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ぴかいちば
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千葉のきらりと光る
社長へのインタビューをご紹介。
社長の熱い思いを語っていただきます。

事業と市議の両面から
地域に貢献する
白浜で「磯物」を卸す
与助丸商店
 与助丸商店は房総半島の先端の南房総市白浜町にある私の祖父の曾祖父の曽祖父に当たる人が創業した会社で、アワビや伊勢海老、サザエなどを市場や旅館・ホテルなどに卸している会社です。南房総の水産会社は「鮮魚」を主に扱う会社と、アワビや伊勢海老・サザエなど近海で獲れる魚や貝などの「磯物」を扱う会社に分かれます。大原から白浜までの外房地域はアワビや伊勢海老などが豊富に獲れる産地で、それぞれの地域には与助丸商店と同じような「磯物」を扱う会社が多くあり、旅館やホテルも「磯物」を使った料理を売り物にしています。
 与助丸の「与助」という名前は創業者の息子の名前だったそうで、元々「与助丸」という船で漁をしていた網元でした。また、この地域は「磯物」が豊富だったため、潜水漁業もやっていましたが、そのうち漁業をやめ鮮魚を市場や旅館・ホテルなどに卸す鮮魚店へと変化しました。その後、干しアワビや、干しナマコなどの加工もするようになりましたが、この加工品は中華食材として使われる事が多いため、香港をはじめ海外向けにも販売するようになり今に至っています。
 2019年(令和元年)に千葉県を襲った台風では、倉庫の屋根が飛び「空が見える」様な状態になり、生け簀の商品が死んで大損害を受けました。更に事務所も天井から雨が流れ落ち、パソコンにも雨水が降り注いでいました。その時は大きな被害を受け「商売をやめようか」と思ったほどでした。商品を守る警備システムも10日間ほど復旧できなかったため、商品を守るため駐車場に止めた車に泊まり込んでいました。
 台風被害からの復旧が進み、その痛手を取り戻そうと動き始めた頃にコロナ禍になってしまいましたが、伊勢海老やアワビなど高級食材を納めさせていただいているお客様、たとえば一泊数万円する高級ホテルなどは、逆にお客様がそこに籠って宿泊していた位で、私たちが納入する商品はほぼ今まで通り納入する事が出来たおかげで、思ったよりは被害が少なくて済みました。
有限会社与助丸商店
与助丸商店のロゴマーク
海岸線に建つ与助丸商店本社

IT系企業勤務から
与助丸商店の社長になる
 私は地元の白浜に与助丸商店を営む小川家の次男坊として生まれました。兄がいましたが、亡くなってしまったため実質長男となった私に、父はあえて「継げ」とはいいませんでしたが、「そういうものだ」という「空気感」で育てられたように感じます。子供の頃から「おちついている」といわれていたのは、そういう「空気感」のせいか「自分事」として捉えていたようで、無駄に疲れてしまう事がよくありました。
 一方でどちらかというと割に活発な方でもあり、小学校ではサッカー、中学はサッカー部がなかったため陸上を、高校に入ってからは再びサッカーをやっていました。その後社会人になってもサッカーを続けていたのは「ゴールに向かって皆でボールを運んでいく様」が自分に合っていたのだと思います。
 高校卒業後は地元を離れ大学の商学部に進学し、金融の勉強をしました。父からは「市場に就職したら」といわれましたが、自分としては「違う事がしてみたい」と就職先は金融系かIT系を考えていました。しかし、私が就職した頃はちょうど就職氷河期の時代で、大手証券会社の倒産もあり、証券会社の採用はほとんど無く、銀行も求人を絞っていて金融系には求人が少ない状態でした。一方IT系企業の求人はあったため、NTTに応募し就職する事ができました。
 入社当初は「企業のネットワーク等を扱う法人営業」に配属され、その後インターネット関連の部署に異動、退職前にはNTTデータに移り、電子マネーの開発部署に配属されました。この会社ではちょうどSuicaが電子マネーとしても使えるようになっていった時代で、同じく電子マネーのWAONができた頃でした。私は事務方でしたが、技術者と一緒に新たな電子マネーの開発にもかかわっていました。
