地産地消・習産六消
(ならさんろくしょう)で
美味しい料理を提供する
千葉の食材を
六本木でも出すレストラン
ジリオーラ津田沼店は、津田沼駅南口の津田沼中央総合病院に隣接したビルの1階に2014年(平成26年)にオープンしたイタリアンレストランで、1994年(平成6年)東京の六本木にオープンしたジリオーラ六本木店は姉妹店になります。
ジリオーラの経営は、私が代表を務める株式会社ミキ・プランナーズという会社で、元々は東京で複数の飲食店を経営していました。今でこそ外国の要人が公式訪問した際に民間のレストランを訪れるのはよくある事ですが、当時経営していた高級焼き鳥店にアメリカの第39代大統領のジミー・カーター氏がご指名で来店した事で話題になった事もありました。元々カーター氏は州知事の頃からこの店を知っていて、来日の際に訪れてくれていたようです。
私自身は元々六本木のジリオーラで社員として働いましたが、先代の社長に請われて事業承継をして代表になりました。
私に経営を交替してからは、店で使っている材料をできるだけ千葉の良い素材を使って料理をしたいという思い、そして東京にも紹介したいという思いで地元の食材を使うようになりました。仕入れも当初はなかなか相手にしてもらえませんでしたが、母親の実家もこの店の近くの農家で、父親も検見川の元漁師という事もあり、そんな話をしていくと最初は相手にしてくれなかった農家や漁師さん達も次第に協力してくれるようになりました。今では習志野市の実籾や鷺沼、船橋などの農家さんや漁師さんから直接仕入れ、姉妹店の六本木店にも毎日運ぶようになりました。
ジリオーラ津田沼店の店舗フェイス
落ち着いた店内
あこがれのシェフに師事し
料理人を目指す
小さい頃から料理人になろうと思っていたわけではなかったので、学校は高校も普通科、大学も経済学部経済学科という料理とは無関係の学部に通っていました。
しかし、子供の頃を振り返ってみると、小学生くらいになると見様見真似で何かしら料理を作っていたので興味はあったのかもしれません。
料理の道に進むきっかけになったのは、高校・大学と続けていた飲食店でのアルバイトでした。アルバイト先も最初はファーストフードから始まり、ディナーレストランなどへと自分なりに徐々にステップアップしていました。
ディナーレストランでは、アルバイトしていた店の一部にテストキッチンもあり「メニュー開発部」として新しいメニューの開発をしていました。そこには他にもバイヤーの方や料理を考えるシェフ、栄養士さんなど色々な人がいて、一つの料理を作るのに色々な人が携わっている事を目の当たりにし大いに興味を持ちました。
更に実際にメニュー開発をしている元々料理人の方が自分の知らない全く違うやり方で野菜を剥いているのを見て、すごく「かっこいい。自分もプロになりたい。」と料理の道に進む決心をし、いずれ独立する事も考え日本人にも馴染みが深いイタリアンを選びました。
就職先は卒業を待たず大学卒業の目途が立って直ぐに探し始めました。「どうせ受かるわけがない」と半ば冗談のつもりで憧れのイタリアンシェフの佐竹弘氏が当時在籍していたジリオーラを受けたところ、奇跡的に受かって働けることになり、佐竹シェフは私の師匠になりました。この店には、当時から既に有名だった佐竹シェフの愛弟子の原田慎次シェフも在籍していました。
念願の入社は果たしたものの、大学を卒業してから本格的な修行に入るという遅いスタートだったので、3人位いた同い年の先輩のひとりは既に12人いた料理人の上から3番目位のポジションになっていました。私が4年間大学に行っていている間につけられた差を詰めるためには、その人が何もしていない時に自分が前に進んでその差を詰めていくしか無いという結論に達し「寝なければいい」と、ひたすら睡眠時間を削って本を読むなど勉強をしていました。
創業以来使われているジリオーラのマーク
津田沼店のキッチン