インドア派が
サイクリストになる
私は習志野市津田沼の出身で、小さい頃は習字やピアノ、野球や水泳などをやらされていましたが、どれもモノになったわけではありませんでした。中学に入ってからは部活動でテニスをやっていましたが、高校に進学してからは、ゲーム好きでゲームセンターに通う友達が少ない、どちらかというと根暗な子でした。そして大学に入ってもゲーム好きは変わらず、数少ない友達とゲームセンターに通う生活を送っていました。
大学を卒業し一度は就職しましたが、入社した会社は自分には向いていないと感じ、退職して楽器店でアルバイトをしていました。楽器店を選んだのは、当時ギターやドラムを疑似体験するゲームに嵌っていて、それがきっかけでギターをやるようになっていたからでした。
楽器店では当然接客をする事になり、それがきっかけで人と良くコミュニケーションを取るようになりました。元々しゃべる方ではあったものの、自分から外には行かないタイプだったので、このアルバイトがきっかけで変わっていきました。
大学では広告や映像が面白そうだと思い、広告系のゼミに入っていました。このゼミは学園祭で食堂を借り切ってポスターを並べたり会場設営をしたりと「発表の場を作る」という課題をこなしていました。それを生かすため25歳で東京のイベント制作会社に就職し、イベントの企画や運営をしていました。イベントの仕事は人と接する事ばかりだったので、更に人とコミュニケーションをとる事に慣れていきました。
自転車を始めたのは就職した頃で、普段使いでも乗れるT型ハンドルの「クロスバイク」を兄からもらった事がきっかけでした。半年ほど友人たちとサイクリングに出かけていたその自転車が盗難にあってしまいました。そこで本格的なロードバイクを買って乗り始めるようになり、地域で募集していた自転車サークルに入り、サークルのリーダーも務めるようになりました。
サイクリングに嵌りサイクリストとなる
ツーリングサークルの仲間たちと
コロナ禍がきっかけで
「地域おこし協力隊」に
2019年(令和元年)に発生した「新型コロナウイルス感染症」によってイベント会社の仕事が激減しました。そんななか北海道に移住した友人が「地域おこし協力隊」の存在を教えてくれました。北海道の協力隊にはさすがに応募する勇気はでませんでしたが、それをきっかけに市原市が募集していたのを見つけました。
「地域おこし協力隊」の採用方法は各自治体によって違います。市原市の場合は「フリーミッション型」で、過疎地域である市原市南部の活性化を目指すというものでした。
市原は自転車でよく走っていた場所だったので、以前より考えていた、「自転車を通した活動を拡大していくアイデア」を生かした提案で2020年に指名いただきました。
「地域おこし協力隊」に採用され市原市に転居してからは、会社の仕事はリモートでしていましたが、この活動に専念するため一昨年に退社しました。
自転車を載せられるJR東日本の列車「B.B.BASE」が千葉を走ったり、アクアラインを越えてやってくるサイクリスト達が増えてきていますが、茨城県や埼玉県に比べ「まだまだこれから」というところです。茨城県は霞ヶ浦など県をあげて道を整備していますが、千葉県は「まだまだこれから」という状況です。
「OIKAZE」やイベントの情報は、FacebookとInstagram、Twitterで発信していますが、これからはもっと充実させていかなくてはならないと思っています。店の情報は友達から友達へと口コミで広がって来店してくれている他、来店したサイクリストがSNSで発信してくれているのが現状です。また、知り合いのYoutuberをやっているサイクリストが発信してくれたおかげで、サイクリストの人たちは注目してくれているようです。
自転車とサイクリストを載せて走るJR東日本B.B.BASE
仲間たちが集まってくる場所