夢だった野球の仕事で
野球人育成に取り組む
高性能のバットの販売と
室内練習場を運営している会社
神岡バット製作所は、野球用の木製バットの製造販売と野球の室内練習場を運営しています。神岡バット製作所の「神岡」という名前は台湾の「神岡区」にバットの製造を委託している工場がある事から付けた名前で、台湾にあるバット製造工場の社長とは友人関係として繋がっていますが資本関係はありません。
販売しているバットは公式戦で使えるブランド「BIG FLY」と、「Samurai«侍»」というブランドの練習用バットを販売しており、いずれも材質はバットに適したカナダ産の「メープル」「アッシュ」「バーチ」を使っています。
うちの公式戦バット「BIG FLY」は大学野球の「東都リーグ」では4校、「千葉リーグ」と「首都リーグ」では3校、東北と北海道は各1校、社会人チームも2チームのトップレベルの選手達が使ってくれています。更に東都リーグのひとつの大学ではチームで用意するバットとしてもご注文も頂いています。
また、個人的にスポンサーが付いている東都リーグのトップクラスの選手から「特注バット」の注文も頂いています。選手の話では「3~4打席目になると疲れはじめるので軽いバットが使いたい」という依頼が舞い込んできました。小さい会社だから出来る対応は、私たちの特徴のひとつかもしれません。
その他グッズ関係の商品開発も積極に行っており、折れたバットを素材に製作した椅子、カップ、飾りになるミニチュアバットなど記念になる様な商品も試作しています。
また、もう一つの特徴としてバット販売の他に一般の選手たちが使える室内練習場もご用意し、選手の育成施設としても活用してもらっています。
県道57号沿いの旗竿地にある本社施設
施設の受付を兼ねたバット販売の店舗
販売するバットは常時ストックされている
試作品で作った折れたバットを足にしたスツール
グラブ叩き
折れたバットで作ったカップ
野球を断念しても
野球にかかわる仕事に就く
私は市川市出身で、小学校では当初はサッカーをしていましたが野球にも興味がありました。しかし野球もサッカーも試合は土日に行われるため、どちらかを選ばなくてはいけなくなり、小学校の途中から野球に転向しました。
中学に進学しても野球を続け、高校は千葉商科大学付属高校へと進みましたが、肩を壊してしまい野球は断念せざるを得なくなってしまいました。
高校卒業後、高校時代にアルバイトをしていた夜間救急受付の病院にそのまま就職し、働きながら経理の勉強をしていました。その後、知り合いから経理を募集している建設会社を紹介され転職、更に電気工事会社に転職して電気工事の資格を取得しました。電気工事の経験があったため、この施設の電気工事は自分でやりました。
野球の方はというと、たまに色々なチームから「助っ人」として誘われ、主にピッチャーや外野、また左利きなのでファーストなどもやっていましたが、正式にチームに入る事は無く、進んで野球をしてはいませんでした。
ある時、とある団体の会議などの関係で台湾に行く機会があり、旅先で偶然台湾のバット製造会社の社長と運命的な出会いを経験しました。その社長とは日本と台湾を行き来するほど親しくなり、観光地を一緒に回ったりしていました。その会社のバットは台湾のプロ野球でかなり使われているバットでしたが、日本で販売している会社は1社しかありませんでした。そこで社長から日本でもっとバットを販売して欲しいと頼まれた事がきっかけで、野球が好きで野球に関わる仕事をしたいと思っていた私は、一大決心をしてバットの販売を始める事にしました。
コロナ禍の影響で材料になる材木の輸出入も止まっていましたが、会社は2020年(令和2年)11月に立ち上げ、販売に先駆けてバットを公式戦で使えるようにするため「全日本バット工業会(BFJ)」の公認を取得し、バットに公認の証の「BFJ」マークを入れる事が出来るようにしました。
また、会社を始めるにあたって「こういう施設を作りたい」という思いがあって、バッティングまでが出来る施設までを作るとなると、普通は山の中など不便な所を探しますが、「子供が自分で歩いて来られる所」に作りたかったので、この場所に決め昨年2022年(令和4年)12月24日に施設が完成しました。
一般的にバットを販売している所では、せいぜい下から投げ上げて打つ「ティーバッティング」程度の試打しかできませんが、ここにはバッティングマシンもあるので実際に前から飛んで来る球を打つ事が出来、軟式ボールも硬式ボールを打つ事が出来るのは他社との大きな違いになりました。
施設にある硬式用のピッチングマシーン
軟式用のピッチングマシーン