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千葉のきらりと光る
社長へのインタビューをご紹介。
社長の熱い思いを語っていただきます。

【感謝と積極的行動】で
「おもてなしの街成田」を実現する
川魚の漁師、
卸問屋から始まった川豊
 有限会社川豊は、成田山新勝寺の表参道にある「川豊本店」と鰻と日本料理の「川豊別館」を経営しています。私の祖父伊藤豊治が1910年(明治43年)に創業し、今年で113年目を迎えます。
 創業当時は利根川、印旛沼、長沼で鰻や鯉の漁をして、卸業をしておりました。千葉県の水産省公認の業者に指定され、環境改善を目的として育てた魚を養老川や利根川に放流していたと聞いています。また、昭和初期には関東の養殖業者では初めて関西から来たゲンゴロウ鮒の品種改良に成功し歩留のいい食用魚として「へら鮒」を作ったのも祖父だと聞いております。 当時の成田には鰻を専門に扱うお店はなかったそうです。努力家で職人気質の祖父は、鰻のタレの開発や近隣の旅館の板前さんに、鰻の捌きや焼きを教える等、鰻の卸をしながら参道界隈に鰻料理を広め、成田の鰻文化に貢献したと聞いております。元祖成田の鰻専門店として名前が通り出したのもこの頃からと聞いております。
 川豊本店では今でも店頭で鰻を割いたり、焼いたりしているのが成田山の表参道沿いでご覧いただけますが、これはお客様へのパフォーマンスとして始まったわけではなく、その「卸」の仕事を中心に行なっていたからです。より鮮度の良い状態で鰻や鯉を近隣のお得意様(店舗様)にお届けするために、「奥にある調理場から運ぶ時間や手間が勿体無い」と店頭で捌いてすぐにお届けするという意味あいがあったからだそうです。
 私の父は、職人肌の祖父とも違い、商人の気質が強かったように思います。
 鰻の卸業という仕事柄、新鮮な鰻の目利きにも優れていた為、一般のお客様からのご贔屓頂けるようになっていました。そこで、父は、元々養魚場として使っていた成田市東町の場所で、1000坪の敷地を利用し日本庭園を眺められる「川豊別館」をオープンしました。一般のお客様からの「川豊イコールうなぎ専門店」と認識されるようになってきたのは、父の代からかなと思います。
 とはいえ、約30年くらい前、私が実家を継いだばかりの頃は、成田山新勝寺のお参りの月(正五九)はとても参道は賑わいますが、夏はかなりの閑散期で、忙しいのは土用の丑の日前後だけでした。
 しかし、今では、成田山新勝寺の御不動様のご加護の下、成田市が観光キャラクターの「うなりくん」がゆるキャラで有名になったり(うなぎと成田でうなりくんです)また、成田市観光協会さんが「うなぎ祭り」を開催したりと季節を問わずお客様が多く参道を訪れてくださるようになりました。
有限会社 川豊
鰻専門店「川豊本店」
日本料理も楽しめる「川豊別館」
有限会社 川豊
人気の上うな重
元川魚屋らしく本店でも「鯉こく」も食べる事が出来る

思ってもいなかった
川豊の代表になる
 今は自宅が別にありますが、昔は「川豊本店」店の2階がリビングであり、ダイニングで、3階には小部屋があるのでそこが住まいで私はこの店で育ちました。子供の頃は野球が好きで、店の2階がプレイグラウンドで、バットとボールで遊んでいたので今でも天井にボールの跡が残っています。
 高校は地元の成田高校へ進学、大学は東京の大学に進学し、全国大会上位常連の強豪である「スキー部」に入部しました。スキー部には「挨拶」「言葉遣い」「時間厳守」の三原則があり、それを破ると、「ダッシュ10本」などのトレーニングの罰則が待っていました。非常に厳しいチームでしたが、部の運営にかかわる中で、自分自身のモチベーションの管理、後輩のメンタルケア、そして人の声に耳を貸す大切さや言葉の選び等、会社を営む上での基礎を教わったような気がしています。
 私は三人兄弟の三男で、八つ上の兄が店を継ぐものだと思っていたので跡継ぎに関して意識はしていませんでした。ですが、既に川豊で働いていた兄から「早く技術を覚えて一人前の職人になれ」といわれたのがきっかけで、川豊に入社する事に決めました。
 子供の頃から学校から帰って店に入ると、お客様がいらっしゃるのが嬉しかった位だったので、実家に戻ってこの店で働く事には何の抵抗もありませんでした。
 川豊に入社してからは、従業員と肩を並べて働く事で、「働いている人達の苦労や大変さ」を一緒に味合わないと「甘えが出てしまう」と思っていたので、一緒に賄い飯を食べたり、早朝から出勤し、閉店して片づけを終えるまで一緒に働きました。
 私が39歳、2011年(平成23年)に父が他界しいよいよ私が社長を引き継ぐこととなりました。
有限会社 川豊
子供の頃に遊び場だった2階の客席
学校から帰ってくるとたくさんのお客様が来店していた1階

