長柄町の周辺は古くから人が住んでいた地域で、旧石器時代の石器、縄文土器の出土する遺跡や、全国的にも珍しい高壇式の横穴墓が分布しています。この横穴墓は、「長柄横穴群(ながらよこあなぐん)」という名称で、1995年(平成7年)に国の史跡に指定され、2008年(平成20年)には、「ちば遺産100選」にも選定されました。
奈良時代の後半774年(宝亀5年)、藤原黒麻呂が朝廷から上総国(かずさのくに)の長官にあたる上総介(かずさのすけ)に任じられました。着任後、黒麻呂は当初は茂原地区を牛や軍馬の飼育や繁殖のため放牧しておく私牧(しまき)にしていましたが、この私牧を開墾して「藻原荘(もがばらのしょう)」という荘園にしました。
その後、黒麻呂は新たに現在の長柄町の地域も取得して「田代荘」とし、この荘園は子供の春継まで続き、この時期に長柄町が発展していったことは、その後の歴史的な遺産でも想像することができます。
現在、東京国立博物館に所蔵され重要文化財に指定されている梵鐘は、千葉県最古の古鐘で、平安時代後期の1013年(長和2年)に開基された臨済宗妙心寺派の眼蔵寺にありました。
また、鎌倉時代末期に造られた国指定文化財の木造不動明王坐像は、顕本法華宗の飯尾寺(いいおじ)にあり、本堂の欄間には葛飾北斎にも影響を与えたといわれている
「波の伊八」の龍の彫刻があります。更に、江戸時代1670年(寛文10年)に作られ、千葉県内では最古のものといわれている、寺には珍しい「狛犬」が本堂前に置かれており、これも町の指定文化財になっています。