我孫子の農業を支えたい
我孫子の野菜を販売する
農業者が運営する
農産物直売所
株式会社あびベジが運営している農産物直売所の「あびこん」とレストラン「米舞亭」は我孫子市の手賀沼のほとり手賀沼親水広場水の館1階に、農業者が経営する公設民営の農業拠点施設内農産物直売所として2017年(平成29年)にオープンしました。この施設は我孫子で生産された野菜や直売所で製造した加工品、更にレストランでも我孫子の素材を使った料理を提供し、多くの地元のお客様にご利用いただいています。
直売所の名前「あびこん」は、以前市の公設民営アンテナショップの時に市の広報でネーミングを募集して決まった名前で、大根がねぎを持っているキャラクター「だいこんくん」というキャラクターが生まれました。また、直売所内にある加工所は「かーちゃんの竈(かまど)」と名付けました。
我孫子=行商文化といわれますが、細長い地形をしている我孫子市の東側は戦後農産物を行商していた農家が多い地域で、常磐線を使って行商する農家さん達が乗る「行商列車」と呼ばれていた電車がありました。行商を行う農家さんは、自分たちが作った野菜を「背負い籠」に積んで乗車し、電車の中ではお互いに自分の所に無い野菜を交換し合って、それぞれのお客様に販売しに行くという「行商文化」がありました。
一方で柏市に近い西側は、柏市にある市場に出荷するためホウレンソウやネギなど一般的な野菜を中心に、品目より量を生産するという二つの農業スタイルが存在していました。
農産物直売所にとっては行商のために「少量多品目」で野菜を生産していた農家さんが多くいらっしゃる事で、豊富な種類を店頭に並べる事が出来、直売所に適した地域といえると思います。
当初の我孫子市にあった公設民営の直売所は、以前「我孫子新田」という場所で小さなアンテナショップでした。オープンから10年ほど経った頃にはアンテナショップの知名度も上がり、農家さんからは「もっと大きな直売所が欲しい」という声が上がりました。そこで市に要望したところ、「もっと売り上げを増やして収支が合う様にすることが条件です。」といわれ、それを目指して皆で頑張って、出荷農家を増やし、利益を上げられるようになりました。
現在の場所は元々千葉県の建物でしたが我孫子市に譲渡する事になり、市が整備を検討していた農業拠点施設を1階に整備することが固まり、それまであったアンテナショップをこの場所に移す事になりました。一方移転先になったこの建物は、元々手賀沼の環境保全施設として作られたもので、壁に囲まれた事務所や博物館のようになっていた1階部分の強度を保ちながら採光できるようにガラス張りにするなど、国や県の補助金をいただいて大規模改修を行い現在の店舗が出来上がりました。
また、この施設をオープンするにあたって一部の議員さんから施設を運営する「指定管理者」は「原則公募が望ましい」という声が上がりましたが、市はアンテナショップの運営5年間の実績を積んだ農業者で組織されるあびベジを非公募で指定しました。
水の館の1階に「あびこん」がある
「あびこん」の正面入り口
農業を
やりたくなかったはずなのに
私が生まれ育ったのは隣の柏市で、実家は農業をしていました。私は三人兄妹の末っ子として育ちました。性格は「まじめ」でどちらかというと堅い方だったかもしれません。
短大を卒業して当時一般企業に就職し、約4年間働きました。私は農業が苦手でしたが、父は厳格で嫁に行く先は絶対農家でなければだめだと譲らず、その後父の「農家同志のつながり」があった知り合いの紹介で、夫と結婚しました。
夫の実家は農家でしたが夫自体は自営業をしていて、農業は舅(しゅうと)がやっていました。嫁いで5年経った頃、舅の具合が突然悪くなり畑が出来なくなると、姑(しゅうとめ)から「うちは昔から畑をやっているから」と半ば強制的に農業をやる事になりました。結婚前に夫から「農業をしなくていい」と言われていましたが、状況に流され、苦手な農業をする事になりました。姑の言葉は「田畑を荒らすな」という意味だったのだと思います。
私がやり始めた農業は、最初は家庭菜園のような程度でしたが、10年、15年と続けるうちに、それなりに売れる程の品物を作れるようになって、自分達では食べきれないので勿体無いと思っていました。
ちょうどその頃は全国的に直売所ブームが起こり、我孫子にも民間の直売所が出来たため、私も作った野菜をそこに出荷するようになりました。その後、直売所で知り合った農家さんから「我孫子市公設のアンテナショップをやるので参加しませんか」と誘われ、参加した事で私が公設アンテナショップにかかわった始まりでした。
いざ、アンテナショップに参加してみると出荷された野菜が残ってしまう事があり、それを「廃棄するのはもったいない」それならそれを利用した加工もやってみようという事になりました。我孫子の農業は水田が7割を占めるほど米作りが盛んで、我が家も野菜の他に「うるち米」と「もち米」も作っていたので、餅を作って加工品として出荷したり、自家野菜を使った漬物を出荷したりしていました。
そのうちに加工品を出荷している10名ほどの農家さんが集まって「加工部会」を立ち上げました。そのメンバーでアンテナショップの開催するイベントで加工品の実演販売をすることで盛り上げていこうという事になり、私が押し上げられてリーダーをする事になりました。
その後アンテナショップを10年ほどやっていましたが、徐々に知名度も上がった中、農家さんから「もっと大きな直売所が欲しい」という声が上がり、市に要望したところ「もっと売り上げを増やして収支が合う様になることが大きな農業拠点施設としての条件です。」と言われました。大きな農業拠点施設直売所の実現を目指し、参加していた農家全員で頑張ってアンテナショップが利益を上げられるまでになり、提示された条件をクリアする事ができました。
多くの農家が生産している米作
今や「あびこん」の名前は市民に浸透している