日本刀の技法「総火造り」で
職人技を伝承する
千葉県伝統的工芸品の
三代目正次郎
有限会社正次郎鋏刃物工芸は、「成田打刃物」として千葉県伝統的工芸品の認定をいただき「裁ちばさみ」や包丁などの製造販売をしています。製法は日本刀と同じ型のない「なん鉄」と「鋼」を合わせて金槌で鍛錬して造る「総火造り」で、手造りでひとつひとつ作っています。
詳しい資料は残っていませんが元々先祖は刀鍛冶で、その後製法は変わりませんでしたが、造るものが「刀」から「裁ちばさみ」に変わりました。現在も南千住で「裁ちばさみ」を作っている長太郎製作所が本家にあたります。
私の祖父も職人でしたが、次男坊なので本家から独立し、祖母の実家に近かったこの成田で「正次郎」という自分の名前で裁ちばさみ造りを始めました。弊社代表の父、洋一郎が祖父の跡を継ぎ「正次郎」の銘を受け継ぎ、私で三代目になります。
私たちの作る製品は量産品ではなく、ひとつひとつ手作りで型で抜いて作るわけではないので庖丁一本一本も少しずつ違いがあるような製品です。
また、今から30年位前のまだ鋏を中心に製造していた頃に、たまたまオーダーでいただいた出刃包丁の柄に布袋竹(ほていちく)という竹を使ってみたのが始まりで、滑りずらく持ちやすかった事から、それ以来庖丁の柄には布袋竹を使っているのが特徴です。今ではこの布袋竹を手に入れるのも大変で、色々な方から情報をいただいて取りに行ったりしています。
造った製品は、主にデパートなどで開催される催事や東京都が開催するイベントなど月のうち1週間程度を目安に出店して直販しており、会場では修理の受付などもしています。
以前は裁ちばさみをメインに販売していましたが、現在は八割が修理になってしまい、販売する製品のメインは庖丁に置き換わってしまいました。それでもお客様が持ち込んだ鋏を修理していればそれが信用となって、また新しい商品を買っていいたけると思って積極的に引き受けています。
製造しているのは包丁や裁ちばさみの他、職人さんや一般の方から既製品には無い「こんなものを作れないか」というご相談を受けた物を製造しています。しかし、オーダー品も特注だから費用が高くなるという事では無く、材料の大きさと手間の度合いなので、図面などをお送りいただければ金額は直ぐにお答えする事が出来るので安心してご注文いただいています。
正次郎鋏刃物工芸の工房
工房内には過去に取材された記事などが展示されている
職人のやりがいを知り
職人の道に進む
私は子供の頃に祖父が取材を受けていると、その傍に付いているような子でした。祖父の名前が「正次郎」で私の名前も字は違いますが「祥二朗」と同じで、小さい頃はそれがうれしかったのですが、次第に大きくなるにつれて「同じ名前だから継ぐんでしょ」といわれるようになり、それが嫌になってきて、「継ぎたくない」という思いが大きくなり、専門学校を卒業して自動車ディーラーに就職し営業の仕事をしていました。
自動車ディーラーでお客様と接するようになり、販売できた喜びを感じるようになってきた頃、父が催事に出店して「今日はこういうのが売れたよ」とニコニコしながら帰ってきた姿を見て、「自分で作ったものを自分で販売して、お客様に喜んで買ってもらえる事は一生続けていく仕事としていいな」と思うようになった事がきっかけで、ディーラーを退社し、跡を継ぐ事にしたのが23歳の頃でした。
職人修行のスタートとしては遅かったのですが、基本の刃金付などは小さい頃から出来ていたので、一からの修業ではなく、あとはそれをどのように鋏の形にしていくかの修業でした。
父も昔の職人なので同じことを何度も言ってくれるわけではなく、修業は自分で毎日試行錯誤して覚えていくようなものでした。私の作った失敗作が山のようになり、その中で使えそうなものを父が直して製品にしているというありさまでした。自分がダメだと思っていたものを修正してきちんとした製品になっていく姿を見て「すごいな」と思うばかりでした。恐らく父に一から十まで教わっていたら、ここまでにはなれなかったかもしれません。
次第に仕事を覚え、部分的に任せてもらえるようにはなっていきましたが、自分一人に一から十まで任せてもらえるようになったのは修業を始めて十年余りした頃でした。
販売の方は、自動車のセールスで「お客様と長く付き合うにはどうしたら良いか」を学んできたおかげで、他社の包丁の「研ぎ」を依頼されるお客様にも「うちに持ってきてくれれば研ぎますよ」と快く対応していると、そのうちに私たちの庖丁を買ってくれるようになってくれます。そのうち製品の良さを感じてくれるお客様の口コミや紹介などでも徐々にお客様が増えていきました。
高温と火花と格闘する庖丁を製造する際に使う炉
鋏の形が作られる鋏専用の炉