和食文化とイベントで
街の活性化に尽力する
谷津で40年
「茶茶」ブランド
「株式会社金庄」は、1945年(昭和20年)に創業した江戸前の海苔・落花生・千葉の産品と静岡県掛川のお茶を販売する会社です。本社と加工工場は船橋市に、そして谷津駅北口前に「茶茶」というブランドの小売店舗は、オープンして既に40年になります。
「茶茶」の店舗で販売しているのは熱した石で、低温でじっくり焼き上げる当社オリジナルの「石焼のり」をメインに販売しています。他にもお茶の産地静岡の「掛川」で天皇杯及び34回農林水産大臣賞を受賞した茶園で作った「深蒸し茶」、八街の契約農家が栽培した「落花生」をはじめ、千葉の美味しい物「千葉産品」を販売しています。
「株式会社金庄」は私の父が1950年(昭和25年)に創業し、今年で74年になります。父の代ではパン屋や加工・小売りなど色々な事業をしていましたが、兄と私が後を継いで現在のスタイルが出来上がりました。
兄と私が後を継ぐ段階では「お互いに独立した会社にした方が良いだろう」と、「石焼きのり」の加工をしている船橋の「株式会社金庄」の本社を兄が、谷津にある小売り専門の「茶茶」を私が引き継いで、当初はそれぞれ別の会社としてスタートしました。
東日本大震災の風評被害などもあって「同じ様な事業をしている会社だから一本化した方が良いだろう」という話になり、会社を「株式会社金庄」に一本化し、兄が社長、私が専務として再スタートを切る事にしました。
株式会社金庄は「地産地消」を大切に「千葉名産品」や「日本食」を扱う会社で、地域で商いをさせていただくからには、積極的に地域で社会的な活動をするという「企業理念」を掲げており、得意先の消費者団体などにも認知していただいています。また、「茶茶」のブランドは「地域の食文化の交流の場」という認識も持っていただいています。
茶茶本店
京成谷津駅北口の真正面に店舗がある
金庄オリジナルの「石焼きのり」のコーナー
掛川茶の販売コーナー
オリジナルバラアイスのメニューも豊富
店の内外にはイートインコーナーも用意
地域活動が
「茶茶」ブランドを定着させてくれた
私は船橋で生まれ、社長をしている兄と別の仕事をしている弟に挟まれた男3人兄弟の次男として育ちました。兄は比較的スポーツが出来る人で、弟は大学も特待生で入学するほど兄弟の中でいちばん頭が良く、現在は共同通信社で管理職を行っております。真ん中の私はというと、何の取柄も無い子だったので、人より早く社会に触れるため高校生になって直ぐに家の仕事を手伝い始めました。青空市場のような所に出店していた時に、買い物にやって来る「おばちゃん」達から、「子供は何人いるの?」と聞かれた事もありました。大学に入ってからも手伝いを続けていましたが、私の接客は「おばちゃん」達のファンが多く、大学生の時には「うちの孫娘はどう?」と声をかけられた事もありました。また、地域活動の方も若い頃から休日に当てて活動していたので、「趣味は?」と聞かれても「祭り」とか「イベント」と答えるような生活を送りながら現在に至っています。
一方で若い頃は「事業家」になろうと思っていた時期もあって、学生時代から「中小企業家同友会」の勉強会に参加したりもしていました。当時はサイゼリアの創業者、現会長の正垣さんが「早朝勉強会」を開いてくださって、「企業はしっかりとした理念を持つ事」を教わりました。地域活動を始めていた私に、正垣さんから「ボランティアばかりしていないで、企業として社会貢献をしろ」と言われた事もありました。教えて頂いた中で、今でも印象に残っているのは『社会に役立つのが「企業」で、代表が亡くなってもその想いは継続されるが、「家業」は家族のみの利益のために働く』という言葉です。また、「ムダ・ムラ・ムリを無くすのが企業」で、家業は「ムリ・ムラ・ムダ」の塊だという言葉でした。私は言わば落第生です。
私の現在のネットワークが出来たきっかけは、千葉県中小企業団体中央会が行っている商店街若手リーダー育成事業「ふさの国 商い未来塾」の第一期生として参加した事でした。そのおかげで、「千葉」にこだわっている仲間たちが出来、商売がきっかけで繋がった人とも繋がり、次第にネットワークも出来、そのおかげで「茶茶」というブランドが育ってきたのだと思います。後悔はありませんが、もっと「商売」に徹すれば違った結果が出ていたかもしれません。でも商売よりも地域活動の方が多かったので、「事業家」ではなくなってしまったという気がしています。。
ふるさと産品に選ばれた展示
谷津バラ園で行われたイベント