 与助丸商店の社長だった父は私が24歳位の時に亡くなり、当時専務だった叔父が交代して事業を続けていました。叔父からも早く戻って一緒にやろうといわれ、自分でも会社に長くいたら帰るに帰れなくなってしまい、どちらも中途半端になってしまうと考えました。早く辞めて戻れば、素直に教えてもらえるだろうし、地域に溶け込むのも早いだろうと考え、30歳の時に会社を退社して与助丸商店に入社する決意を固めました。
 与助丸商店が干しアワビや干しナマコの輸出を始めたのは、私がサラリーマンになった頃からで、当時は国内の商社に仲介を頼んでいたため、商品は海外へ輸出されるものの、国内.に販売する時とさほど変わらない状況でした。
 私は与助丸商店へ入社するにあたって、単に入社するのでは会社に価値をもたらす事が出来ないと思い、仲介に頼らず「直接貿易」を行えるようにしたいと考えました。入社前に1年ほど英語を使った貿易のやり取りをアメリカで勉強しました。その後与助丸商店に入社してからは海外向けの展示会などにも積極的に参加するようになり、直接販売できるお客様を獲得する事ができるようになりました。
有限会社与助丸商店
会社の目の前には「磯物」が獲れる海が広がる
会社の近くには房総半島最南端の野島崎灯台がある
会社改革への取り組み
 サラリーマン時代は与助丸商店の仕事とは全く関係のない事をやっていたので「果たしてやれるものだろうか」思っていました。NTTという大企業に入社し、「情報」や「仕組み」など形のない物が飯のタネだった会社から、「水産物」という「現物」がある事業を最初はうまくイメージする事ができず、「頭が付いていかない」時期もありました。うっかりするとパソコンの前に座ったままで、実際の現場があるという事に改めて気づく事もありました。
 与助丸商店に限った事ではありませんが、長く続いてきた会社なので少なからず固定観念もあり、一方で外から入社してきた私は客観的に見る事が出来ましたが、入社して直ぐに急に何かを変えようとはしませんでした。社員は今までのやり方がベストだと思っているので、理解しないままに無理に変えると反発があって良くないと思っていました。少しずつやって見せて、「具体的に何かが変わった」という結果も見せ、「納得してもらったら変えてもらう」というペースで進めたのが結果的には良かったのだと思います。
 私が入社した頃は「経験」や「勘」に頼るものが多く、商品は「だいたいこれくらいあるのでは」という在庫管理が出来ていない状態で「仕入れたものをどのくらい売ったか」また、生き物なので死んでしまうなどの「変数」分もつき合わせが出来ていない状態で、それを押さえないと「後々そのギャップで取戻しが効かなくなってしまう」と思いました。「変数をどうしたらいいか」という事を夫々に意識してもらう事も必要で、どうしたら会社の中でそれが「システマチック」に把握できるようになるか、つまり「見える化」するのかに苦労しました。
 前職のNTTでは「仕事を標準化する」ノウハウがある事を見てきたので、入社してからは「経験」や「勘」「直感」などに基づく「暗黙知」の状態では、「〇〇さんがいないからできない」だと「〇〇さんにやってもらえばいい」になってしまうので、誰で理解できるようにする「形式知」に変えていく事を常に意識していました。
 実際に使うツールも、商品が生き物で規格化されていない物ばかりで、水産業に適した販売管理ソフトが無く、その方法を突き詰めてみるとExcelを使えばできるような事だらけでした。そこで私がExcel作って、テンキーの操作だけで済むようにした事で今では皆が使うようになりました。
有限会社与助丸商店
主力のあわびは「干しアワビ」として輸出もされる
「房州海老」の異名もある房総半島の伊勢海老
社長業と市会議員の
二足のわらじに挑戦
 地元に戻って青年会議所に参加してみて、自分が思っていた以上に地元には「人物」がいて「横の広がり」がある事を知りました。自分で「大体知っている」と思っていましたが、実際に入ってみると「ここにこんな人がいる」そして「その人たちは皆地元の人だった」と多くの新しい発見があり、私自身の地元に対する「奥行」が生まれ、とても良い糧になったと思います。
 私は2022年(令和4年)4月の南房総の市議選に出馬し、当選する事が出来ました。今までに選挙活動を手伝った事もありましたが、実際に自分が立候補してみると全く違うもので、社員達にも協力してもらうなど改めて選挙はひとりではできない事を実感しました。
