農家の主婦が起業して
「さつまいも100%の極上スイーツ」を作る
さつまいもの加工品を
製造販売する
いっぷく堂は、さつまいも農家の主婦3名で作った「干し芋」と「焼き芋」などさつまいもの加工販売をする創業7年目の会社です。
干し芋を作る際に皮を薄く剥けば歩留まりは良くなりますが、芋の縁は黒くなってしまいます。私たちが作る干し芋は見栄え良く仕上げるため皮を厚く剥いて、見た目もきれいに仕上がるように作っています。厚く剥いた皮など加工の際に出た残渣(ざんさ)は、当初は近隣の牧場や養豚場に飼料として出していました。しかし、厚く剥いた皮には蜜が出ていてもったいないと思い、皮や干し芋にならなかった残渣を加工し「いもみつ」として商品化しました。出来上がった「いもみつ」は「食のちばの逸品を発掘 2019 直売所部門」で「金賞」を、優良ふるさと食品中央コンクールでは国産農林産品利用部門で「一般財団法人食品産業センター会長賞」をいただく事ができました。
会社は2015年(平成27年)の7月に設立し、翌2016年(平成28年)の1月から工場が稼働し始めました。当初は佐原の道の駅の他、茨城が本社のスーパーや「房の駅」などで販売していただきました。また、会社設立当初はデパートなどで開催される催事にも出店していましたが、そのためには販売員も確保しなければなりません。私自身が販売員として行く事も多かったのですが、積極的に催事に出店する事は無いと考えなおし、直売所を作って直売に力を入れる事にしました。
直売所は当初事務所の片隅で販売しているような状況でしたが、一昨年の秋に事務所を広げたのをきっかけに、休憩室として使用していたスペースを改装して立ち上げました。
商品の販売先は、年2回程度の商談会への参加や口コミで次第に広がってきました。また香取市のふるさと納税「さとふる」に出品した事で商品の情報が全国に届くようになり、納税していただいた方のリピート購入が増えています。
現在は設立当初からの販売先に加え千葉のデパートでも販売するようになり、更に自社のネット販売と直売所で販売しています。
芋畑の中にあるいっぷく堂の全景
カフェを併設した直売所
廃棄していた部分から作った「いもみつ」
「いもみつ」は「食のちばの逸品」で金賞受賞
農家の主婦3人が
会社を作る
私は多古町の出身で、実家は農家ではありませんでした。学校を卒業して川崎で経理の仕事をしていました。その後勤務していた会社が成田の野毛平に移転になった事で、実家から会社に通うようになりました。その後主人と結婚して会社は退職し、経験の無かった「さつまいも農家」の嫁になりました。
この地域の農業は根菜を中心に栽培していて、私が結婚した頃はさつまいもを中心に栽培していました。残念ながら今の様にさつまいもの人気が無かった頃で、農協に出荷する関係で栽培している品種も「紅あずま」をメインに栽培していました。この品種は「暴れ芋」といわれるほど形が悪く、1ケース500円にしかならない事があったほど安値で取引されるような芋でした。
その後「安納芋」が流行になったのが始まりで、その後に新しい品種「紅はるか」が登場したおかげで、さつまいも人気が上昇すると共に「紅あずま」と違って形の良い芋が収穫できる事から芋の相場も改善しました。
次第に生協に「にんじん」などの根菜も販売するようになり、出荷団体と消費者の交流会で後の「いっぷく堂」の創立メンバーと知り合う事になりました。その頃は「いつか自分たちの野菜で何かできたらいいね」と話していました。
「紅はるかの干し芋はおいしいよ」という話を聞きつけ、私と取締役の椎名さんは夫々の家の出荷できない大きな芋をもらって干し芋を作り、当時出来て間もない佐原の道の駅に出荷しました。当時は地元産の干し芋は無く、食品衛生に対応した施設がなくても商品を作り販売する事が出来ました。
手作り感満載の干し芋が人気になりましたが、ひとりでやっていたのでたくさん作る事が出来ませんでした。当時の駅長さんから「売れるんだから別々に作っていないで、会社を作って本格的に干し芋を作ったら?」といわれた事を「真に受けた」のがきっかけで、私と椎名さん、それに生協への出荷仲間の香取さんにも声をかけ、会社を始める事にしました。
会社設立にあたって「本当の干し芋はどうやって作るか」を農業事務所などに相談し、茨城の方に見学に行かせてもらったり、市役所の農政課に相談するなどして準備を進めました。「どうやったら会社が作れるか」というレベルからのスタートでしたが、今になって思えば会社を作るまでの時間は早かった気がします。また、設備導入の資金繰りなどでも苦労をしましたが、やる気だけはあったからできたのかもしれません。
いっぷく堂創業メンバー
創業のきっかけとなった道の駅「水の郷さわら」