Chibabiz.com
千葉県企業の情報サイト
〈チバビズドットコム〉

HOME ぴかいちば チバビズ探訪 ちばのたね ホームページ道場 バックナンバー チバビズ・マルシェ
ぴかいちば
ぴかいちば
千葉のきらりと光る
社長へのインタビューをご紹介。
社長の熱い思いを語っていただきます。

コミュニケーションという
無形資産を築き地域貢献を続ける
親子三代柏で
事業を展開する
 焼とりつかさは有限会社丸誠商事が経営する焼とり店で他に不動産業もしています。丸誠商事は私の祖父が起業し、法人化してから53期を迎えました。でも事業自体は個人営業から始まっているので柏の不動産業としては三本の指に入るほどの社歴があります。その後飲食業を始めいくつかの事業も行うようになり、私の父、そして私と地元の柏で三代に渡って続いています。
 飲食業をはじめたのは、祖父が精肉店を経営していたのがきっかけで1975年(昭和50年)に「とんかつつかさ」を開業し、その後1995年(平成7年)に現在のビルへ建て替えでとんかつ店から「焼とりつかさ」に代わりました。なので屋号の「つかさ」としては48年の業歴になる事になります。
 「焼とりつかさ」の「売り」といえば、毎日丁寧に手で串打ちをして、備長炭で焼いている事でしょうか。しかし、仕込みにかかる時間は半端ではないので、割に合わない仕事だと思います。自分が串打ちしているわけではないので、私自身が職人のプライドに関する話す事は出来ませんが、「つかさらしさ」は垢抜けない事をしているところかもしれません。この店は味だけでなく「人に会いに来てくれる場所」という事が「売り」だと思っています。接客を「ドライ」にする事も出来るでしょうが、そういう事は「ウエット」でないとできません。
 また純粋に「ビジネス」として考えた場合、自分で店を経営するのではなく、場所を貸す事の方が儲かるでしょう。でもそれをやらないのは、祖父や父が残してくれた「味」よりも「プライスレスな人情」があるからで、私にはそれを断ち切る事はできませんでした。だから私は店の「味」を守るより「人情」を守りたいと思っています。
 コロナ禍が落ち着いてきてお客様の数が戻ってきているものの、定休日を1日から2日に延長した事で稼働日が減り、お客様はライフスタイルの変化なのか来店しても2時間で切り上げるという感じになりました。更にリモート勤務の方も増えるなど確実に変わった「何か」がある感じです。
 私が代表になってからの10年余りの間は、不動産業は開店休業状態になっていましたが、この状況では飲食店の経営だけで会社を守るのは厳しいので、最近不動産業としての活動も復活させ、両方を全力でやっていこうと思っているところです。
焼とりつかさ(有限会社丸誠商事)
自社ビル「島根ビル」1階にある「焼とりつかさ」
店内には「焼とりつかさ」に代わる前の名残がある

「長男のように強くなれ」と
育てられたひとり娘
 子供の頃から親から常に「長男のように強くなれ」といわれていたので、何でも自分で決めるような子でした。更に自宅と店は一緒の所ではなかったので両親は店にかかりきりで私は「鍵っ子」でもありました。今では考えられませんが、小学校の2年生位からお金を渡されて「これで何か食べてこい」といわれていました。また熱を出しても起き上がれるようになると、自宅の裏が病院だった事もあり「自分で病院に行ってこい」といわれました。私自身はそれが「当たり前」と思っていましたが、今考えてみるとたくましく育ったなと思います。
 当時は寂しいとは思いましたが、常に親が働いている姿を見ていたので「何で私がこんな目に合わなくてはいけないの」と思う事はなく、それが当たり前で、「仕事の邪魔をしてはいけない」と思っていました。
 父はその代わりにやりたい事は全部やらせてくれました。高校2年生の17才でアメリカに行きたいといった時にも、最初は「危険だ」と反対したものの、最終的には「あの時俺が決めて、お前が『行かせてくれなかったからだ』といわれるのはいやだ。お前の人生だからお前がけりをつけてこい。」といって行かせてくれました。自分の行動は「自分で責任を持て」というまさに長男のような育て方をされました。
 渡米した私はカリフォルニア州サクラメントにある高校に編入し、卒業すると現地の公立短大に1年間通いました。短大在学中に一時帰国のつもりで帰国しましたが、たまたま「ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル」が開業スタッフを募集しているのを知り、短大をやめてそこに就職する事にしました。元々はCAになりたいと思っていましたが、考えてみるとホテルとCAは空と地上が違うだけで、接客の仕事としては同じだと気付いたからです。
ホテルでは「レセプショニスト」と呼ばれる料飲部に配属され、英語を使って接客をしていました。私自身商売人の娘なので「いらっしゃいませ」や「ありがとうございます」は物心ついた時から当たり前の事だったので、ホテルでの仕事には何も抵抗はありませんでした。このホテルには2年半従事しました。
焼とりつかさ(有限会社丸誠商事)
開店準備中の店内
開店準備で忙しく働くスタッフたち

