チョークアートの
「おもてなしボード」で販促に貢献
ビジネスコンテストで優勝
チョークアートやマーカーアートというと、最近はレストランの店頭やスターバックスなど目にする事が多いと思いますが、おそらく10年位前に日本に入ってきたもので、諸説あるものの発祥はオーストラリアといわれ、今では色々な方が事業としてやっていらっしゃると思います。
Guuu animal chalk artという名前は、飼っている二匹の猫の名前が「グー」と「グミ」で、どちらも「グー」が付いている事からつけました。また、私は猫だけでなく動物が好きなので、色々な動物の表情を描いて行けたらとGuuu Animalになりました。現在は市原市にあるカフェの「OIKAZE」をアトリエとして使わせてもらい活動拠点にしています。
この仕事は2022年の5月に始めたばかりで、開業はしたものの右も左もわからない状態で、これからの事業の相談と補助金の相談をしようと6月に市原商工会議所に伺いました。その時に勧められたのが、開催を予定しいていた「創業者支援ビジネスオーディション」でした。参加すれば、色々な方と会って色々な考え方を学ぶ事ができるでしょうと勧めていただいたので、やれることは全部吸収しようと参加させていただく事にしました。
現在アトリエとして使わせてもらっているカフェ「OIKAZE」のメニューボードも描いていますが「店で出しているお菓子やコーヒーは手作りなので数にも限りがあって、その日その日でメニューが変わってしまう」という相談を受け「小さなチョークアートボードをマグネットで貼れるようにしてみよう」と試行錯誤をし、これが「サブスクリプションとして生かせるのでは」というアイデアになりました。商工会議所さんなどとお話していく中で更にアイデアが詰まっていき「付け外しが出来るボードにすれば、書き換える度にクライアントの手元に看板が無くなる状態を作らない」というアイデアにまとまり、ビジネスオーディションでは1位の商工会議所会頭賞を受賞させていただきました。
オーディションに実際に参加して、出会うはずがなかったかもしれない業種の方との出会いがあり、そして新しい人脈からの仕事のオファーをいただく事ができました。
オーディションで披露したサブスクリプションに関してはもう少しブラッシュアップしていくつもりでまだ準備段階で、現在いただいているお仕事は、亡くなったペットの遺影や屋号の看板を描いて欲しいなどのお話です。なかでも変わったお仕事は「オフィス全体をイラストで飾って優しい雰囲気にして欲しい」という空間プロデュース的なオファーです。
カフェ「OIKAZE」の看板
依頼されたペットの
チョークアート
ダンスの世界から
チョークアーティストへ
私は単に絵を描くのが好きだったという程度で、特に美術の勉強やデッサンを勉強したわけではありませんでした。振り返ってみると子供の頃は絵を描くのが好きで、鉛筆で動物の絵を描いたり友達と漫画の絵を模写したりはしていました。中学では美術部に入っていましたが、顧問の先生は美術に詳しくなかったため、先輩達と好きな漫画の絵を描いていた程度でした。高校に進学し、絵とは関係のない「創作ダンス」に感銘を受けダンス部に入り3年間は勉強そっちのけでダンスに専念しました。
高校を卒業しディズニーランドでアルバイトスタッフとして働き、契約期限を機に一旦落ち着こうと、たまたま見つけた医療事務の広告に「勉強しながら働ける」とあったので、そこで働いていました。
25歳の時にヒップホップダンスに出会い、本場を見たいと医療事務の仕事を辞め、ニューヨークにダンス留学しました。まったく英語がわからない中レッスンを受け、とにかく無我夢中でダンスに打ち込みました。当時は本気でダンサーになる事を目指していましたが、ひざの病気が発覚し、ダンスを続ける事が出来なくなりました。
帰国し結婚したのを機に、短期契約で施設の受付や施設内のカフェで働いていましたが、そのカフェは一人か二人で運営するような店舗で、メニューボードを書き換える仕事もあり、どうやったらお客様に伝えられるか四苦八苦していました。
その頃に、たまたま友人と訪れたレストランでチョークアートのワークショップが開かれる事を知り、「楽しそうだ」と参加する事にしました。実際にやってみてすごく楽しくて「絵をうまく描けない人でもいいんだよ」というチョークアートの良さを知り、フィーリングの合う先生を探し、本八幡の先生の所に通い一から「チョークの使い方」や「色の重ね方」「物の捉え方」を教わりました。
私がチョークアートを習っていた頃、生徒さん達の個展のような「教室展」をする事になり、私は自分の作品でポストカードを作りました。当時パンケーキで有名な「カフェクルゼ」がカフェを開いたばかりの頃で、私がお店に「ポストカードを置かせて貰いたい」とお声がけをしたところ、社長の佐藤さんは「是非置かせていただきます」と了解いただいただけでなく、「卒業したらパンケーキの絵を描いてね」といってくださいました。その後ひと通り習得し「あとは数をこなすのみ」となりましたが、習い始めてから5年間は趣味としてやっていました。
カフェクルゼさんとの約束はそのままになっていましたが、たまたま今年の4月頃に私の家の近くで開催されるマルシェに「カフェクルゼ」が出店される事を聞きました。その頃「カフェクルゼ」の市原の本店はリニューアル工事中で、パンケーキを買うには「千葉そごう」や渋谷まで行くしかないという状態で、これはチャンスとマルシェに行ったところ、佐藤社長は私の事を覚えてくれていました。「今は改築していますが、坂本さんの絵葉書は会社に飾ってありますよ」とおっしゃったのを聞いて、私は「チョークアートのスクールを卒業して何年か経っているが私は何もしていない。一方で佐藤社長は1店舗だった店舗が今は千葉や横浜まで出来ている」と思いました。負けてはいられないし、約束を守ろうと思い「まずはパンケーキの絵を描いたら開業しよう」と思いました。ちょうどカフェクルゼさんが新しいケーキの発表のタイミングだったので、その絵を描かせていただき、翌週には背中を押されたように開業しました。
お世話になったカフェクルゼさん
カフェクルゼのパンケーキで作ったフルーツサンド