働き方改革で
辞めない職場を実現
 鰻の調理技術は「串打ち三年、割き八年、焼き一生」といわれ、身につけるにはそれなりに時間がかかります。私が川豊に入った頃はベテラン職人が数人という状況で、新しい人が入っても仕事を覚える前に辞めてしまう状態でした。私は汗水流して時間を惜しまず働く時代を経験したから今の自分があると思っているので、父や祖父に感謝しています。しかし、大切なのは「鰻の味をどう維持していくか」で、そのためには働く環境を整える必要があると思いました。
 そこで、スタッフの働き方の改革を実施しました。1月の繁忙期でも、きちんと休みが取れるようにしたり、残業が無いようにするなど「職場改革」や「働き方改革」などの環境づくりに力を入れました。その結果、新しく若い人が入ってもすぐに辞めてしまう事無く生き生きと働いてくれています。
 また、「メンター制度」や定期的に開催する「技術研修」を行いました。技術研修では、自分の技術の進捗がわかるようになるため、能力が高い人が入社して、かつ辞めないという良い循環が出来上がりました。
 このような取り組みが成功したおかげで、かつて3~4人だった職人の数が今では15人になり、年中無休を実現する事が出来ました。
有限会社 川豊
板長と一緒に鰻を捌く若い職人達
古き良き時代の面影が残る2階客席
お客様に「成田はいいよね」
と言っていただきたい
 今は成田の表参道を歩く人が戻りつつありますが、成田山表参道でのコロナ禍での影響は甚大でした。特に2020年のコロナ初期は、外国人観光客どころか日本人観光客も一斉にいなくなり、参道から人影が消えてしまいました。長年、成田山表参道で商売をやっていますが、誰一人歩いている人がいないという風景を見たのは初めてでした。こういう状況を目の当たりにして「10年ごとに何かが起こると思って見直しながらやっていかないと店も潰れ、街も衰退する」と改めて思いました。
 お客様からは「子供の頃に来たままだね」「変わっていないね」と仰っていただきますが、実はオペレーションなどは全く変わっています。「いかにお客様に気づかれないように変えるか」というのが大切だと思っています。私のモットーは「感謝と積極的行動」で、従業員にも「お客様はもとより仲間にも鰻にも感謝して」「待っていたらダメだ、常にこちらからアクションを起こせ」といっています。だから社内は変革の連続です。たとえば各テーブルにあるタブレットは、従業員が提案してきて、2022年(令和4年)の夏に導入し、昨年の秋に入国制限が緩和されたため今年に入って多言語対応もできるようにしました。
 長いコロナ禍での苦境により、成田に来てくださっているお客様がいてくださって、私達の生活が成り立っているのだと再認識いたしました。
 成田には50万人にもの観客が集まる「成田祇園祭」という祭りがありますが、コロナ禍で2年間開催できませんでした。コロナ禍での保守的な声も多い中、「動かなければ次に繋がらない。」という思いで、昨年(2022年)、私が実行委員長を務めさせて頂き、成田山新勝寺様や諸先輩方のお力も借りつつ3年ぶりの開催をすることができました。結果、待ってましたとばかりに多くの観光客の皆さんが押し寄せ、多くの祭り関係者に「成田祇園祭を復活させてくれてありがとう」との声を頂きました。
 一軒の店で出来る事は限られますが、皆で連携すればもっと良い街にできると思っています。現在は成田市の観光協会の副会長もさせていただいていますが、その責務を果たすためにも、より一層観光に力を入れ「成田はいいよね」といっていただけるような「おもてなし」をしていきたいと思っています。
有限会社 川豊
従業員の皆さんの提案で導入されたタブレット
スタッフの意見で今年からはベンチコートを用意
有限会社 川豊
入社1年目のスタッフが積極的にシフト表を作成している
いつもにぎわう表参道を絶やさないように
有限会社 川豊
企業名 有限会社 川豊
事業
概要
飲食サービス業
住所 〒286-0027 千葉県成田市仲町386
電話番号 0476-22-2711
関連会社 株式会社川豊本店
株式会社川豊別館
HP 川豊グループ:
http://www.kawatoyo-web.com/
川豊本店:
http://www.unagi-kawatoyo.com/
川豊別館:
http://www.kawatoyo-r51.com/
通販ページ:
https://unagi-kawatoyo.raku-uru.jp/
従業員 200名(パート・アルバイト含む)
(2023/3/10)


〈編集後記〉
 
 成田の表参道を通るたびに、常に混雑している繁盛店で若い従業員の方々が生き生きと働く姿を見かけ、「今の若い人たちは長続きせず直ぐに辞めてしまう事が多い」と思っていた私は違和感を覚えていました。今回伊藤社長にインタビューさせていただく機会をいただき、その理由を知る事が出来ました。
 川豊の伊藤社長はこれからも大好きな成田の更なる活性化に尽力されると共に、若い力を育て、成田を代表する「鰻」の銘店ひとつとして続いていくであろう事を改めて確信しました。
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