お客様の「真の目的を考え」
満足できるモノづくりをする会社
「どう使われるのか」を考え
提案をする会社
株式会社wood凪(なぎ)は多くはオフィスなどで使われるオーダー家具などを制作している会社です。主なお客様は工務店や内装をしている会社などで、他にも同業者や一部個人の方からの注文もあります。また、使い続ける物ばかりでなく、デパートに展示される化粧品ブランドのメインディスプレイで1~2週間しか使われないものなど、展示会の装飾業者さんでは作れない物のオーダーを頂く事もあります。
製作した物の、多くは都内に納品する物ですが、地方に納品する物もあります。納品方法はケースバイケースで、宅配便で送って完了となってしまう物もありますが、分割して製作し現地まで出向き組み立てて設置する場合もあります。今までで一番遠い所では広島まで届けた事もありました。
受注する仕事は金額と納期の折り合いがつく物であれば、基本的に仕事を断る事はなく、「技術的に無理だ」という事も言いません。なのでどんな相談をしても「聞いてくれる」とお得意先もそう思ってくれているので、色々な相談がたくさん舞い込んできます。その代わり「アドバイス」や「提案」も沢山しています。また、「図面に書いてあるからこうした」という職人さんが多い中、当社はそれより、最終的に「どう使うのか」を考えないと提案も良い仕事も出来ないので、お客様から当社に依頼に来た背景など、できるだけ詳しく情報を聞くようにしています。
受注先から回ってくる図面はお客様が見ても分かるような図面ですが、それだけでは製作する事が出来ません。そこで材料の厚さや特性など細かい情報が全て盛り込まれた図面を改めて設計し直す必要があります。またそういう図面を作れば、そのデータでNCルーター(加工機)を使って自動で機械加工する事もできます。
通常NCルーターを導入している会社では専門の担当が居て分業化し仕事をしていますが、わが社は図面の作成から納品まで全ての工程を、夫々の職人ができるようにしています。全ての工程を知らないと、いざ設置する段階で「どうやって設置するの?」となる様な物が出来上がってしまい、現地で工夫して設置するような対応をせざるを得なくなり、結果良い物が出来上がらなくなるからです。こういう体制を作る事で夫々の職人が「この位の時間で仕上げないと予算に合わない」とか材料を「このように削減できる」という事まで理解して作るようになるのも大きなメリットになります。
様々な加工が自動で出来るNCルーター
現地へ設置するのも仕事の一部
ミュージシャンになる
夢を見た青年が
家具職人になる
自分の実家は千葉市美浜区高洲で、千葉市生まれ千葉市育ちで現在も千葉市内に住んでいます。振り返ってみると幼稚園の時に「なりたいもの」は大工さんと言っていたようで、この道に入ろうとする時にその事を思い出しました。
中学生になると音楽に目覚め、バンドでエレキベースを弾いていました。高校に進学してもそれは続き、大学は千葉大学の教育学部に進みました。千葉大学を選んだのは、大学の「ジャズ研」のレベルがすごく高く、自宅からも近い、それで千葉大に入りたいと思ったからです。また、教育学部を選んだのは先生になりたかったわけでなく、得意分野で受験できたからでした。
大学に合格し念願の「ジャズ研」に入部し、更にヤマト運輸の契約社員として仕事もしていました。卒業直前までエレキベースで食べていこうと思っていたので、就職活動は一切しませんでしたが、「ジャズ研」で出会った先輩やプロになった先輩を目の当たりにし、「努力だけでこの人たちのようになれない」「自分にはそこまで才能が無い」と悟りプロの道に進む事を断念しました。他にやりたい事も見つからず、就職活動をしていなかった私は、結局契約社員として働いていたヤマト運輸に正社員として入社しました。
ヤマト運輸では延べ8年間勤務してセンター長になりましたが、30歳目前で「次は何をしたいか」とようやく真剣に考え始めました。その頃既に結婚もしていて「家をどうするか」という課題も抱えていました。
音楽はあきらめ趣味といったら日曜大工と海に潜って魚を獲る事でした。漁師になるのは非現実的なので、日曜大工の延長で家具作りをやってみたいと思うようになりました。家具職人になるため色々と調べてみたところ、木工を教えてくれるのは私立の専門学校か公立の職業訓練校だけでした。そこで思い切ってヤマト運輸を退職し、失業手当をもらいながら1年間職業訓練校に通って木工を学びました。
家具製造の業者は林業との関係も深いため材料が集まって来る場所に多く、林業が盛んではない千葉県にはそれほどありません。関東では埼玉や神奈川に多くあるため、結局埼玉の家具製造の会社に就職する事になりました。
入社したものの、その会社では納得のいかない事をやらされるので日々ストレスを溜める事になり、更に子供が生まれたばかりだったので早く帰って妻を助けながら仕事がしたかったのですが、就業時間に縛られ、フレキシブルに仕事できない事も重なり「辞めたい」と思うようになりました。
この仕事に着いたのは「モノづくり」がしたくて飛び込んだ世界です。独立すると経営者としての仕事もやらなくてはいけなくなるので、独立したくないと思っていました。しかし「辞めてから次どうするか」と選択肢を考えた時に、自分の性格では別の会社に就職しても同じ状況になってしまうリスクがあり、友人と会社を始めるにしても自分は対人関係が得意ではないので「うまくいかないのでは」という結論に達し、結局「消去法」で独立する事になりました。
技術を支える様々な工具たち
モノ作りには欠かせない電動工具