
君津市の保存樹木になっている巨大なスダジイ
敷地内の店舗
店舗の中にはたくさんの酒が展示されている
伝統を継ぐのは
当たり前
私と姉の二人兄弟で、他に何かになりたいと思う事も無く、「跡を継ぐのが当たり前、俺がやるしかない」と思っていたので、完全に洗脳されていたかもしれません。
今は大変な時代ですが父の時代にはまあまあ景気も良く、父は「是非継いでほしい」と頻繁にしょっちゅうゴルフへ行くなど意識して楽な姿を見せていたかもしれません。
結果、跡を継ぐ考えはブレることなく、学校を卒業して直ぐに酒類総合研究所で酒造りの勉強をして実家に戻り跡を継ぎました。
仕事をするようになってからは、青年会議所の会長や、全国の酒造組合の役員、商工会議所の役員をさせていただいたりと、色々な役職を経験させていただきました。そのおかげで全国の同業者はもちろんの事、違う業種の方とも知り合う事が出来、大いに勉強させていただきましたが、ほとんど家にいないという状況で家内には大変申し訳なかったと思っています。
現在も多くの役員はやらないようにはしていますが、地元の祭りの世話役など地域の役程度で、仕事では千葉の酒造組合で副会長を務めさせていただいています。商売をやっていて、特に地元にはお世話になっているので、誰かがやらなければいけない役職を引き受けるのは当然のことだと思っています。
店内に飾られた昔の酒造りの人形
店内に酒造りの工程が貼られている
昔の酒造りで使われた桶なども展示されている
Tシャツや前掛けなどグッズもある