地域に役立つ事業を展開し
常に進化する会社
5つの事業を展開する
「ペンタゴン経営」
「株式会社高品ハウジング」は約1000人のオーナーからお預かりしている賃貸物件の管理をしている不動産会社で、私が26歳の時に母と起業し、今年で創業47年になります。店舗は高品町の本店の他、千葉市内に3つの支店があります。また、1999年(平成11年)には不動産賃貸管理のフランチャイズ「アパマンショップネットワーク」の設立にかかわった事で、千葉県初の「アパマンショップ」にもなりました。
他にもプロパンガスを提供する「シンニチガス株式会社」、ペットのトリミングやグルーミングを提供する「アニマー湯千葉店」、設計事務所の「未来設計株式会社」、更に非営利の婚活支援団体「一般社団法人ジュノール千葉」の4つの関連会社も経営しており、併せて5つの事業を展開する「ペンタゴン経営」を実践しています。
1997年(平成9年)に設立した「シンニチガス株式会社」は、弊社が管理しているアパートやマンションにプロパンガスを提供する会社としてスタートしました。アパートやマンションなど賃貸物件に都市ガスを引くためには、工事費はオーナーの負担になりますが、弊社が提供するプロパンガスは工事費無料で、使用料は家賃と一緒にお支払いいただくので、オーナーさんに負担をかける事がありません。しかも、万一災害が発生した場合でも、都市ガスよりも素早く復旧できるため大変ご好評をいただいております。
また、地域の方たちのために本社近くの「高品公園」では、毎年7月に弊社が中心になって「ふるさと夏祭り」を開催していますが、今年で26回目になりました。更に「サッカーを通じて小学生の健全育成と親睦・交流を深め、少年サッカーのレベルアップを目指す」事を目的に、千葉市と四街道市の小学2年生以下の子供達を対象に開催しているミニサッカー大会「コアラ杯」を主宰するなど、この地域にお住いの方達のための活動も積極的に行っています。
高品ハウジング本社
千葉県初のアパマンショップの店舗
運命に導かれ
政治世界に関わる
私は会社があるこの地域で生まれ育ちました。小学校の頃、この辺は田んぼだらけでバスも通っておらず、畦道を歩いて通学していました。私は元々理科系の人間で、顕微鏡をのぞくのが好きで、将来は学者になろうと思っていました。中学校に入学してからは路線バスが通るようになりましたが、私は徒歩で30分位かけて通学していました。部活動ではサッカーを、高校に入学してからはラグビーをやっていました。
大学は理工学部を選んで、「燃料研究室」で石油精製の勉強をしていたので、就職もその方面の会社に就職するつもりで、石油関係の会社を15社ほど受験しました。運悪く卒業のタイミングが1973年(昭和48年)に発生した「オイルショック」の最中で、全て落ちてしまった事が私の大きな転機になりました。
アルバイトでもして1年間遊んでいようと思っていましたが、たまたま親戚筋で議員秘書をやっている人から手伝ってくれといわれ、手伝う事になりました。議員事務所での仕事は秘書ではなく、千葉県中に選挙看板を付けて歩く「看板貼り」の仕事で、学生アルバイトを十数人従えて、県内全域に看板を貼って歩きました。
その頃の私は、千葉市役所を受験して翌年の4月には千葉市の職員になるつもりでしたが、候補者からは翌年の7月に選挙があるので「そのまま働け」といわれ、市役所に入る事をあきらめ、そのままお手伝いを続けました。しかし、残念ながらその候補者は落選してしまいました。
その後、野田市から出馬している衆議院選挙の候補者からお声がかかって、再び選挙の手伝いをする事になりました。無事その候補者は当選しましたが、選挙が終わったら再び千葉市役所に就職するつもりだった私に「市役所に入るのはいつでもできるだろう」といわれ、そのまま秘書の仕事を2年間続けました。
その後いつまでも代議士の秘書をやっていても先に進めないと思い、学生時代に「これからは不動産業は面白いよ」という話を聞いて、暇に任せて資格を取得していた「宅地建物取引士」を生かして、母と共に1977年(昭和52年)の2月17日にこの会社を創業しました。
また、事業の他に2003年(平成15年)千葉県議会議員に初当選し、県議会議員を5期務め2020年(令和2年)には千葉県議会の第74代議長を務めました。
今では5つの事業を展開している
今では大きくなった高品ハウジンググループ