「ありがとう」の連鎖を作り出す
生産者支援に取り組む
創業75年の
落花生製品卸の会社
株式会社池宮商店は、富里にある落花生商品の卸売りと小売をしている会社です。会社は私の祖父が1947年(昭和22年)に落花生の卸業として創業し、父が二代目を引き継ぎました。父が社長の時代には他社に先駆けたレトルトの製造ラインを導入、更に2001年(平成13年)にはJASの有機落花生認定工場になりました。落花生商品の製造・卸の企業として、袋詰めの落花生のみならず、製菓原料や食品原料として使える商品を自社工場で製造できるように設備の充実に力を入れました。そして、それまでは珍しかった千葉県産の落花生をクラッシュしたものなど特徴のある製品を製造すると共に、新商品の開発も積極的に行う事で、卸先の企業に向けて新しい製品の提案など積極的に行っています。
また、2014年(平成26年)からは原材料となる落花生の生産者をサポートする「生産者支援プロジェクト」を始め、製造品質だけでなく良質な原材料を提供できるよう努力しています。
私たちが作った製品の95%はOEMや製菓材料などの卸売りで、残りの5%が本社工場にある直売店と自社のショップサイトとAmazonでの小売になっています。
95%が卸売りの私たちにとって自社ブランド力をどうするかは疎かになってしまいがちなので、小売の製品にはなるべく既製品を使わずオリジナルのパッケージにしていくなど、少しずつ自社のブランド力強化にも取り組み始めました。また、小売は卸売り先とバッティングしないよう、地元での小売は抑え、県外を対象に「池宮商店」の落花生製品を知っていいただくために、ホームページの作成や様々な催事や展示会への出店にも取り組んでいます。
富里市の池宮商店 正面は直売店
池宮商店のかつての営業車
子供の頃から志した
跡継ぎになる
私は四人姉妹の末っ子で、特に創業者の祖父に可愛がられ「この会社はいいよ」と聞かされて育ちました。実際に両親も四人姉妹の誰かが継いでくれたらと思っていたようです。しかし姉たちはその気はなく、末っ子で親にべったり甘えたりしていた私は次第にその気になっていきました。
その気になっていた私は、小学校卒業の謝恩会恒例の保護者の前で「将来の夢を語る」催し物で「池宮商店を継ぐ」といったのは同級生に有名な話になっています。今になって思えば「言ってしまったから、継ぐしか無い」と自ら縛っていた事もあったかもしれません。
学校はというと歴史が好きで、法律の成り立ちなどを勉強したくて、大学は仕事とは関係ない法学を専攻しました。そんな時ある教授から「自分のところにおいで」とお誘いをいただき、憲法や少年法を勉強するようになり、最終的に推薦状を書いていただけるという事でそのまま大学院に進み憲法を勉強しました。
お世話になった教授からは「これからどうするの」と聞かれましたが、「後を継がないと両親も困ると思うので」と返すと「本当にそれでいいの?」と返されました。現実的に考えると、このまま憲法を専門にして進んだ所でその先は見えてきません。やはり勉強は勉強として当初から思っていた「池宮商店を継ぐ」道へと進む事にしました。
友人からは「会社の後を継ぐために、どこに腰掛け就職するの?」と聞かれた事もありましたが、実際卒業の頃は会社の仕事が忙しく、また両親が苦手だったパソコン導入の必要性に迫られていたため、他に就職する事無く池宮商店に入社しました。でも、今になると数年間の社会経験を積んだ方が良かったかなとは思います。
入社後は父に教わりながら仕事を始めた矢先、父が突然病気で倒れて父不在の状態で切り盛りするはめになってしまいました。
退院した父とまた一緒に働き始めた矢先に、また不幸にも火災が発生してしまい、父もその心労で再度入院してしまう事になってしまいました。父は私に早く譲りたいといっていましたが、闘病中で気力が失せてしまってはと思い、引き伸ばしていました。実際に私が代表取締役を引き継いだのは父が亡くなる直前でした。今にして思えば、父の病気や火災などの試練という経験があってこそ今の自分があると思えます。
ゆで落花生レトルト加工機
人の目による煎り落花生の風力・粒状・目視選別の風景