代表に就任して
「コロナ禍」と戦う
 後継ぎの話は、父から「お前が継げ」という直接的な言葉をいわれていませんでしたが、父が癌を患ってしまい、現実的に候補は「私ひとりしかいない」という環境の中で、周りも「継ぐのは当たり前」という空気感で「やるしかない」という状況でした。もちろん選択肢としては事業をたたむ事も可能でしたが、この柏での祖父の代からの「ご縁」を断ち切るには「勿体なさ過ぎた」事と、「たたむ」という決断をしたら「やめないで」と引き留められる事も想像できたので、後を継ぐ決心をしました。
 私がホテルを辞めて実家に戻ったのが22歳の頃で、焼とり「つかさ」を手伝いながら不動産の勉強をして「宅建」の資格を取得したのが1994年(平成6年)でした。その後結婚していた間は週末に店の手伝いをしに戻る形が多くなり、あくまでサポートの「家業従事者」として店を手伝い、父が亡くなったことをきっかけに、私が代表取締役になったのが2012年(平成24年)でした。
 2019年(令和元年)から始まったコロナ禍では、協力金だけでは賄いきれず、持ちこたえるために借入金までしましたが、「いつ終わるのか」という先も見えない状態が続き、商売をやめてしまう事も考えましたが、やめてしまえば借金だけが残る事になるので「やっぱり走り続けるしかない」という思いで今に至っています。
 試行錯誤するなかで「こんな時父ならどうしていたか」「祖父ならどう決断するか」と亡き父や祖父に問いかける事がよくあり、生前よりも距離の近さを感じたと共に、父はこういう思いをしながら皿を洗っていたんだなとも思いました。
 祖父は沢山の事業をやっていて、自分の子供達に事業を継がせましたが、今では孫の代まで残っているのは私だけになっていました。私がコロナ禍の中で店を終わらせるのは簡単ですが、祖父が亡くなって40年にもなるのに、今だに「お爺ちゃんには世話になったんですよ」といわれる事があり、最近は「お父様にはお世話になりました」ともいわれます。そんな言葉は重圧になりますが、そんな「しがらみ」まで味方にしようと決心しました。
当初は店を開けても赤字、閉めても赤字で「何が正解」かもわからずに、店を開けたり閉めたりしていましたが、一昨年の6月頃に協力金をもらわない事を決め、批判がある事を覚悟で店を開けました。常連のお客様からは「店を開けるのはそれなりの理由があっての事だから自分たちはいくよ」と応援のつもりで来てくださいました。
焼とりつかさ(有限会社丸誠商事)
千葉で人気の焼き鳥店ランキングで5カ月連続1位に
食べログでも3.53という高評価を得ている