 市議に挑戦したのは、祖父がかつてこの地域の町会議員をやっていたからでした。私は小さい頃だったので議員の仕事を理解していたわけではありませんが、地域の人たちに頼られていた印象はありました。それを思い出した時に、「私もいつかは」という思いを持つようになりました。この会社は地域の「産品」で食べてきたので、今度は「地域のために何が出来るか」という事に取り組み貢献していきたいと思い、市会議員に挑戦する決意を固めました。40代には立候補しようと考えましたが、機会は4年ごとで「そのうち」といっていたら、どんどん年を取ってしまいます。今回色々な方々からも背中を押していただき一大決心をし、立候補しました。
 与助丸商店に生まれ自分で決められなかった所もありますが、会社の後を継ぎ「受け継がれてきたものをきちんとやる事」を大切に考えやっています。それに反して議員活動は「この地域に育ち地域に対する思い」で立候補を決めたので「個人の人格」として取り組んでいきたいと思っています。課題はたくさんありますが、自分で始めた事なので社長業と議員の「二足のわらじ」でも「大変だとはいわない」と決めています。
 また、会社の方は商品にもっと磨きをかけていきたいと思うものの、この商売でどんどん会社を大きくしようとするものではないと思っています。日本は今まで無駄な競争でいくつもの水産物をダメにしてきた歴史もあり、特に回遊してくる魚とは違って沿岸に「磯物」は獲ってしまえばそれで終わりで、乱獲につながるような需要の起こし方はしたくないと思います。この地域は観光業が主力で、私たちの扱う「産品」が「観光コンテンツ」を構成するひとつである事から、地域の人が潤うためにうまく活用する必要があるものです。
 だから今風でいえば「サステナブル」に「獲る人」と我々の様な「加工する人」に良いサイクルを適切に維持できるような働きかけをしていきたいと思います。
 現在与助丸商店が取り組んでいるのは、食の安全性を保つための手法、HACCP(ハサップ)に対応できる新工場の建設です。現在はHACCPに対応できる新工場建設の着工をし、完成は今年12月を予定しています。完成後は今までの商品を新工場で製造する事ですが、いずれ従来のアイテムに加え取扱商品の拡大や、高度衛生管理の工場を武器に地域の人たちと連携していく事も考えています。
有限会社与助丸商店
南房総市役所
地域に恵みを与えてくれる房総の海
有限会社与助丸商店
論語の言葉:
過ちを犯したと気づいたら、面目や他人の目など気にせず、ためらうことなく改めるべきという意味。
企業名 有限会社与助丸商店
事業
概要
1.海産物、活魚卸
2.乾燥なまこ(乾海参)、
 干あわび(干鮑、網鮑)の製造・加工
3.その他上記に付随する輸出入および各種事業
住所・電話番号 〒295-0103
千葉県南房総市白浜町滝口6472-2
TEL:0470-38-3615
HP HP:
https://www.yosukemaru.co.jp/
Shop Site:
https://yosukemaru.shop-pro.jp/
Facebook:
https://www.facebook.com/
yosukemaru.co.jp/
従業員 12名
資本金 300万円
(2022/8/10)


〈編集後記〉
 
 子供の頃から跡継ぎであることを意識されていた小川社長は、普通なら学校卒業後すぐに入社するとか、同業他社で修業をして入社するとか「その道まっしぐら」で進みそうな気がしますが、大学卒業後は全く違った道へと進まれました。跡継ぎの責任感を追いつつ「運命」に従うだけでなく「自分」という個性を生かしていきたいといいう思いがあったのでしょうか?しかしその結果は、「その道まっしぐら」では見えづらい事を、会社員時代に経験した事を生かし立派に跡継ぎの役割を果たされています。
 特筆すべきなのは、忙しいはずの企業経営をおろそかにせず、更に「自分」を表現するもう一つの道をも実現されている事です。多くの若手経営者の皆さんは、企業の「社会に生かされている」側面を意識し「社会への貢献と共存」を意識していますが、小川社長は具体的に社会貢献する「議員」という「二足のわらじ」を履かれています。スポーツマンかつ思慮深い印象の小川社長のこれからの活躍に注目です。
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