SNSでの発信を通して
農業の未来を切り開く
農家の五代目
「めろん王子」
「サツマイモ王子」
「めろん屋富岡」は成田市大栄で父・祖母との3人でサツマイモとタカミメロンの栽培・販売を行っている1900年(明治33年)から続いている農家です。私は五代目にあたり、サツマイモの栽培はうちの初代、つまり高祖父が農家で栽培するための「種芋」作りをメインに始めたのが始まりだそうです。その後私の祖父の代から「青果」として販売されるサツマイモを始めました。一方メロンの栽培は成田山の名物の「鉄砲漬け」に使う「瓜」を栽培していたのがきっかけでした。「タカミメロン」の品種が出来て直ぐに『「瓜」を栽培しているなら同じ「瓜科」の植物も作れるでしょう。もっと単価の良いメロンをやってみませんか。』と持ち込まれ、「千葉県初」でタカミメロンを栽培する事になったそうです。そこから段々周りに広まって飯岡や銚子、そして茨城までこの品種が広がっていきました。
メロンはヘタの付け根に出来る「離層(りそう)」という部分に「ひび」のようなものが出てきます。メロンは完熟すると「ヘタ」が取れ「離層」が入るのが「完熟ギリギリ」という目安になるため、うちではメロンの「離層」を全玉チェックして収穫しています。ギリギリまで見極めて販売できるのが直売の強みだと思います。
今栽培しているメロンは「タカミメロン」のみですが、昔は「ゆうか」という今では珍しい品種もやっていました。しかし「ゆうか」は朝夕2回収穫する必要があり、朝夕2回「離層」をチェックするのは大変で、お客様の声も「タカミメロン」の方が美味しいと評判だったので一本に絞る事になったそうです。
私が就農して直ぐに始めたSNSは、おかげさまで多くの方にフォローしていただけています。「若い」というだけで目立つ業界でもありますが、発信内容も農業のリアルを知ってもらえるように工夫しています。SNSでは「めろん王子」とか「サツマイモ王子」と呼ばれていますが、自分から名乗ったのではなく、多古町の「多古米王子」という方とツイッターで絡んだのがきっかけで、私も「王子」と呼ばれるようになりました。「多古米王子」という方もSNSでも頑張っている方で、今は町会議員もやっていらっしゃいます。
メロン王子
サツマイモ王子
農家を継ぐ事を志し、
まっしぐらに進む
私は小学生になった頃から「手伝い」というか半分は遊び感覚ですが家の仕事を手伝っていて、なんとなく「継ぐもの」というか「そういうものだ」という思いがありました。中学生になって進路を考えるようになった時に、サラリーマンになるよりは「経営者側になる方が楽しいのでは」と考えるようになりました。単純に経営をするのなら家を継げば「経営者」になれるし、何となく知識を持っている「強みの分野」ではあるので農家を継ごうと思いました。
高校は普通科に行きましたが、大学は家の経営に役立つ農学部に入って「植物生体防御学研究室」という研究室で「植物の病気と防御方法」を勉強し、卒業後そのまま2019年(平成31年)就農しました。
最初から就農するより他の事を経験してその強みを生かしている方は、稼げたり経営がうまくいったりするので、そういう外の経験も大事だとは思います。それこそ市場や流通関係などの「流通側」を知ってから「生産者側」になるのも良かったのか、とか色々と考えたりはします。しかし一家の柱だった祖父が高校の時に亡くなった事で、大学に入学した頃には卒業して直ぐに就農する決心をしていました。直接就農したのは祖父が亡くなった事が大きかったのだと思います。
自分は国立大学の農学部に行ったのですが、勉強は広く体系的にという感じで、思ったより農家の現場で直接的に役に立つ内容ではありませんでした。実際に同期達の就職先も県庁の農林水産部や市役所の農政課などの行政側、食品関連企業に就職する人が多く、就農する人はほぼいませんでした。今にして思えば、農業大学校等の方が色々と現場寄りの経験ができたかもしれません。一方で「学問」として基礎知識や考え方、農作業現場外の知識など広く体系的に学べた事は、それはそれで強みにはなったのだとも思います。大学は「茨城大学」だったので茨城県庁や千葉県の農林水産部にも同期がいるし、卒業してからも仕事で関わる可能性がある所に人脈が出来た事は今後の活動にとって大きいかもしれません。
たわわに実った「タカミメロン」
主力のサツマイモ