「チョコレートを中心としたデザートで
お客様の食生活に彩りを提供する」
を企業理念に
高級チョコレートを製造販売する
「八街市発」
高級チョコレートメーカー
株式会社グランプラスは、株式会社トーメンが輸入販売していた製菓用の原材料「クーベルチュール※」の販売促進と本格派の高級チョコレートを流通させる事を目的として1991年(平成3年)に富里町に設立されたチョコレートの製造販売会社です。製造したチョコレートはトーメンの流通ブランドである「グランマルシェ」で販売し、「クーベルチュール」と共に本格派の高級チョコレートとして を使ってもらうために洋菓子店などに販売していました。
その後1996年(平成8年)には富里町の工場が手狭となったため、本社・アトリエ(工場)を現在の八街市に移転しました。
2006年(平成18年)には親会社であった株式会社トーメンが豊田通商株式会社と合併した事で、その傘下に入る事になりましたが豊田通商の事業再編により製菓業界の事業から撤退する事になり、2012年(平成24年)4月にMBO(株式を買い取り独立する事)を行い独立し現在に至っています。
本社と高級チョコレートを製造するアトリエを八街市に、自社ブランドの路面店舗兼営業拠点は東京/浜松町に置き、二つの拠点で運営しています。また、およそ13年前からインターネットでの販売も行っています。実際の売り上げ構成はOEMが70%代後半で、自社ブランド商品は20%後半という構成になっています。
チョコレートの製造工程では、どうしても規格外品が出来てしまいます。昔は社員のお茶菓子にしたり、食べきれなかったら持って帰ったり、それでも余ってしまうものは廃棄していました。その後、廃棄するのはもったいないと、地域貢献の意味も含め月2回土曜日に規格外品の販売を始めました。規格外品とはいっても高級チョコレートが安く買えると評判になっていきました。知名度が上がるに従って駐車場も満杯で、アトリエの前の道路から近隣の国道まで大渋滞を起こしてしまい、逆に地域の方に迷惑をかける事態となる始末になってしまいました。そこで休日しか来られないというお声もありましたが、地域のために始めた事でもあるので「これ以上迷惑をかけるわけにはいかない」と、あえて土・日の販売をやめてウイークデーの週3回に限って販売するようになりました。やっと定着してきたようですが、ありがたいことにそれでも販売日によっては直売所の前に行列ができる事もあります。
※「クーベルチュール」は、カカオ分35%以上でカカオバター以外の代用油脂を使っていない国際規格を満たした製菓用のチョコレート
八街市の本社・グランプラスのアトリエ
アトリエ横の直売所には行列を作る人が
IT営業から
チョコレートメーカーに転身
私の実家は農家でしたが私は一切継ぐ気はなく、父からも農家を継げといわれた事はありませんでした。高校を卒業しIT系の専門学校に進学しましたが、技術職としてIT業界に入るには違和感を持っていました。学校に来ている求人はシステムエンジニア開発の現場が多かったのですが、私はメーカー系で営業職がいいと思っていたところ、大手電機メーカーの求人を見つけ入社する事になりました。
入社後「産業・流通系IT部門」の営業に配属になり、勤務地は東京の大森でしたが、実家から2時間の通勤時間なら通えない事は無いだろうと約25年間に渡って実家から通勤する生活を送っていました。
私とグランプラスとのかかわりは、父が友人経由で銀行からグランプラスの移転先として引き合いをいただいた事が始まりでした。父は土地活用のつもりで実家の隣の敷地と社屋を提供ましたが、その時未だ私は大手電機メーカーに勤務していました。
私が2015年(平成27年)にグランプラスに入社する事になったのは、入社の2年前頃より当時の社長(故野村会長)から継続的にスカウトされていたからでした。自宅の隣がグランプラスといっても関わり合いは無く、思ってもいなかったお誘いにびっくりしました。私が「IT業界で技術職」をしていたら違った受け止め方をしたかもしれませんが、営業職だった私には「社長から新しいチャンスをいただいた」と受け取れました。
その時考えたのは、営業職は「コミュニケーション」が主で業界が変わる事に対しての戸惑いは無いだろうという事。また、営業は結局相手先の経営を観察して色々な物を提案するという仕事なので、多少経営に関する勉強もしたので「売るものは違っても、やる事は同じだ」と全く違和感を持ちませんでした。
新しい業界にチャレンジしてみる決意をして大手電機メーカーを退社し、グランプラスに専務取締役として入社、2019年(令和元年)6月に私は代表取締役に就任しました。
アトリエからは様々なチョコレートが生まれる
様々な原材料を使い新しい味をを開発