地域のために安全運転と
運転の楽しさを伝え
日々改善に取り組む
事業承継で自動車教習所を
経営する事になる
株式会社北総エンタープライズが経営している北総自動車学校は、数年前の国道464号線の開通により、程よく田舎で程よく市街地、運転の練習にはもってこいの教習所で、いつも心暖かい地域の皆様に見守られながら教習をさせていただいております。
通常の通学と合宿の両方を行っていますが、千葉ニュータウンの免許人口が増加傾向である事と、コロナ禍の影響で、一部合宿はお断りしているため、その比率は80%強が通学で、合宿は20%弱で、現在地域の皆様が中心で運営しています。
グループ会社には自動車の車検・整備・販売の有限会社北川モータース、日本医科大学 千葉北総病院の患者の搬送や病院のバスの運行を行っている北総ホスピタルサポート株式会社があり、現在は私の二人の兄がそれぞれ代表を務めています。
元々北総自動車学校は1970年(昭和45年)に株式会社北総という会社が設立した自動車教習所でした。当時両親が経営していた北川モータースは、自動車学校から数百メートルの場所で、昔から教習車の修理や車検などを受注していたご縁がありました。当時の社長から事業承継のご相談を受け、2008年(平成20年)に父が株式会社北総エンタープライズを新たに設立し、自動車学校を承継しました。
事業承継をした当時は、少子化の影響、地域の他の教習所との競合、またバブル崩壊後の様々な社会変容のあおりを受け、この地域での教習所の経営が厳しい事は明らかで、母は反対するなど、非常に厳しい環境からのスタートでした。
現在の自動車学校
教習コース
乗り物が大好きな
引っ込み思案な子が
指導員になる
私は子供の頃から乗り物に乗って景色を眺めるのが大好きな子で、印旛沼で父が運転する船外機付きのボートに乗せてもらったり、車の助手席に乗せてもらって一緒に仕事に行くのが大好きだった一方、保育園や幼稚園にも行きたくないというほど酷い引っ込み思案で、両親は手を焼いていました。そんな私を見ていた父は、様々な引っ込み思案の矯正体験をさせました。小学生の私を突然南の島でホームステイさせてもらうツアーに参加させたり、11歳の私に4歳上の兄と二人きりでスキューバダイビングの学校に行かされたりしました。私と兄が入れられた伊豆海洋公園ダイビングセンターは、レジャー感覚でなく、水産大学(現東京海洋大学)の学生などが訓練するような所で、大学生に交じって体育会系のような訓練をさせられ、半泣き状態で訓練を受けた事を覚えています。でもそんな体験のおかげで「やってみたら何とかなる」と思えるようになった気がします。
スキューバダイビングを覚えたおかげで海が好きになり、高校を卒業しマリンスポーツの指導員などを養成する海洋スポーツ系の専門学校に進みました。
専門学校は卒業しましたが指導者の道には進まず、「いっぱい旅行がしたい」という思いで旅行会社に就職しました。最初の会社が海外リゾート専門店で予約手配の仕事、転職した2社目の会社では企画や添乗業務を含む仕事で、同じ業界の異なる仕事の経験はとても貴重なものでした。その当時はバブル時代で、旅行業は大変忙しかったですが若い社員も多く、よく働き・良く稼ぎ・よく遊ぶという暮らしをしていました。
やがて旅行会社を退職し、結婚・1人目の子供が2歳になった頃に父が教習所を引き継ぎました。その後2人目を出産して実家にいた時に、父から「人手不足でどうしようもないから手伝ってくれ」と頼まれ、2歳と生後5カ月の二人の子供を保育園に預けて事務員として働くことになりました。
実際に入社してみると、小さい会社なので一人がオールマイティーに仕事をこなす必要があると感じ、送迎バスの運転も必要だと免許を中型免許に切り替え、その後指導員になる必要もあると感じ、指導員の資格も取得し、指導員としても勤務していました。
かつての北総自動車学校
現在は教習車もリニューアルされている