コミュニケーションで
地域貢献に尽力する
 私は「ここにいるしかない」という状況ですが、「どうせなら楽しもう」と考えるのも私で、「ここにいる理由は?」と聞かれたら「だって楽しい事がいっぱいあるじゃん」と答えたいので、事業の他にそういう事がいえるような活動をしています。
 柏市にはサッカーの「柏レイソル」、ラグビーの「NECグリーンロケッツ東葛」のホームタウンで、女子バスケットボールの「エネオスさんフラワーズ」の練習場もあるなど、ひとつの自治体でプロレベルの試合を見られるポテンシャルを持った街はないと思っています。 私はスポーツは「見る・やる・支える」だと思っているので、スポーツというポテンシャルを生かして街の賑わいに役立て地域貢献活動にしていく活動を始めました。
 この活動のきっかけになったのは、2019年(令和元年)に開催されたラグビーワールドカップでした。柏市がニュージーランド代表のオールブラックスのキャンプ地になった事で、イベントとして「ストリートラグビー」を行いました。その後「一般社団法人柏市ラグビーフットボール協会」の理事に就任し、コロナ禍になったと同時に柏駅西口の「あさひ通り商店会」の会長にも就任しました。他にも「柏市ラグビー協会」の理事として女子ラグビー大会の開催にも関わっているほか、柏市教育委員会からのご指名で地元の小中学校の「運営評議員」もしています。本業よりもこちらの方が忙しい状況ですが、世代を超えて楽しい仲間とこの地で過ごしたいと思って頑張っています。
 私には世界中を回ってみたいという夢がありますが、それは単なる夢でしかありません。今私の中で目標にしているのは「日々全力で生きる」という事です。何故かというとコロナ禍を経験して、あまり先の事を考えないようになったからです。想像もつかない事があるのなら、今を一生懸命生きようと思いました。日本は地震国なので地震に関してはなんとなくわかりますが、コロナ禍は想像をはるかに越えていました。今は必ず未来に続いていると思っているので、日々全力で生きているうちに「やりたい事」に繋がっているように思っています。
 今の私の役割は銀行が有形資産を預かる所だとすれば、私の役割は「人とコミュニケーションという無形資産を築き上げる事」だと考えています。これからも「日々全力」で頑張っていきたいと思います。
焼とりつかさ(有限会社丸誠商事)
来店したスポーツ選手をはじめサインが飾られている
野球のサインボールなども置かれている
焼とりつかさ(有限会社丸誠商事)
Rejoice Alwaysは「絶えず喜んでいなさい」
「絶えず感謝しなさい」という聖書の言葉です。
企業名 焼とりつかさ(有限会社丸誠商事)
事業
概要
飲食店経営、不動産業
住所 〒277-0852 
千葉県柏市旭町1丁目10-5
電話
番号
04-7144-0868
HP HP:
https://yakitori-tsukasa.top/

Facebook:
https://www.facebook.com/
yakitoritsukasa/?
ref=page_internal&mt_nav=0


Instagram:
https://www.instagram.com/
yakitoritsukasa/


Twitter:
https://twitter.com/
yakitoritsukasa


公式Line:
https://page.line.me/kin4918n?openQrModal=true
従業員 10名(アルバイトを含む)
資本金 300万円
その他資格 宅地建物取引士 千葉県知事免許 (15)第002538号
(2023/6/9)


〈編集後記〉
 
 アメリカに留学していたと伺ったので、もっと「ドライ」な感覚でビジネスをされているのだと思っていましたが、日本人でも希薄になりつつあるのではとも思える「ウエット」な感覚を持ち合わせています。誰もが行き先を見失ってしまうコロナ禍の中、「どうせなら楽しもう」とある意味開き直れる強さは、お父様から受けた「長男のように強くなれ」という教育のおかげだと感じました。
 私の役割は「人とコミュニケーションという無形資産を築き上げる事」とおっしゃる長さんは、焼とり店と不動産の二足のわらじだけでも忙しいのに、更に社会的な活動も積極的に取り組んでいらっしゃいます。これからの長さんの活躍に注目していきたいと思います。
ぴかいちばトップへ戻る
HOME ぴかいちば チバビズ探訪 ちばのたね ホームページ道場 バックナンバー チバビズ・マルシェ
お問い合わせはこちら

チバビズドットコム制作委員会
株式会社 翠松堂BTL
© 2017 chibabiz.com Production Committee
トップへ戻る