常に「次の手」を模索し
地域を盛り上げるために尽力する
白子大坂屋だった
ハクダイ食品
ハクダイ食品有限会社は、1928年(昭和3年)に祖父が「大坂屋」という名前で創業した魚の移動販売が始まりで、その後父も二代目として車で移動販売をしていました。
三代目として私が跡を継ぐ事になり、それまでの魚屋はやめて鯨だけで勝負することにし、1987年(昭和62年)には直売店を始め、1989年(平成元年)に社名も「ハクダイ食品有限会社」として法人化にしました。
移動販売をしていた時代に、この場所の「白子」という地名の「大坂屋」という魚屋だった事から、「白子大阪屋」と呼ばれていました。法人化する際に社名を「白子」の「白(ハク)」と「大坂屋」の「大(ダイ)」をカタカナ表記にして、「ハクダイ食品」としました。
主力商品の「くじらのたれ」は鯨の肉を干したもので、元々この辺に住んでいる方たちが家庭でも作っていた江戸時代からあるものです。祖父や父が魚屋をやっていた当時も、売れ残った鯨の肉を干して売っていたのがハクダイ食品の「くじらのたれ」の始まりでした。
2010年(平成22年)頃になると鯨に対するバッシングが多くなり、有名になればなるほど海外からの迷惑メールやホームページへの攻撃などが始まりました。
「鯨を扱うのはこれから厳しいのでは」と思うようになっていた時、近くにあった干物工場が工場をやめてしまうと聞きつけ、そこを借りて干物工場を立ち上げ、商品の比重を干物商品に若干シフトして地元のスーパーなどに卸していました。更に2012年(平成24年)には現在の場所に鯨と干物の工場を新たに作りました。
楽天市場やYahoo!ショッピングなどネット販売を始めた事から、販売先は全国レベルに拡大し販売を行っています。
ハクダイ食品の本社と工場(左)直売店(右)
直売店の店内の様子
漫画家になるはずが一転して
「くじらのたれ」を売る
私は祖父や父がやってきた魚屋の仕事を継ぐのが嫌で、大学受験をしましたが残念ながら願いかなわず、東京の簿記の専門学校に通う事にしました。当初は税理士を目指そうと思っていましたが、その時転機が訪れました。
元々私は絵を描くのが好きで、私の描いた絵を知人の知り合いで講談社の編集部の方が見て「漫画を描いてみないか」と誘ってくれたのがきっかけで漫画家を目指す事になりました。26歳の時に私の書いた作品は賞を受賞し、いよいよ本格的にやっていくつもりになったところで、実家から突然父が倒れて半身不随になったという知らせが届きました。
とりあえず実家に戻っても漫画は描き続けようと思っていましたが、帰ってみると母が「くじらのたれ」と魚の販売を続けていたので「くじらのたれ」だけでも手伝おうと思い、手伝い始めました。
1988年(昭和63年)にミンククジラとマッコウクジラの沿岸捕鯨を中止になりましたが、その報道の影響なのか何故か鯨の肉が売れるようになりました。当時はバブルの時代で鯨の肉は「黒いダイヤ」などとも呼ばれ、引っ張りだこになりました。そこで鯨の専門店の小さな売店を作って始めたところ大盛況になり、店番をしながら漫画を描こうという思惑は大きく外れ、漫画家になる夢はあきらめざるを得なくなりました。
また、現在君津市にある新日鉄(現在の日本製鉄東日本製鉄所)が出来た頃は、九州から多くの従業員の方が君津へと移住してきました。九州の方は鯨をたくさん食べる習慣があり、鯨の肉を塩漬けにした「塩鯨はないの?」などと多くのお問い合わせをいただくようになったのがきっかけで、鯨製品も「くじらのたれ」以外に「塩皮くじら」「さらし鯨」「ベーコン」などの新たな鯨商品を作る事になりました。
一番人気の看板商品「くじらのたれ」
直売店には様々な鯨の加工品が販売されている