「是々非々」の精神で
歴史ある会社を刷新する
創業89年の
「従業員ファースト」の
医療機製造メーカー
「株式会社フクダ産業」は、医療機器の設計・開発、製造販売をしている会社です。私の祖父が1935年(昭和10年)に台東区茅町に「福田電機製作所」を設立し、国内初の心電計(カルジオグラフ)開発・販売を始めました。その後1953年(昭和28年)2月に「有限会社フクダ医理科研究所」を設立し、肺機能測定装置、基礎代謝率計、呼気ガス分析計の開発・販売を開始し、1962年(昭和37年)7月に東京都台東区に「株式会社フクダ産業」を設立し、私で3代目になります。
弊社には大きく分けてふたつの事業があります。ひとつ目は「肺機能事業」と呼んでいる「肺機能の検査機器」で、創業以来70年以上自社で開発・製造・販売しています。小型の機器は町の診療所やクリニック、それに海外へも輸出しており、中型の機器は健康診断などで使われ、大型の機器は大学病院や地域の基幹病院などで使っていただいています。
ふたつ目の事業は「呼吸・睡眠事業」と呼んでいる「睡眠時無呼吸症候群」の検査装置と「CPAP(シーパップ)」という治療器です。先代である父は先見の明があって1990年代後半に海外の学会や展示会に行った時に医療現場でCPAPが使用されているのを見て「日本でもこれからは大きなビジネスになる」と海外メーカーから輸入した事が始まりでした。
私達が作る機器、海外から輸入する機器は「フクダ電子株式会社」を通して全国の医療機関などに販売されています。
「フクダ産業」の経営理念は「従業員の人間的成長と物心両面の幸福を追求すると同時に、医療の進歩発展に貢献する」としています。従業員の事をはじめに書いているのは、従業員が家族と共に安定した生活が送れていなければ良い仕事が出来ない、医療に貢献できないと考えているからで、まず従業員が安心して働き、従業員の家族が安心して送り出せる職場環境を作っていきたいと思っているからです。
そのため大切にしているのは従業員教育で、リーダー研修、次世代リーダー研修、OJT研修、情報セキュリティー研修、更に希望者にはネイティブの先生による英語トレーニングも実施しています。また、以前社内で従業員が突然倒れた事があったので、いざという時に備え消防署にお願いして救命救急トレーニングも定期的に行っています。更に定期的に行っているハラスメント研修の取り組みが評価され、厚生労働省の「職場のハラスメント対策シンポジウム」にはパネリストとして参加させていただきました。
毎年1月の土曜日には従業員とのベクトルを合わせる事を目的に「新年度会議」を開催しています。全従業員を集めて前年度の業績の発表や事業計画の説明、更に各部門の責任者から部門の方針や目標を話してもらう事で会社の今の状況、課題、どこに向かって進んでいるのかなど全従業員で共有しています。また、午後からは懇親会を開催して仕事から離れたコミュニケーション作りもできるようにしています。
フクダ産業本社ビル
製造の拠点高田工場
環境コンサルタントから転身して
社長の道へ
私は流山市で生まれ育ちました。小中学校までは地元の学校に通い、高校は東京の高校に、大学は神奈川にある大学に入学しました。ところが大学1年生の時に病気で入院して手術をしたため、勉強が遅れてしまった事もあって、その大学は1年生で退学しました。小学校の頃から祖父母には「お前が3代目だ」といわれ続けていましたが、私は環境学に興味があり、自分の将来が決まっているのは面白くないと思っていたので、ずっと反発していました。大学を辞めた私は「自分はやりたい事を勉強するから」と、アメリカの大学に入学し「環境学」を専攻して大学院まで進みました。
大学院を卒業して就職した会社は、イギリス資本の環境コンサルタント会社の日本支社でした。ずっとアメリカにいるつもりで、オレゴン州にある事務所で仕事がしたくて面接に行きましたが、あいにくそこには私が入社できるポジションがありませんでした。でも「日本のオフィスで人を探しているようだよ」といわれ、結局日本に戻って勤務する事になりました。
海外の企業が日本企業の工場や会社を合併買収する際には欧米の基準で徹底的に環境調査をします。入社した会社はその時の調査を請け負う会社でした。私が配属されたのは土壌汚染、地下水汚染を調査するチームで、全国の工場に行って地下水の汚染調査をしたり、土壌サンプルを採取して分析機関に送り、結果を元に日本語と英語の報告書を書いたりしていました。勉強した事が生かせるという意味では、すごく面白い仕事で充実感がありました。
しかし、「お前が3代目だ」と小さい頃から言われていたため、30歳を過ぎた頃から「家業」についても少しずつ考えるようになっていきました。その後、環境コンサルタント会社を辞め、日本の大手医療機器メーカーに転職をしました。
最初に勤めた外資企業は自分の裁量で仕事の進め方を決める事が求められる「個人主義」の会社であり、新人であっても一人ひとりが自分の担当業務に責任を持つというスタンスでした。一方、転職した大手医療機器メーカーはチームで業績を追いかける企業であり、転職後は新しい文化に適応するために自分自身が変わることが求められました。その時の先輩には日本の商習慣等を根気強く教えていただいて今もとても感謝しています。
大手医療機器メーカーで勤務した期間中、医療機器業界の中で「フクダ産業」を見ることができ、良い所も見る事が出来たし課題も沢山見えました。祖父が作り、父が継いだ会社の課題を見ながら自分では何もできない状況は、とても歯がゆかったのを覚えています。その状況を良くしたい思いで、約5年後、2014年(平成26年)1月に専務取締役として「フクダ産業」に入社しました。
小型の肺機能検査機器スパイロシフトSP-390Rhino
総合呼吸機能自動解析システムFUDAC-7